決戦は土曜日(後編)


九条と怜奈が電車から降りると、辺りはすでに薄暗くなっていた。
九条は沈む太陽を見て少しだけ目を細めると立ち止まる。
辺りはネオンで明るいが、駅には夜の気配が漂いはじめていた。
反対側のホームでは桜町から帰る人達が混雑しながら電車に乗る姿が見える。
無意識に黒髪の少年へ目が行ってしまうのには流石の本人も気が付かない。立ち止まった九条を不審に思った怜奈が、九条の服を引いた。

「どうしたの?」

尋ねる怜奈に、九条は素っ気なく「別に」と答えると反対ホームから目を逸らし、改札に続く階段を降り始めた。
それに続いて怜奈が「ちょっと待ってよ」と言いながら九条の斜め後ろを慌てて付いてゆく。

階段を下りて改札に近づくと、美男美女カップルの登場に道行く人がみな振り返った。

夕方特有の、のんびりとした空気を吹っ飛ばすほどの美形と、小顔で美人な少女が並んで歩く姿は誰もが見惚れる光景だ。
いつもならそんな視線に優越感を持って、鼻高々で歩く怜奈だったが、今日は少し違う。
何時もよりも早足な九条に、買ったばかりのヒールの高いパンプスを履いた怜奈は追いつくのに必死だった。

「ねぇ、ちょっと、ちょっとってば。」

「あ?」

気持ち大きめの声を出すと、九条は少し苛々とした様に振り向いて立ち止まった。
それにホッとしながら、怜奈はふわふわと髪を揺らし、もう数メートルも離れた九条に近づきながら上目遣いで少しだけ睨む。

「ねぇ、何急いでんのよ。」

「急いでねぇ。」

「うそぉ。」

小走りになった怜奈がようやく九条に追いついて呆れた様な言い方をすると、九条は少しムッとしたように眉を潜めた。
おっと、と怜奈は口を紡ぐ。

「(これ以上はやばい。)」

九条の許容を越えないように、怜奈は慎重に言葉を選んだ。

「人多いから、見失うと困るし。」

少し目を潤ませた様に見上げると、九条は頭をがりがりと掻いて舌打ちを零し、先程よりもゆっくりと歩きはじめた。それに一息吐くと怜奈は九条の隣に並んで歩く。
ちら、とその横顔を窺うと、端整な顔は不機嫌そうに歪められていて、どことなく焦っているように見える。

そう言えば、待ち合わせ場所が桜町駅前と言ったら急に「行く」と言い出した。
ここに何か気になることでもあるのだろうか。

う~ん、と怜奈が唸っている間に二人は改札を抜けた。
それから駅前の広場に出ると、九条は再度立ち止まり、辺りを見渡し始めた。

「九条?」

怜奈が立ち止まった九条を振り返るが、九条は何かを探すように駅前全体を眺めている。
そうして、ある一点で九条の視線が止まった。

不思議に思った怜奈がその視線を追うと、その先には誰も座って居ない白いベンチが一つ、ぽつんと置かれている。

暗闇が迫った風景には、誰も座っていないベンチは闇の中にぼんやりとその白い形が浮かばせていて、ひどく空虚な印象だ。賑やかな町並みに忘れられたように置いてあるベンチは何やら物寂しい。

このベンチがどうしたのか、と怜奈が再び九条の方に顔を向けると、九条は暫くそのベンチを眺めてから、軽くため息をついた。
怜奈が「九条?」と声を掛けると、九条は無表情のまま怜奈を見返してから、くるりと踵を返した。

それに慌てたのは怜奈だ。
九条は元来た道を当たり前のように戻ってゆく。

「ちょ!!どこ行くの!?」

「帰る。」

「はぁ!!?」

帰る、と言い出した九条はスタスタと切符の販売機へと直行し、怜奈はその後ろを慌てて追いかけた。

「ね、ちょっと、何でいきなり帰るとか言うの!意味分かんないんですけど!」

販売機に金を入れると、九条は怜奈に答えず淡々と表示された料金のボタンを押した。
隣で怜奈が呼びかける声を聞きながら、九条は自分でも訳が分からないほど苛々としていた。

当たり前だ。何時間経った?
帰るに決まっている。

じゃあ、と九条は眉間に皺を寄せる。

「(じゃあ、どうして和仁は連絡を寄越さない。)」

「ゲームが終わった」と一言声を掛けてくれれば済む話だ。
そしたら、こんな所には来なかった。居ないと知っていれば。

そこまで考えて、九条はふ、と手を止めた。

「居なかったら?」


じゃあ奴が「居たら」俺はどうするつもりだったんだ?


ガンッ、と販売機を殴ると隣で喚いていた怜奈が、ビクッと身を竦ませた。
頭の中で整理仕切れない考えがぐちゃぐちゃと混ざり合って、意味が分からなくて、九条はただ苛々とした。
そして怯えた怜奈をそのままに、出てきた切符を乱暴に掴んで帰ろうとした、その時。

「怜奈!!九条!!」

唐突に切羽詰まった声で呼ばれて、九条と怜奈が振り返る。
そこには、この場所で待ち合わせていた飲み会のメンバーである麻里が、涙目で青ざめた顔をして立っていた。
「麻里…」と怜奈が呟くと、麻里は顔を歪めて、縋るように怜奈に抱きつくと、その大きな瞳から沢山の涙を零して泣きはじめた。
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