「あいつら人の話聞いてたのか…?千葉隆平は人質の価値はないってさっき言われたばっかりじゃねーか。しかも千葉隆平本人が示談…？もう意味がわかんねえぞ…なぁ和仁…。」

呆れたように和田が言いながら和仁を見ると、彼は満面の笑みで、そして大喜びで「オッケーオッケー!!」と頭の上に大きな丸を作っていた。

「…もう知らん。」

それにいい加減辟易とした和田はとうとう匙を投げた。
和田はこれまでに幾度となく和仁の愉快犯行に巻き込まれ、その度に煮え湯を飲まされてきた。
しかし今回の一件は最早理解ができない。
先も読めなければ、何が正解なのかもわからない。
全ての思惑は和仁の頭の中だ。その混沌とした脳内を、和田は覗きたくなかったし、知りたくもなかった。

「（もう時の流れに身を任せるしかねぇ。）」

こんなに疲れる思いをするのも久し振りだ。
もうなんでも良いからさっさと終わってくれ、と和田は願った。
願うしかなかった。

そうこうしている間に、隆平がガタイの良い男に担がれて虎組と相手チームの中央に降ろされる。虎組と謎の集団が睨み合うちょうど中間地点だ。そこに丁寧に降ろされ、縄を解かれる。

そこへ引き寄せられるように九条が速足で近づき、隆平の傍まで来ると、彼に目線を合わせるように膝を付いた。
そして真剣な様子で隆平の顔や体を上から下まで目視で確認する。
九条は隆平がどこも怪我をしていない事を確認すると、僅かに安堵のため息をついた。
そうして辺りが水を打った様にシン、として九条が口を開きかけた瞬間だった。

ゴッ、と鈍い音を立てて、九条は左頬に凄まじい衝撃を感じた。
一瞬何が起きたか分からず、瞬きすら忘れる。

そうしてジンジンと頬に広がる痛みに、ようやく自分が殴られたのだと気が付いた。
どうやら隆平は、立ち上がろうした状態から一気に腕を振りかぶったようだ。膝をついていた九条は倒れこそしなかったものの、予期せぬ衝撃に理解が追い付くまで数秒を要した。


それに驚愕したのはその場にいた全ての人間だ。

「示談？」

笑顔のまま固まった梶原の横で不良が銜えていた煙草をぽろ、と落とす。
それは同じく虎組にも衝撃を与えていた。
和田は言葉もなく目を皿のようにして固まっている。
それは慶介や篤志も同様だ。まるで魔法にかけられたように身動き一つとれず、ポカンとあいた口から「へ？」とほとんど空気のような間抜けな音が漏れただけだった。

その中で、和仁だけは足元から背中に駆け上がってくる感覚に、体の横で握っていた拳がぶるぶると震えた。

「（本当に殴ったんだ。あの九条を、それを二回も。）」

滅多に見れるものではない。
それはもう、和仁の表情から完全に笑みを消し去るほどの光景だった。
嘘じゃなかったんだ、とまるで夢を見ているような感覚で和仁は九条と隆平を見詰めていた。

一方で、息を呑んだ周囲を他所に、九条はようやく意識が戻ってきたのか、ハッと冷静さを取り戻すと、烈火のように怒鳴り散らした。

「何すんだてめぇええ!!」

「自分の胸にききやがれ!!この最強最悪最低野郎!!」

「なんだとてめえ」と九条が言い返そうとする前に、隆平は身を乗り出して畳みかける。

「今まであんたの事は最悪だ最低だと思って来たけどな！正直ここまで極悪だとは思わなかった!!」

そう言われて九条はぐ、っと詰まる。
それは何時間もひたすらに待たせておいて連絡の一つも入れなかったという事を言っているのだろう。
しかし、まさかここまで待つとは九条にとっても予想外だった。

「うるせえな‼頼んでもいねえのに、てめえが勝手に待ってたんだろうが！時間の無駄だったな！騙されやがって、最初っからてめえの待ち時間は裏で指差して笑う為の娯楽に過ぎねぇんだよ！」

「んな事ぁどうだっていいんだよ‼︎」

そう言うが早いか隆平の右ストレートが再び九条の顔に決まった。

「さ、三発目!!!??」

我を忘れて素で驚いた和仁を他所に、九条はまたしてもポカンと驚いたままで、反撃をするでもなく、思いっきり頭にハテナマークを浮かべて目を白黒させている。
そんな九条の胸倉を掴んで、隆平は怒り心頭でこれまでにないほど声を張り上げた。

「おれが言ってんのは、てめぇの女の事だ!!」

響き渡った声に、和田が「女？」と素っ頓狂な声を上げた。
それを聞いた慶介が、あれ？と首を傾げた。

「知らなかった？九条、今日は怜奈とバキューンしてたんだって。そんでこの後みんなでご飯食おーって桜町駅に集まってたんだよ。」

それを聞いた和仁と和田がピシリ、と固まる。

「…仮にも恋人とデートの日に他の女と？」

「…サイテーじゃねーか、九条…。」

ひでえ奴だ、と胡乱な目をした二人だったが、聞こえてきた隆平の怒声は二人が全く予想だにしていなかった言葉だった。

「あんな可愛い彼女を泣かしてんじゃねぇええ!!」