決戦は土曜日(後編)
九条の言葉に、隆平は一瞬唇を真一文字にして、歪んだ表情をしてみせたが、すぐに困ったように僅かに笑った。
「わかってます。わかったうえで、あそこに居たんで。」
隆平がそう言うと、九条は険しい顔をしたまま面食らった様にスル、と隆平の胸倉を掴む手を緩めた。
一方隆平は自分で言いながら悲しくなって、くそ、と心の中で呟いた。
わけも分からず胸が軋むような気がして、それを誤魔化すように隆平はぐ、と九条の胸倉を掴み直した。
「でも、あの子たちは違います。」
そう言って、隆平は九条を見上げる。
「彼女たちから話を聞きました。大江先輩たちがこの人達に喧嘩を売られて連れて行かれたって。それを偶然耳にした先輩が助っ人に行ったって。虎組の人は先輩の大事な仲間だから、それはわかります。」
その言葉に、九条が困惑の色をあらわにした表情を浮かべる。
「でも、あの子達は先輩を信じて今も駅前で待ってます。先輩のことを心配して泣いてました。」
そうだ、おれとは違う、と隆平は脳裏に言葉が浮かんだ。
「あんたにとって暇つぶしにもらならないようなおれと違って、あんなに所に可愛い女の子を置き去りにしたらダメだ。」
そう言いながら、隆平の胸はぎゅう、とつぶれそうなほど痛んでいた。
怒りの感情というよりも、物悲しさに感情が支配され、目の前の九条の顔などはまともに見ることも適わなくなっていた。
「(あれ…おれ、どうしたんだろう。)」
その正体不明の感情に、隆平は唇を噛みしめる。
だがこうしている場合ではない。まだあのベンチで女の子が泣いている。九条の事が好きで、九条を心配している女の子がいるのだ。
そんな子を不安にさせてはいけない。
九条の手は、すっかり隆平の胸倉から外されて、同じく隆平も怒りが段々と消失していくような感覚に襲われて、思わず九条の胸倉を掴んだ手を緩めた。
「自分の為に心を砕いてくれる人を、無下にしたり、泣かせちゃダメです。ちゃんと、大事にしてあげないと。」
そうだ、と隆平はぐいっ、と顔を上げた。
そこには先程と同じように表情を曇らせた九条。
そんな九条に隆平は一言一言に力を入れるようにして、ハッキリと言った。
「だから早く女の子の所に帰って、安心させてあげてください。」
隆平と九条のやり取りを周りで見守っていた連中は、ほとんどが会話もなく、ただ黙ってそのやりとりに耳を澄ましていた。
だが先程までの勢いはどこへやら。
急に意気消沈してしまい、妙な雰囲気が漂い始めた二人を見て、和仁は言葉もなく悶えていた。
「王道なのは彼氏の浮気からのすれ違いぃいい‼」
ヒィイイと悶絶しながら和仁は地面を転げまわる。康高に相談した際の己の妄想が今まさに目の前で繰り広げられていることに和仁は興奮を隠せない。
「録画しとくんだったぁああ‼そして一生涯これを擦り続けて弱みに付け込んで楽しみたい‼」
そう叫びながら地面に拳を叩きつける和仁の脇を誰かがスッ、と通り抜けて行くのが見えて、和仁はえ、と思わず声を上げた。
「そこまで。」
「へ?」
微妙な表情で対峙していた隆平の腕を掴んで立ち上がらせて、九条から距離を取らせたのは、隆平には見慣れない銀髪の男だった。
その行動に膝立ちのままの九条が呟いてその姿を見上げる。
「…宗一郎。」
隆平の腕を引いたのは和田だった。
意外な人物が水を差した事に驚いたのは何も九条ばかりではない。
いつもならその役目を担うはずの和仁も、和田の行動に目を瞬かせていた。そして勿論、隆平はポカンとして口を半開きにしたままその大きな男を眺めた。九条や和仁よりもさらに上背のある男を前に、隆平の正直な感想としては「誰?」だった。
和田は隆平の腕を掴んだまま、九条を見下ろして薄っすらと笑う。
「やられたな。九条。」
「は?」
怪訝な顔をした九条に、和田は顎で敵の陣営を指す。
「…あ。」
和田に行動につられるようにして、相手の陣営を見た九条と和仁は同時に間抜けな声を上げた。
なんと相手側の陣営には梶原と数人を残して、百人はいたであろう人影が、まるで魔法の様に消えてしまっていたのである。
「…まさか。」
そう言って、あちゃ~と頭を抱える和仁に、和田が愉快そうに笑った。
「九条と千葉隆平のやり取りに俺らが夢中になってる間に少しずつ抜けていく計画だったのな。」
そう言って残った南商の生徒数人と、その中央でこちらを見ている梶原に向かって、和田が声を掛けた。
「なぁ。やっぱりこいつ、おめぇらとグルだったのか?」
「うお。」
和田は隆平の腕を引くと、彼らの前に差し出した。
その一見乱暴な仕草に、隆平は前に倒れそうになった。しかし、腕を捉えている反対の腕で優しく身体を支えられ、隆平は驚いて和田を見上げたが、和田は梶原を見据えている。
「いや、グルじゃない。ただちょっとした取引をしただけ。」
相変わらずニコニコとしながら、梶原は和田と隆平を見つめた。
「彼が囮になって俺たちを逃がしてくれる代わりに、九条君と話させて欲しいって言われたから、応じただけだよ。」