決戦は土曜日(後編)

怜奈にしがみ付いた麻里は、人目を憚らずわんわんと泣いている。

「なに、どうしたの、大丈夫?」

怜奈が麻里の背中を優しく撫でながら落ち着かせるようにして尋ねると、麻里はしゃっくりをあげ、怜奈にしがみ付きながら「どうしよう」と繰り返す。

「一人?他のみんなは?」

待ち合わせていた麻里が一人なのを確認すると、怜奈は背中を撫でる手は休めずに、優しく麻里に尋ねた。それにようやく顔を上げた麻里は、怜奈の肩越しに九条を見て震えた声で話し始めた。

「そ、そこのコンビニん前で皆と待ってたら、近くの店から和仁君と和田ちゃんが出てきてね、偶然だと思って声掛けようとしたら、なんかすっごい沢山の人に囲まれてて…。」

「沢山の人?」

「うん、多分、ケンカ売られたんだと思うんだけど。でも九条んとこのチームが六人くらいしかいないのに、相手が、三十人くらいいて、そのまま和仁君達、赤レンガ倉庫の方に行って。それ見た慶介と新田がヤバそうだから、って後追って行っちゃって…。それで九条が来たら知らせろって…。」

そう言って、また涙を貯めた麻里を見ながら、怜奈の顔色が変わる。

「九条…。」

麻里を抱いたまま、怜奈が強張った顔で九条を振り返った。

「ね…、やばいんじゃない?」

表情を曇らせて怜奈が青褪める理由はよくわかる。
大江和仁と和田宗一郎は九条と並ぶ虎組の顔だ。
自分達へ恨みを持った輩はそれこそ数えきれないほど存在している。
つまりこうして無防備にしている所へ喧嘩を仕掛けてくるような馬鹿は腐るほどいるのだ。
だが、状況を聞いた九条は至って冷静だった。

「(和仁と、宗一郎か。)」

麻里が知らねぇって事は残りは一年坊主だな、と九条は考えを巡らせた。
ついでに中学時代の喧嘩仲間だった慶介けいすけ篤史あつしが加勢に行ったなら、一年はせいぜい二人までとして、一人頭が大体五、六人っつったとこか、と素早く計算する。

「(なんだ、楽勝じゃねぇか。俺が行くまでもねえ。)」

だがふ、と九条はある一つの「可能性」に気がついた。
なぜあの場所に、あの少年がいないのに、「ゲーム終了」の連絡が来なかったか。
喧嘩を売られてそれ所じゃなくなったからか?
だが麻里の話だと、和仁達が連れて行かれたのは「さっき」だろ。
それまでにあいつが帰ったのなら、連絡くらい入れる時間くらいはあるはずだ。
だが、連絡はない。
と、いう事はもしかすると、ゲームは終わっていないのではないか。

あいつは帰っていない?
それでは、どこに。

そうして「ある可能性」に辿り着いた九条は、ほとんど無意識に走り出していた。

「九条!?」

驚いた怜奈が叫ぶのを聞いて、「お前らは帰れ!」とだけ言い残し、日の沈んだ町の中に九条は消えた。








「ありえねぇ。」

そうハンカチで手を拭きながら洗面台に立った隆平は、鏡に映った自分の顔に向かって呟いた。
この15分間で随分とやつれたな、と隆平は己の血走った目と、こけた頬を見て思う。
トイレに並んで約15分。隆平は三途の川を約二回ほど渡りかけ、もう漏らすしかない、と約十回ほど覚悟を決めた。しかしもう本当に限界になって、ようやく順番が巡り、なんとか人間の尊厳を守ることができた。

しかし先程の混雑は嘘のように、男子トイレはいつも通りの閑散とした姿に戻っていた。
もう誰かの陰謀としか思えねぇな、と隆平はため息を吐いたが何はともあれ一山超える事ができたのだから良しとしよう、と安堵の息を吐く。

「おれ、ほんと生きててよかった…」

思わず涙ぐみながら、ハンカチを鞄にしまう。
無事用を足すことができた隆平はベンチへと戻ろうと急いだ。

「(多分大丈夫だろうと思うけど、まさかあの野郎来てないよな。)」

そう考えながらすっかり馴染みのベンチへ駆け寄ろうとして、駅の外へと出る。
夕焼け空はすっかりと闇に染められて、微かに西の空が薄紫色に輝いていたが辺りはぐっと暗くなってしまっていた。
それをぼんやりと眺めながら、隆平はふと足を止める。

「あ…」

そこには見知らぬ二人の少女の姿があったのだ。
トイレに立っている間に席を取られてしまったらしい。

まぁ、15分も空けていたのだから仕方がないか、と隆平はベンチの近くの街灯の下に立つ。
それからチラ、とベンチに座った年上らしい少女を眺め、隆平はほんのりと、顔を赤らめてしまった。

かわいい。

二人とも文句なしに可愛い。
ふわふわと揺れる髪に大きな瞳、ぷりっとした唇。細いながらも柔らかそうな身体。細くて、綺麗な足。
思わず見とれてしまうような本当に可愛い女の子達だ。

しかし、隆平が見とれているのも束の間。
少女達の表情が暗く、一人は泣いていることに気が付く。
それから「大丈夫だから」と宥める少女の声が聞こえて、隆平は所在なさげにそわそわとして、落ち着かない気分になった。
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