屋上事変
「もう駄目だ…」
翌日。
朝早くから日当りの良い窓際の机に突っ伏した隆平は、見るも無残な生ける屍と化していた。
本日は断固として学校を休むと親に抗議したのだが、イジメや病気以外の理由で休むのは言語道断と家から追い出されてしまったのだ。
こんな事なら病気を装う演技力でも身につけておくんだった、と隆平は悲嘆に暮れる。
そんなわけで、学校に来るまでの間に神経をすり減らした隆平は昨日の寝不足も祟って、教室に着いた途端倒れた。そこを数名の親切なクラスメイトによって机まで運んで貰った次第である。
「世界の終わりだ…」
隆平は机に突っ伏し、暗い空気を醸し出しながらぼそりと呟いた。
そんな屍の前で、朝から自前のノートパソコンを操っていた男がその手を休まず、冷たく言い放つ。
「個人の不幸でいちいち世界が終わってたまるか。終わるならお前一人の人生にしてくれ。」
その声に青ざめた顔をちらりと覗かせて、隆平は涙を溜める。
「は…はくじょおものぉおお」
その言葉を聞いて男はパソコンから指を離し、中指で眼鏡を押しあげた。
「心外だな。俺はごくごく真っ当な意見を言ったつもりなんだけど。」
心底楽しそうな顔をする男に、隆平の目から滝の様に涙が溢れた。
彼の名前は
隆平の幼馴染みにして機械オタク。成績は常に学年首席。
一年生でありながら、北工随一の秀才と呼ばれていた。
その頭の良さを買われ、様々なチームに参謀として誘われているが康高はことごとく断っている。
その代わりに、康高は様々な情報網を駆使して多種多様なネタを持つ「情報屋」というポストを独自に確立していた。
これがまた儲かるらしい。
細身の長身に眼鏡、と代表的なオタクスタイルをしているが、そんな外見にそぐわず、不良相手に商売をするという、物怖じしない度胸も校内では有名だった。
たまに話しているガラの悪い連中は康高の客というわけだ。
伸びきった前髪が眼鏡の半分近く隠しているため顔がよく見えず、表情が伺いづらい。
実際隆平もここ半年程、きちんと親友の素顔を拝んだ事はなかった。
と、いうのも中学時代はもっと身だしなみがきっちりとしていて、彼の品行方正な態度は周りの信頼も厚かった印象だった。
隆平からしてみれば、それが少し堅苦しく、息苦しそうだった。
しかし有名な進学校の推薦を蹴って、この荒れ狂った高校に入った康高はまるで人が変わったかのように自由でのびのびと振舞うようになった。
『毒舌機械オタクの情報屋』という怪しさ満点のオプションが付与され、毎日楽しそうに生きている。
「なんだよお前…おれの不遇がそんなに楽しいか。」
「楽しい。」
間髪入れずに真顔で答えた康高の眼鏡には一点の曇りもない。
「なにせ昨日のお前と言ったら珍妙、と形容する以外に表し様がないほど愉快だったからな。」
眼鏡が怪しく光るのを見て、隆平はやはり相談なんぞするのでは無かったと後悔した。
昨日告白された直後、回らない頭で無意識に連絡をしたのが康高だったのだ。
「しかしまぁ隆平が告白されるとは。相手は相当いい趣味してるな。」
「おれだって不本意だよ!自分で言うのもなんだがな!!おれは地味で平凡で面白みのない男だ!!」
机を叩いて力説をする隆平を見て、康高はパソコンを操る手を止めた。
「そんなに卑屈になるな。」
「卑屈にもなるわいっ!同じ男として告白して来た奴が自分よりも男前だなんて恥の上塗りだろうが!いたたまれねえ!」
「今手放すと、もう貰い手が無いような気もするがな。そんなに嫌か。」
「嫌に決まってんだろうが!何が悲しくて高校生活一年目にして真っ当な道を踏み外さにゃならんのだ!」
「体裁を気にする必要はないぞ。最近は流行っているらしいからな。男同士の恋愛。」
「真顔で言うなぁああ!とにかく嫌だ!嫌なんだよ!」
必死な顔で迫る隆平に、こいつのこんな必死な顔見るのはいつぶりだろうな、と康高はのんきに百面相の幼馴染を眺めた。
「まぁ、どうにもならん事はないが。」
康高が少し顔を上げて隆平を窺った、その時だった。
教室内から数少ない女子の黄色い歓声が上がったのを聞いて、隆平と康高は同時に窓の外に目を向けた。
「九条先輩ー!」
「こっち向いて下さい!」
強烈な女子の歓迎を受けていたのは、怠そうに中庭を通る九条大雅であった。隣には九条と並び人気を誇る大江和仁。
女子達が窓際に詰め掛けて、熱狂する中、素早く隆平が康高の後ろに避難する。
「噂をすれば何とやら。」
自分達がいる一年生のフロアは勿論、二年、三年の階からも女子が九条や和仁に向って手を振るのが康高の目に見えた。
凄まじい人気ぶりだ。