決戦は土曜日(後編)
思わず撫でられた頭を片手で確かめる様に触ると、隆平はなんとも間抜けな顔をしてしまった。その顔に気が付いた和田が再度「どうした」と問いかけてくる。
「いえ、その…殴られるかと思っていたので。」
その返答に、和田が固まる。
表情ひとつ変えず当たり前のように言う隆平を見ながら、和田は眉間に皺を寄せた。
一方で、虎組の連中に好かれていないのは隆平だって痛いほどよく分かっている。
だが、名目上で云えば隆平は仮にも「九条の恋人」で有り、必然的に「虎組側」の人間なのだ。
それなのに、虎組の敵を手助けするような真似をしてしまった。
それなりの報復を受けて然るべきでは無いのかと思っていた隆平は、思わぬ反応に拍子抜けてしまったのである。
「ちーばくーん」
上機嫌で名前を呼ばれたかと思うと、突如、後ろから肩に腕をかけられて、首筋辺りにふ、と息を吹きかけれた隆平は全身に鳥肌を立たせると首筋を抑えながら弾かれた様にその場から離れた。
「おおおおおおおえせんぱい…!!!」
「み~ちゃった~。」
ニヤニヤとしながら端整な顔で笑う和仁を目の前にして、隆平は鳥肌の立った腕を擦りながら「はい?」と首を傾げた。
そんな隆平の和仁はご機嫌な顔を緩ませると「あれ」と、ある方向を指差す。
その方向には、先ほどから黙り込んだ九条大雅の姿。
「千葉君、ほんとに九条を殴るんだねぇ。」
そう言って笑う和仁の言葉に、隆平は冷静になった頭で思案を巡らすとハッとした。
今更ながら、嫌な汗が背中を伝う。
キレていたとは言え、一度ならず三度も「あの」九条を殴ってしまったのである。
しかも今では何故か怒りが急速に衰えてしまい、今は完全に「いつもの隆平」に戻ってしまっている。
今こうして罰ゲームを続行している理由は、隆平の「復讐」という個人的な理由と、九条を殴った事が組員にバレて、報復を受けないように仕方なく九条の傍にいる、という二つの理由があるのだ。
ここで、他の組の連中に「また殴りました」なんて事が分かったら、今度こそ隆平の命はない。その事実にやっと気が付いて卒倒しそうになった隆平は、稀に見せる俊敏さで慌てて和仁に泣きついた。
「おおおおえ先輩ぃいいい!!ああああの、どうかご内密にぃいいい!!!」
縋る様に迫られて和仁は、目に一杯の涙を浮かべて上目遣いで縋る小動物のような隆平に心底愉快で堪らない、というような意地の悪い笑みを浮かべると、その頭を愛おしげに撫でる。
「そういう事は本人に謝った方がイイんじゃないのかなぁ~?」
そう言ってやると、隆平はピシ、と固まり壊れたおもちゃのようにゆっくりと九条を見据えた。
未だ隆平と対峙していた姿勢のまま、九条は隆平を見もしない。
ただ、やや俯き加減で座り込んだままである。
どことなく黒いオーラが見える様な気がするのだが気のせいだろうか。
その不穏な空気を醸し出す背中を見て、隆平はゴクリ、と唾を飲み込んだ。未だ折られた鼻がジンジンと痛む。
だが、こればかりは言わなくてはならないだろう。
自分で蒔いた種なのだから、その芽を摘むのは他でもない自分しかいない。
仕方が無い、と隆平は心を決めた。
「い、嫌です。」
その言葉に九条がピク、と僅かに反応を示す。
それを、きょとんとした顔で、和仁と、三浦を肩に担いで戻ってきた和田と、未だロープに縛られたままの三浦が隆平を見詰めた。
「どんな理由であれ、女の子を泣かすのは男として最低…です、し。それが原因で先輩を殴った事は、おれは悪いことだと思ってません。」
だから、と隆平は続けた。
「もし、おれを殴るなら。置いてきた女の子を家に送り届けてからにしてください。」
その言葉に和田がひゅー、と口笛を鳴らした。それを真似した三浦が口を尖らせたまでは良かったが、ふーふー、と空気ばかり洩れて音が出るまでには至らなかった。
そんな隆平の言葉に、九条は黙ったまま立ち上がると、隆平の顔を見ず、傍に積み上げられえ居た廃材を渾身の力で蹴り飛ばした。
途端、凄まじい音を立てて廃材が地面に散乱し、埃が中に舞い上がる。
それにビク、と隆平は身を竦ませたが、九条はその後隆平の顔を見る事もなく、隆平の横をすり抜けた。
「九条、帰んの?」
それに慣れた調子で和仁が問うが、九条が相変わらす答えないまま、駅方面に去って行く。
九条が横を通り過ぎた瞬間、彼の香水が僅かに香って、隆平は無意識に九条を目で追った。
闇に溶けるか溶けないかの瀬戸際に揺れる九条の背中を見送りながら、ちく、と僅かに胸が痛むのを感じて、隆平は顔を顰める。
「あーぁ。行っちゃった。」
そう言った和仁が、困った様に笑って、隆平に向き直った。
「ざーんねん。結局、デートはできなかったねぇ。」
その言葉に何が残念なものか、と隆平は首を横に振った。
時計は八時半を回っている。
貰ったチケットの映画の最終の上映開始時間は八時二十分。
初めてのデートは、待ちぼうけ。
