覚悟(前編)


「逃げたくもなるわな、そりゃ。」

不意に後ろから掛かった声に、和仁は「ん?」と顎に手を添えたまま上半身だけ捻って振り返る。
そのなんとも言えない間抜けなポーズの和仁を、心底呆れたような顔で眺めていたのは和田だった。

「あれま、珍し~人が朝からいるよ。」

「悪かったな。」

苦々しく顔を歪める和田を一瞥して、和仁は捻った体を元に戻すと改めて和田に向かい会う。

「授業はいいの?和田センセ。」

「どんな嫌味だ…。」

和田が朝から屋上にいるのは珍しい。
彼は不良にしては極めて珍しく授業にはまともに出る性質の人間だった。
元来血の気の多い部分もあるが、こう見えて勉強は好きらしく、一時間目の授業からキッチリと出席していることがほとんどで、成績も良い。
いつも「最強の不良グループなのに、抜けてる奴が多い。」と嘆く本人には悪いが、お前も十分抜けてるよ、と和仁は密かにツッコミを入れた。

そんな和田が授業用の眼鏡をかけたまま、朝から屋上へ何用かと訊ねてみると、和田は床にどかりと座り込んで煙草を取り出した。

「約束だ。」

そう言って眼鏡越しに和仁を眺めると、和田は煙草に火をつける。

「拾って来たぜ、梶原って奴の情報。」

そう言って和田がポケットから出した小さなメモを見て、和仁は目を細めて嬉しそうに笑った。








それと同じ頃、一年三組はまたしても空気が凍り、緊張に包まれていた。

「うおおお!ほんとにおんなじクラスだった!!」

だが周りの雰囲気など全くお構いなしと言った様子で、その空気を生み出した元凶は、のんきでバカでかい声をクラス中に響き渡らせた。

「これからはめっっっちゃよろしくな!!千葉隆平!!!」

「…フルネームで呼ばないで…。」

家族(主に母)に散々酷い目に遭わせられた隆平だったが、その顔色の悪さは先ほどの比ではない。顔は既に蒼白を通り越して土気色になっている。
目を白く剥きながら、隆平は椅子の上になぜか正座のまま座り込み、康高はその隣でさも迷惑そうに足を組んで座り、顔を顰めていた。

騒がしくなった周りの声が聞こえなかったのは、全く不覚だったと隆平は反省していた。
勿論それは自分を全く相手にしない康高に大声で泣いて縋っていた事が原因だったのだが、それにしたってこれは一体何の因果なんだ、と隆平は奥歯を噛みしめて泣く他ない。

康高の腰にしがみ付いたままの姿勢で、突如として現れた見覚えのある顔が、自分に向かい「おっす!!!」と手を振ってきた時点で、隆平の顔からは血の気が完全になくなった。

「なんだよ!!不満が有るなら言えって!!」

な!!と笑う顔が真夏の太陽のように眩しくて、隆平はげっそりとした顔で力なく笑った。

「朝から元気なんだなぁ…三浦くんは…。」

「そういうお前はじいちゃんみたいにショボショボだな!」

そう。今目の前で隆平の机の上に座っているのは間違いなく、土曜日に初対面を果たした虎組メンバーの三浦だった。

土曜の夜、赤レンガから手を引かれ送ってもらった際、隆平は話題を探して、ようやく思いついたのが「おれと三浦君、同じクラスなんだよ。」という我ながらなんとも冴えないものだった。
だがそんなその場しのぎの話題を彼が覚えていて、わざわざクラスに来るなんて聞いていない。

いつもはほとんど顔を見せない三浦が教室にいる、というのでクラスメイトは隆平と康高、それに三浦から離れ、完全に傍観を決め込んでいた。
中には九条親衛隊の少女達も見受けられるが、最近は隆平と康高に虎組の接近が多いため、文句も言えないらしい。
ただ怪訝な顔をして三人の会話にじっと耳を傾けているようだった。

それでも居心地が悪いのに、それ以上に隆平を困らせているのは康高だった。
三浦が現れてから、目に見えて機嫌が悪くなっている。

「(なぜだ…!ここは空気の読めるお前の出番じゃないのか、康高先生…!)」

康高は先ほどから一言も発する事もなく、ただ黙って三浦と隆平のやりとりを聞いているが、会話に入ろうとする気配も見せず、かと言って立ち去る気配もない。
しかしどこか観察するように三浦の一挙一動を目で追っている。
それを不安に感じて、三浦の質問に答えながら隆平が康高の方をちらちらと気にしていると、三浦がそれに気が付いた。

「何だよ、比企康高がどうかしたか?」

三浦が言うと、康高が微かに反応を示す。
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