屋上事変





千葉隆平はひどく憔悴していた。


事の発端は下駄箱の中の紙切れ。


午後四時十五分。

帰宅しようと玄関で自分の下駄箱を開けた隆平は、中を見て思わず顔をしかめてしまった。
ボコボコの下駄箱の中にゴミの様に放られていたノートの切れ端に、殴り書きで、

『この紙を見たらすぐに体育館裏へ来るように。来なければ殺す』

と赤ペンで記されていたのである。
瞬間、ついにこの日が来てしまった、と隆平は悟った。



千葉隆平は今年、県立神代北工業高校に入学したばかりの一年生である。
勉学、スポーツ、容姿、家庭環境など、全てにおいて普通といえる、特段秀でたものがあるわけではない平々凡々を絵に描いたような少年だったが、不自由の無い生活を送ってきた。

その彼が、ゴミの掃き溜め、不良の巣窟と知られる北工に入学したのは、不良になりたい訳でも、問題に巻き込まれた訳でもなかった。
機械いじりが好きだったのだが、生憎彼が入学できる工業系の高校が北工しかなかったのだ。

そして覚悟を決めて入学し、半年。
記念すべき洗礼を受ける日がとうとうやってきたのである。

特に驚きはしなかった。
というのも、北工の生徒の大半は不良グループのいずれかに属していたし、この手の恐喝というのは、この学校に入ってから周りの人間が何回も被害に遭っていたため、こういった事態はある程度予測ができていたし、覚悟もしていた。

むしろ隆平のような絶好のカモが半年間ノーマークだったことが不思議なくらいだ。

どうにもならない事態だが、焦っても仕方が無い。とりあえず出来る限り穏便に解決するように努めよう、と隆平は外履きに手をかけた。
それが隆平に出来る最大限の努力だったのである。

そして体育館裏で待つこと十分。
現れたのは、北工の超有名人。
恐ろしく整った顔、高い身長、華やかな雰囲気、そして、虎を思わせる金と黒の髪。

泣く子も黙る「虎組」の九条大雅。

「俺と付き合え」


殴られた方が幾分かマシだった。



隆平が半ば強引に告白を承諾させられた後、九条は眉間に皺を寄せたまま、何も言わずに帰ってしまった。
その背中が見えなくなるまで見届けてから、隆平はようやく呪縛から解けたように、ヨロヨロとその場を後にした。
帰宅するまでの間、隆平は恐ろしい体験を繰り返し思い出しては何度も意識を失いかけた。


(ありえない。)


本日幾度と無く呟いた言葉を頭の中で繰り返す。家に着いてからもどこか上の空で、家族にも妙な顔をされたが、悩みを話す気にもなれなかった。

そして夕食後、隆平は暗い自室で布団を頭から被って、ただ悶々としていた。


(ありえない。)


なぜ、極悪非道、傲慢無礼、人面獣心のキングオブ不良が、平々凡々のキングオブ普通の自分に声を掛けるのか。

ましてや、告白なぞ。

意味不明だ。

「そもそもあれは告白なのか…?」

ムクッと起き上がり隆平は呟いた。
彼の中の告白のイメージ図は、密やかな裏庭で恥じらいに頬を染めながら行われる神聖な儀式であり、青春の甘酸っぱい思い出の一ページを飾る一大イベントのはず。
少なくとも妹から借りた少女漫画ではそうだった。

そうで無くても、生まれて初めて告白された隆平にとっては、様々な意味でショックだった。
自分と付き合ってくれるなら、顔が可愛くなくても、器量が良くなくても、ぽっちゃりでもガリガリでも、オタクでもなんでも良かった。
「千葉隆平」が好き、という理由があれば、それだけで隆平は満足できるような男だった。

だがそれはあくまで女子限定での話しだ。
初めて告白してきた相手が男だなんて、冗談にしては笑えない。
しかも告白はムードの「ム」の字も無いような、ひどく悲惨なものだった。

「…」

そこまで考えて、隆平は頭を振った。

前言撤回。
あの状況で少女漫画のようなムードがあっても困った。
どちらかというと、自分の愛読する少年漫画の、不良に恐喝される主人公のシーンの方がピンと来る。

…ピンと来るどころの話ではない。
まさにそれだ。

混乱する頭に隆平はだんだんと付いていけなくなる。恐喝、カツアゲの現場に不釣合いな愛の告白。
あの人は一体何を考えているんだろう、と疲れた脳内で、何度目になるか分からない疑問を繰り返す。

(明日からおれはどうなるんだろう。)

疲れていたはずなのに悶々と考え込んでしまい、結局朝方まで隆平に睡魔が訪れる事は無かった。
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