覚悟(前編)
いつものようにざわめいた屋上で和仁は真青な空を見上げながら僅かに目を細めた。
手に持った紙切れを日に透かすようにして、和仁は描かれた名前を声に出した。
「神代南商業高校、三年。
和田から渡されたメモを眺めた和仁は、ふぅん、と顎に手を当てながら、のんきに良い名前だねぇ、と呟く。
屋上には今日も多くの虎組のメンバーがひしめいていて賑やかだったが、幹部の定位置に陣取りながら和仁と和田はその輪に入る事もなく、相変わらず二人だけの会話が交わされていた。
和仁に向かい合うようにして座っていた和田は新しい煙草を銜えたまま、白い煙を口の端から零れさせると、渡したメモを指で軽く弾いた。
「最近南商周辺を取り仕切ってる情報屋らしい。金さえ払えばどんな情報でも提供してくれる売れっ子なんだとよ。」
「へぇ。
なぁるほど、と和仁はニヤ、と笑みを浮かばせた。
情報屋というのであれば話は早い。
地区ごとで情報を共有するのに繋がりがあって、独自のネットワークを布いていても可笑しくはない。
やはり土曜の一件は比企康高が絡んでいると見て間違いはなさそうだ。
だが、と和仁は少し首を傾げて、メモをひらひらと風に靡かせる。
「単なる情報屋が南商の不良を従わせる力なんかあるのかねぇ」
そう、問題は比企康高が関わっていたと言うよりも、単なる情報屋という立場でありながら、土曜の喧嘩を梶原が仕切っていたことにある。
どこぞの不良チームの頭だったら話は早い。
しかし見た所、とてもじゃないが梶原という男に不良を従えさせるようなフィジカルがあるようには見えない。
「あれはどーみても完璧にインドア派の人間なんだけどなぁ。」
集まった連中も、半数は「壁」の非戦闘要員だ。
どう見ても寄せ集めの様にしか見えなかったのだが、まさか千葉隆平のためにそこまで人が動くとは考えられない。
これは何か裏があるぞ、と和仁はメモの名前を指でなぞる。
「そのことなんだけどよ。」
そう言った和田は和仁からメモを奪うと、僅かに声のトーンを落とした。
「どうもここ最近、妙だぜ。」
「妙?」
「あぁ、
「へえ。」
「大分前から報告が入ってたんだが、気にも留めていなかった。うちの組の奴じゃねぇし、南商にダチがいる奴かもしんねぇしな。」
だが、と和田は短くなった煙草を床に落とすと踏み潰して火を消した。
「ここ一ヶ月で、報告が急激に増えている。」
「ふむ。」
和田の言う意図がふ、と見え隠れしている様な気がして、和仁はその言葉を一つ一つ噛み締めるようにその話に耳を傾けた。
和田は新しい煙草を取り出したが、箱が空になっているのに気が付いて小さく舌打ちを零す。
「そんで…もしかしてと思って調べたら、梶原ってのは今年の6月に
「松下?松下ってあの?」
珍しく目を丸くした和仁に、和田がどこか苛立たしげに「煙草持ってねぇ?」と聞いてきたが和仁は首を振る。
それにがっくりと頭を垂れた和田を眺めながら和仁は「松下…」と呟いた。
松下付属高等学院は県内屈指のエリート校だ。
日本の未来を担う各分野の優秀な生徒が集まるという有名な学校からなぜ南商に?、と和仁が思わず怪訝な顔をすると、和田がボリボリと頭を掻きながらため息をついた。
「ピッタリ合うんだよ。梶原が転校してきた時期と、報告が始まった時期が。」
そう言われて和仁は和田の言いたい事がはっきりと見てとれた。
南商の不良達は、ほとんど虎組が潰した。
もちろん敵が多い。
そして北工の不良チームも以下同文。
表向きでは虎組の「配下」となっているが、多くが不服に思っているのは言わずもがな。
それに加えて、土曜の一件。
「何?もしかしてオレら、狙われたりしちゃってんの?」
思わず目を瞬かせた和仁に、和田は「嬉しそうな顔してんじねぇよ。」と呆れ顔をしてみせた。
「南商と北工が手を組む事になったら冗談じゃ済まされなくなる。」
どうする、と声を低くした和田に、和仁はう~ん、と間延びした声を出した。
「そうだねぇ。時期が時期だけにちょっと見過ごせないかな~。」
「時期?」
和仁の言葉に和田が妙な顔をしたが、和仁はそれに取り合わず「でもね」と腕を組んで首を傾げた。
「そうは言ってもどこまで確証があるか定かじゃない。九条にも報告しなきゃだし。」
呟いた和仁に和田は「確かにな」と頷きかけて、ん?首を傾げた。
「そういや、うちの大将はどこ行ったんだ。」
「さぁ。」
「んだよ、サボりか。」
「どうかな…必至に逃亡中、ってとこだと思うけど。」
肩を竦めた和仁が困ったように笑うと、和田は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに深々と溜息をついた。
まぁ気持ちは分からないでもない、と九条に同情すると、授業終了の鐘が鳴った。
和田はお、と呟くとおもむろに立ち上がる。
「まぁそういうわけだ。やるこたぁやったぜ。梶原の調査が条件だったな。」
そう言って、和田は眼鏡姿で和仁を見据える。
その姿が何となく、最近見知った人物を彷彿とさせ、和仁は思わず目を細めた。
「俺はこの罰ゲームに関しては手を引かせて貰う。」