屋上事変
無理もないか、と康高はまじまじと件の二人を観察した。
なにせ両者とも朝の眠気が吹っ飛ぶ程の美形だ。整った顔が二つ並んで騒がない女などいない。
だがその女の影に隠れて感じられる殺気は、二人に敵が多い事も暗示している。
そしてここにも一人。
「堂々と見れば良いのに。」
「シーッ!!黙って壁になってくれ!!」
康高の背中越しにおずおずと九条を眺める隆平からは、少なからず自分の平穏な生活を奪った、という怨念が感じられた。
「ちくしょう、犬に噛まれろっ!!ウンコを踏め‼」
小声で呟いた隆平のささやかな呪いが、果たして九条に届いたのかは疑問を残す所だが、なぜか九条ではなく隣の大江和仁が康高と隆平の方に目を向けた。
瞬間、周りの女子がきゃあああああ!!!!!と耳をつんざく様な悲鳴を上げ、二人が瞬間的に耳を塞いだのは言うまでも無い。
ビビったのは隆平である。
「き…聞こえた…!?」
「そんなわけないだろ。」
耳を塞いだままドギマギとする隆平に冷静なツッコミを入れたのはやはり耳を塞いだままの康高だった。
だがそんな康高の否定も虚しく、にこりと笑った和仁は少し大きな声で
声をかけてきた。
「そこ千葉隆平君のクラス?」
「!」
これには、流石の康高も目を瞬かせた。和仁は明らかにこちらを見て手を振っている。そして、発せられた名前。
「…お前、(彼氏の)友達に呼ばれているぞ。」
「違う!断じておれではない!おれのはずがない!」
すでに窓際から離れて耳を塞ぎながら机の下に避難する隆平をよそに、尚も和仁は続けた。
「お昼にそっちへ迎えに行くので大人しく待っててね~ちなみに逃げても無駄だから~地の果てまで追いかけるから~よろしく~!」
そんじゃあね~と満面の笑みで手を振る和仁にギャー!と断末魔のような悲鳴をあげて数名の女子が倒れた。そんな事にはお構いなく、役目を果たした和仁は上機嫌で九条の後を追った。
和仁からお昼のお誘いを受けた隆平は机の下で再び屍となっていた。
嵐が去ったような静けさの中、隆平は机の下から這出る事もままならなかった。しかし周囲の好奇の目は、屍を放って置いてくれる程甘くはない。
「ちょっと。千葉」
隆平が顔を上げると、九条親衛隊の女子達、…厳密に言えば九条や和仁の毒牙にかかった女子達だ。
「アンタが和仁さんのなんなのよ!!」
普段可愛い女の子は恐ろしい形相で机の下に潜り込んだ隆平に詰め寄る。周りのクラスメイトも興味津津と言った様子で隆平を眺めており、逃げ場はない。
当の本人は真っ白になった頭で「そんなのおれが聞きてえわ」と蚊の鳴くような声で呟いていたが、あいにく女子達には届かない。
「まぁまぁ、そいつだって好きで行くわけじゃないから。」
その緊迫した空気を裂いたのは康高の声だった。クラス中の視線が康高に集まる。
「じゃあ何よ。」
不快感を隠そうとしない女子に、康高は顔色一つ変える事なく続けた。
「そいつ昨日、九条先輩の専属パシリに任命されたばっかりなんだよ。」
「え?」
思わず間抜けな声を出したのは隆平だ。
その間抜け面を見て、康高が笑う。
「隆平の記念すべき初パシリの仕事が、九条先輩と大江先輩のお昼ご飯の調達なんだよ。だから大目に見てやってくれ。」
パシリと聞いてなぜか妙に納得したクラスメイト達は「なーんだ」と口を揃え、各々元の場所へと戻って行った。
勿論、情報屋として名高い康高の言葉を信用した点も挙げられるが、九条や和仁に気に入られてお呼ばれされたわけではない事が分かり、興味を無くしたのだ。
それを確かめてから隆平は小声で唸った。
「おい、パシリって何だよ!!」
「一番安全な言い回しだろ。お前は地味で平凡で無害そうだから、パシリと言われても驚くほど違和感がないから怪しまれないだろうと思って。」
「ふざけんなよお前まじで。」
怒り心頭の隆平に、「で、どうすんの」と切り返した康高は意地悪く口の端を持ち上げた。
「昼、連れて行かれるんだろ?」
「う…」
「逃げても無駄らしいな」
「うおおん…」
問題点をつかれて隆平は頭を垂れた。
予想していた事ではあったが、まさかこんなに早く実現になるとは思ってもいなかった、と隆平は握った拳がぶるぶると震えるのを感じた。
悪名高い不良グループの中心に一人放り込まれて、一体何をされるかわかったものではない。
もはや隆平は生まれたての小鹿のように全身ぶるぶると震えている。
それをみて康高は溜め息をついた。
さっきまでの勢いはどこへやら、と思いつつも、この幼馴染がどうしようもなく不憫で可哀想に見えたのは間違いなかった。