残ったものは僅かな胸の痛みだけ。
勝敗結果は、…わからない。
つづく。
「いえ、その…殴られるかと思っていたので。」
その返答に、和田が固まる。
表情ひとつ変えず当たり前のように言う隆平を見ながら、和田は眉間に皺を寄せた。
一方で、虎組の連中に好かれていないのは隆平だって痛いほどよく分かっている。
だが、名目上で云えば隆平は仮にも「九条の恋人」で有り、必然的に「虎組側」の人間なのだ。
それなのに、虎組の敵を手助けするような真似をしてしまった。
それなりの報復を受けて然るべきでは無いのかと思っていた隆平は、思わぬ反応に拍子抜けてしまったのである。
「ちーばくーん」
上機嫌で名前を呼ばれたかと思うと、突如、後ろから肩に腕をかけられて、首筋辺りにふ、と息を吹きかけれた隆平は全身に鳥肌を立たせると首筋を抑えながら弾かれた様にその場から離れた。
「おおおおおおおえせんぱい…!!!」
「み~ちゃった~。」
ニヤニヤとしながら端整な顔で笑う和仁を目の前にして、隆平は鳥肌の立った腕を擦りながら「はい?」と首を傾げた。
そんな隆平の和仁はご機嫌な顔を緩ませると「あれ」と、ある方向を指差す。
その方向には、先ほどから黙り込んだ九条大雅の姿。
「千葉君、ほんとに九条を殴るんだねぇ。」
そう言って笑う和仁の言葉に、隆平は冷静になった頭で思案を巡らすとハッとした。
今更ながら、嫌な汗が背中を伝う。
キレていたとは言え、一度ならず三度も「あの」九条を殴ってしまったのである。
しかも今では何故か怒りが急速に衰えてしまい、今は完全に「いつもの隆平」に戻ってしまっている。
今こうして罰ゲームを続行している理由は、隆平の「復讐」という個人的な理由と、九条を殴った事が組員にバレて、報復を受けないように仕方なく九条の傍にいる、という二つの理由があるのだ。
ここで、他の組の連中に「また殴りました」なんて事が分かったら、今度こそ隆平の命はない。その事実にやっと気が付いて卒倒しそうになった隆平は、稀に見せる俊敏さで慌てて和仁に泣きついた。
「おおおおえ先輩ぃいいい!!ああああの、どうかご内密にぃいいい!!!」
縋る様に迫られて和仁は、目に一杯の涙を浮かべて上目遣いで縋る小動物のような隆平に心底愉快で堪らない、というような意地の悪い笑みを浮かべると、その頭を愛おしげに撫でる。
「そういう事は本人に謝った方がイイんじゃないのかなぁ~?」
そう言ってやると、隆平はピシ、と固まり壊れたおもちゃのようにゆっくりと九条を見据えた。
未だ隆平と対峙していた姿勢のまま、九条は隆平を見もしない。
ただ、やや俯き加減で座り込んだままである。
どことなく黒いオーラが見える様な気がするのだが気のせいだろうか。
その不穏な空気を醸し出す背中を見て、隆平はゴクリ、と唾を飲み込んだ。未だ折られた鼻がジンジンと痛む。
だが、こればかりは言わなくてはならないだろう。
自分で蒔いた種なのだから、その芽を摘むのは他でもない自分しかいない。
仕方が無い、と隆平は心を決めた。
「い、嫌です。」
その言葉に九条がピク、と僅かに反応を示す。
それを、きょとんとした顔で、和仁と、三浦を肩に担いで戻ってきた和田と、未だロープに縛られたままの三浦が隆平を見詰めた。
「どんな理由であれ、女の子を泣かすのは男として最低…です、し。それが原因で先輩を殴った事は、おれは悪いことだと思ってません。」
だから、と隆平は続けた。
「もし、おれを殴るなら。置いてきた女の子を家に送り届けてからにしてください。」
その言葉に和田がひゅー、と口笛を鳴らした。それを真似した三浦が口を尖らせたまでは良かったが、ふーふー、と空気ばかり洩れて音が出るまでには至らなかった。
そんな隆平の言葉に、九条は黙ったまま立ち上がると、隆平の顔を見ず、傍に積み上げられえ居た廃材を渾身の力で蹴り飛ばした。
途端、凄まじい音を立てて廃材が地面に散乱し、埃が中に舞い上がる。
それにビク、と隆平は身を竦ませたが、九条はその後隆平の顔を見る事もなく、隆平の横をすり抜けた。
「九条、帰んの?」
それに慣れた調子で和仁が問うが、九条が相変わらす答えないまま、駅方面に去って行く。
九条が横を通り過ぎた瞬間、彼の香水が僅かに香って、隆平は無意識に九条を目で追った。
闇に溶けるか溶けないかの瀬戸際に揺れる九条の背中を見送りながら、ちく、と僅かに胸が痛むのを感じて、隆平は顔を顰める。
「あーぁ。行っちゃった。」
そう言った和仁が、困った様に笑って、隆平に向き直った。
「ざーんねん。結局、デートはできなかったねぇ。」
その言葉に何が残念なものか、と隆平は首を横に振った。
時計は八時半を回っている。
貰ったチケットの映画の最終の上映開始時間は八時二十分。
初めてのデートは、待ちぼうけ。
残ったものは僅かな胸の痛みだけ。
勝敗結果は、…わからない。
つづく。