決戦後

それにしまった、と言わんばかりに顔を顰めると、玄関の扉が開き、中から母が出てきて、隆平に近づいて来た。

「また喧嘩したのね…。」

ゆらゆらと近づいてくる母親はまさに恐怖そのもの。
そのパック顔に身を縮こまらせ、とっさに後ずさったが隆平は、その双眸に見据えられ、観念してぎゅっと目を瞑る。
ぶたれる、と歯を食いしばった。
しかし想像した痛みが飛んで来る事はなく、代わりに普段は聞かないような落ち着いた声が頭を垂れた隆平の頭上に降りかかって来た。

「怪我はないの?」

聞こえた言葉にそろり、と隆平が目を開けると、酷く真面目腐った母と視線がぶつかり、隆平はビクビクとしながらもこく、と頷いた。

「…誰か殴ったの?」

再び問われて、隆平は一瞬躊躇った。
それから少し俯くと、母の顔を見ないまま頷いた。ドキドキと早鐘のように心臓が鳴る。
いよいよ怒られる、と隆平が身を強張らせた瞬間だった。

「何か大事な理由があったの?」

その問いがあまりに予想外だった隆平は、おもわず目を見開いてしまった。
そして、怒られるかと思っていたが、母のその言い方が思ったよりも優しくて、隆平は目頭にカーッと熱が集まるのを感じた。

理由。
それは、隆平にとっては正当な理由であったはずだ。
女の子を泣かせていたから、という大事な理由だ。
それは他でもないこの母親からきつく教えられたものだ。

でも、純粋にそれだけではないような気がして、隆平は困惑気味に俯いた。
それでも、九条を殴ってけしかけたのは間違いではないと思いたい。
少なくとも、それで、あの女の子達は泣きやんだはずだから。
そうだ、きっと間違っていない。

それから間を置いて、隆平は母親の顔を見据えて、ゆっくりと頷いた。
その返答を受け取った母は、短く「わかった。」と答える。
だが母の目は依然厳しい。

「相手の方は?」

「…びくともしてなかった。けがもない。」

「その鼻の怪我の時と同じ人?」

「うん。」

「…そう。わかった。あんたに怪我が無くてよかった。」

そう優しく言いながら母は隆平の頭をよしよし、と撫でて笑い、隆平は思わずボロ、と目から涙を零した。
今まで我慢していたものが一気に溢れてしまった。
それは拭っても拭っても出てきて、隆平を困らせる。
そして、その隆平に父がタオルを手渡してやると、隆平はいよいよ溢れる涙を絶えず溢れさせた。

「ご、ごめ、なさ」

そう途切れ途切れに謝る隆平に、父と母は顔を見合わせて少し笑うと、二人してグリグリと隆平の頭を撫でた。

「反省しろよ馬鹿息子。」

そう言って隆平から手を離した母と父はにこっと笑うと、さも当然の様に、隆平を外に残したまま玄関の扉を閉めた。
それに、タオルで涙と鼻水を拭いていた隆平が途端に固まる。

「…あれ?」

そう言ってドアノブをガチャガチャと回すが、どうやら鍵をかけられたらしい。

「詳しい話は明日きちんと聞かせて貰います。」

そうドア越しから聞こえて、隆平は「ん!!??」と冷や汗を垂らしながらガチャガチャと一層激しくドアノブを回すが、ドアはビクともしない。
そしてドア越しに、母の声が聞こえた。

「家訓を破った事は別なんで。今夜はお外で反省なさい。」

そうして玄関の明かりが消えた。
隆平はそれにぽかん、と口を開け、それから盛大に「人でなしいい!!」と近所中に響き渡る声で叫んだのである。











康高は依然、深く考え込んでいた。
この焦りの様な感覚はなんなのだろう。

隆平への思いを自覚してから、誰かに嫉妬する事はほとんどなかった。
それは隆平の一番は自分だと知っていたから。
隆平の一番近くで、隆平の一番の親友だと、疑いようのない確信があったから。

だが、今なぜこんなにも気持ちが揺れているのだろうか。

「(何をそんなに焦っている。隆平を誰かに取られるとでも思っているのか。一体誰に?)」

そう考えながら、康高はぼんやりと窓の外を眺めた。
帰宅して自室の電気も付けず微かに零れる月の光の中で考えあぐねて、もうどれくらいになるのだろう、と頬杖をついた。
隆平が決めた罰ゲームに俺が口出しをできる理由はない。
それは隆平が決めた事だ。

「(俺は隆平が傷つかない様に守るだけ。あれが上手く復讐とやらを果たす手助けをしてやるだけ。そう。守って、助けて。)」

それで俺は何がしたいんだ?、と康高は自分自身に問いかける。

「(隆平をどうしたいんだ?守って、助けて、それから?)」

そこまで考えて、康高は深くため息をついた。
好きだから、守って、助けてやれれば良いと思っていた。
近くに居て、笑って。それで満足だと思っていた。

だが、「その先」は一体何なのだろう。

そんなことを考えてた瞬間、机に置いていたケータイのバイブが鳴って、康高はぎく、と心臓が跳ねた。
それから我に返って鳴り続けるケータイを取ると、ディスプレイを確認してまたしてもぎく、とした。
このタイミングになんて奴だ、と悪態をつきながらケータイの通話ボタンを押した。


『もしもし?康高?』

向こうから聞こえる声に、康高はどこか複雑な気持ちを覚えた。

「どうした隆平。」

『あのさ、ちょっと頼みがあるんだけど…』

頼み?と康高が意外そうに聞くと、隆平は非常に申し訳なさそうに堅苦しい口調で懇願してきた。

『大変申し訳ないんですが、今晩、泊めていただけませんか。』
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