覚悟(前編)

その三浦の言葉に隆平は目を見開いた。

「康高の事知ってんのか?」

隆平が訊ねると、三浦は「あったりめーだろ。」と得意げに笑った。

「情報屋ってやつだろ?先輩とか他のグループの奴がよく情報を買ってるんだ。ちょー有名人だぞ!!知らないのか、千葉隆平は!!」

まーオレも同じクラスだとは思わなかったけどな~、と言って三浦は康高に向って二ッと笑いかけたが、康高はやはり仏頂面のままで口を開いた。

「知らなくて良いんだよ。こいつはアンタと住む世界が違う。」

「余計な事教えないでもらえる?」と続けた康高の声は、恐ろしく冷たい。だがそんな康高の圧力をものともせず、三浦はきょとん、目を瞬かせると首を傾げた。

「世界は一つしかねぇんだぞ、違うわけねーじゃん。ばっかだなぁ、比企康高は。」

「フルネームで呼ぶな。」

康高の厭味をさらっと流した上、学年主席を馬鹿呼ばわりした三浦に、クラスの気温がグッと下がった。

康高の醸し出す不機嫌オーラに当てられたクラスメイトが一歩下がるのを気配で感じた隆平は、康高の代わりに心の中でごめんなさい、すいませんと繰り返す。
実はさっき授業開始の鐘が鳴って、教科の先生が既に廊下で待機しているのも隆平は気が付いていた。
だが一年でも有名な不良と、裏で何をしているか分からない怪しい情報屋と、望んでいないがトラブルメーカーの不運属性の男、という奇妙な組み合わせの三人が、何やら只ならぬ雰囲気で会合しているのなら、傍観する他ないだろう。

「(しかし康高の不機嫌オーラが見えないのかね、この人は…。)」

噛み合わない言い争いを隣で眺めながら、隆平は三浦をうろんな目で眺める。
一方で、普段他人に愛想だけは良い康高が、三浦に対して優しさの欠片も無いような冷淡な対応を取っていることに、隆平は心底肝が冷えた。

康高が虎組のメンバーを警戒しているのはよく分かっている。
でも、と隆平は未だ一人で話しかけてくる三浦を眺めて思った。

「(こいつは今までの虎組の連中と、目つきが違う。)」

それは勿論、平凡な隆平が虎組という不良グループの中心に入り込んだ事によって受けて来た、非難の目だとか、蔑む様な目だとか、品定めをするような目だとか。ありとあらゆる悪意を向けられてきた隆平だからこそ分かることがあった。

「(普通の友達みたいだ。)」

思わず気を許してしまいそうになるほど、三浦が隆平へ向ける眼差しは優しい。
やめてほしい、と隆平は僅かに眉を寄せた。


そして、ふと隆平は土曜日のことを思いだした。

三浦の目が気になるように、土曜の九条の目が印象的だった。
話がしたいと言って、九条と対面したときの事。

面倒くさい、だるい、煩わしい、興味がない。

たまに目が合う九条の視線からは、常にそう言った感情しか伝わってこなかったし、それが当たり前だと隆平は思っていた。

だが、あの日の九条は違った。
その目はどこか、焦っているようで。
困惑して、少し戸惑っている様な目だった。

だが対面した瞬間、その目元がほんの少しだけ緩んだように見えたのを、隆平はぼんやりと思い出す。

「(変なの。あれじゃあまるで、おれの事を心配していたみたいだ。)」

そう考えると、ぎゅう、と胸が痛みだした。

その痛みにあれ、と思わず呟いて、隆平は思わず自分の胸を見下す。
それから怪訝な顔をして胸に手を当てると思わず首を傾げた。
その奇妙な行動に同じく首を傾げた三浦が「どーした?」と声を掛けてきて、それにつられる様にして康高も隆平の方に目線を向ける。

「どうした、心臓が止まったか?」

「止まるか!!元気に動いとるわ!!」

「え⁉心臓止まんの⁉心臓マッサージする?」

「いらんわ!!」

康高に続いて三浦が訊ねてきて、隆平はバン!!と机を叩いてから隆平はハッとする。
真面目な顔にも関わらず、茶化す様な言い方に、隆平は思わず康高と同じノリで三浦にも突っ込みを入れた事に思わず青褪める。
しまった、と焦る隆平を余所に、当の三浦は突っ込まれた事を気にした様子はなく「誰か!AED!自動体外式除細動器お願いします!」と喚いている。
それにホッと一息ついて隆平は再度、ちらと自分の平たい胸を確認した。

「(心配だって。そんなわけねぇじゃん。)」

そう思いながら、隆平はぎゅっと唇を噛みしめる。

「(大丈夫。わかってる。勘違いだ。騙されるな、騙されるな。)」

そう噛みしめるように口の中で繰り返し、隆平は人知れず小さく深呼吸をした。
九条も、そして三浦もその眼差しだけで腹の中は探れない。
己の安直さに振り回されないように、隆平はさらに守備を強固にしなくては、と静かに決意したのだった。
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