決戦は土曜日(後編)

「9時間と2分38秒」

自分の腕時計を眺めながら和田が、銜えていた煙草を灰皿に押し付けて笑った。

「ゲームオーバーだな。」

「十時間行かず、九条先輩は来ず、と。勝者無しっすね。」

そう言ってノートの残った二つの項目に横線を引いた三浦が、掛け金が返ってくると喜んだのを見て、和仁を抜かした全員が安堵のため息を吐いたのだった。
それを見ながら和田は首を回してから、座ったまま背伸びをする。
朝から同じ位置で座っていたので、すっかり体が凝り固まってしまっていたようだ。
ポキポキと体が鳴ったのを隣で、うちのじーちゃんみたいっすよ、と呟いた三浦を和田は「やかましい」と軽く窘める。

「ちょ!待った!!トイレかもしれないじゃん!戻って来たらどうすんの!」

「いい加減諦めろよ。九時間だぞ、九時間。」

十分すげぇって。と言って呆れた様にため息を吐いた和田に、だって~、と和仁が恨みがましい目で見上げる。

「半日は待ってくれると思ったのに…。」

あぁ…オレの楽しみ、娯楽、アミューズメントぉおお…とわけのわからない言葉を呟きながら和仁が崩れ落ちるのを見て、和田は心底深いため息をついた。

「おめぇなぁ、もちっとマシな趣味見つけようぜ。千葉隆平だって限界だったんじゃねぇか。あんな所に一人で九時間だぜ。あ~ぁ、可哀相によ。」

「ちっとも可哀相に聞こえないっすけど…。」

呟いた三浦は相手にせず、和田はそれに、と店の入り口を一瞥した。

「俺らの限界も考えろや、和仁。」

そう言った和田につられる様に、和仁は店の入り口付近を見た。
こちらを殺気立った目で見る輩は、もうほとんど店の至る所に溢れかえっていて、異様な雰囲気さえ漂わせていた。その殺気だった連中にあてられたのか一般人の姿は完全に消えていて、客層は虎組のメンバーと、その不気味な連中のみになっていた。

よくよく見れば喧嘩慣れしてそうな奴等もちらほらと見えはじめている。

和田や他のメンバーがそわそわとするはずだ。

「うわぁ~、南商なんしょうの連中までいやがんの。」

うげ、と舌を出した和仁の目には、見覚えのある顔がちらほら。
南商こと神代南商業高校は北工と並ぶ神代地区きっての不良校だ。
よく衝突はしていたが、最近は九条の影響で大人しかったはずだった。

「ちくしょぉ~…あいつらのせいで…。」

悔しさに和仁の拳がプルプルと震える。

「うちのメンバーが千葉君から興味が削がれちゃったじゃんか!!本当なら皆もっと待ってくれるのに。それから、それから…。これからもっと面白くなる予定だったのに…。」

「泣くな、和仁。」

お前が泣いても気持ち悪いだけだ、と和田が呟く。和仁は「ひどい」と言いながらワッと机に突っ伏した。

「もうこうなったら新しいゲームをするしかねえな。」

いじけていた和仁の頭上で和田の楽しそうな声が聞こえる。

「浮いた金で、勝負しようぜ。」

そう言いながらメンバーを見回すと和田はニカっと人好きする笑みを浮かべて、殺気立った連中を指差した。

「あいつら一人につき、1000円の報酬でどうだ?」

にやっと笑ったメンバーを見渡して、和仁はいよいよ苦虫を噛み潰したような顔になる。それからメンバーが一人、また一人と立ち上がり、最後に和仁を囲む様にして全員が立った。

「和仁、腹括れよ。」

和仁を見もせずに和田が呟いた。和仁は未練がましく、もう一回外のベンチを眺めたが、ベンチの主は影も形もない。

「あぁ、マジで帰って来ねぇ…。オレの娯楽…オレのおもちゃぁあ…。」

それに俯いて、はぁ、とまた小さなため息を吐きながら仕方ねぇな、と和仁は頭を掻いた。

そうして、顔を上げ見据えられた和仁眼光に、店の連中が少しだけ怯む。
射抜くような、暗い影を宿した瞳に、辺りがざわめくのを聞いて、和田が笑った。
そこには、「虎組の大江和仁」がいた。

「虎組の総長代理として、許可しましょ。」

「遊んであげるね。」と笑った和仁の笑顔は、心底背筋が凍る様な異常な冷たさだった。













その頃隆平は。

「兄ちゃん、大丈夫か?」

「は、はひ…」

「白目だぞ、兄ちゃん」

なぜか超絶に込んでいるトイレの長蛇の列に並び、前後のおっさんに励まされながら、隆平はその時を待っていた。
これも試練なのか、と涙目になりながら隆平は顔をこれ以上ない位に歪めてトイレの壁に持たれかかって震えた。
隣の女子トイレが空いているのを恨みがましげに眺めて隆平は地を這うような声で呟く。

「お、おれ、今らけ女の子になりたいれす…」

「気持ちは分かるが、その身空でブタ箱行きは感心しねぇな…」

「拷問だぁああ…」

そうして前にも後ろにも男性の列ができ、中央で隆平が身動きが取れない所へ、今まさに一本の電車が桜町駅に着こうとしていた。

タタン、タタンと規則的に揺れる電車の中で、ふわ、ふわと怜奈の髪が揺れる。
綺麗に色づいた夕焼けの空と、町のネオンに怜奈がわぁ、と感嘆の声を洩らした。

「みんな、もう来てるかなぁ。」

怜奈の問いにゆっくりと流れる風景を眺めながら、九条は曖昧にさぁな、と答えた。
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