決戦は土曜日(後編)

「何?」

振り返った紗希に、康高は静かに口を開いた。

「諦めるなよ。」

そう言われて、紗希は目を丸くした。
まじまじと見詰められて康高は、少し居心地が悪い気がしたが、できるだけその視線に応える様に、紗希の大きな瞳を見返した。
それから紗希の眉が少しだけ寄せられ、泣きそうな顔で力なく笑う。

「ばかだね。なんでライバルを増やすような事言うの。」

その顔に康高は、出かけた言葉をぐっ、と飲み込んでしまった。
紗希の顔は康高が今まで見てきた15歳の少女のものとはまるで思えない。
明るく、未来を見据えて笑う少女の面影はなく、痛みを堪えるような悲しい笑みだった。
それだけの覚悟を持って、紗希は隆平を諦めたのだ。
生まれた時から常に一緒で、特別な絆で結ばれた2人。
兄妹という背徳感に悩まされ、隆平を傷つけないように、隆平のために、少女は自らの気持ちを断腸の思いで断ち切ったに違いない。
人が決めた事に、自分がどうこう言える事ではないが「それでも」と康高は紗希を見据える。

「俺にもお前にも、自分にしか出来ないことはある筈だろ。俺達はまだ若いし、何もかも諦めるのはまだ早いんじゃないか。」

紗希はそれに応えることも、頷く事もせずに、ただ、悲しげに笑って、康高と由利恵に一礼してから、そのまま背を向けると静かに玄関の戸を閉めた。

それを隣で黙って見ていた由利恵が、ふ、と微笑んだ。

「あなた、お父さんみたいな事を云うようになったのね。」

「…」

康高が答えずにいると、由利恵は静かに奥の間に消えた。
康高は只遠ざかっていく足音を聞きながら、先程紗希が零した笑顔を頭の中で反芻していた。

「(俺も、昔はああいう顔をしていたのだろうか。)」

想う事に疲れて、諦めかけて、勝手に絶望して、傷ついたのだ。
自分は男で、彼女は兄弟で。
他にも、沢山理由はあるのだけれど、それでも隆平が好きなのだ。
そしてもし、男の自分の想いが許されるのなら、紗希の想いだけが許されないのはおかしい。

自分も紗希も、同じように隆平が好きなのだ。どこが違う。
その気持ちが汚いとか、おかしいとか、いけないなどと誰が言える。

「…諦めるなよ。」

そう、誰も居なくなった玄関の戸を見据えたまま呟いて、康高は部屋に戻るため踵を返した。

「(俺にできることは隆平を守ること。)」

そう自分に言い聞かせ、康高はケータイを手にしてある番号へ電話をかける。

「俺だ。悪いが頼みたいことがある。少し前、隆平の財布をスった奴を捕まえた連中。あいつらが桜町駅近辺にいないか探してくれ。」

そう言って、康高はモニターの隆平を一人眺めた。
アホ面で何を妄想しているのか、顔が少し緩んでいる。
人に言わせればありきたりの平凡男だ。
どこが良いのか、ともし問われても、康高は明確にこれだと答えられる自信はない。

だが、断言出来ることが一つある。
どこが良いかは、はっきりとは言えないが、千葉隆平という少年をとても大事に思っている。

それだけは覆しようのない事実だった。











「九条って、だれか好きになったりとかしたことないわけ?」

小首を傾げて問いかけてきた怜奈に、九条は方眉を器用に上げる。
それを見た怜奈は、どこか楽しそうだ。

二人とも風呂から上がり(勿論一人ずつ入って)、今はリビングで寛ぎながらテレビを観ている。
九条は洗った髪を乾かしもせず、未だ髪を湿らせたまま、ソファに体を沈め、ぼんやりとテレビを観ていた。
その横にちょこんと怜奈が座り、九条に疎ましく思われない程度の距離を保ちながら、同じくテレビを眺めている。

これが怜奈に言わせれば、九条に気に入られるための秘策らしい。
九条はベタベタ触られるのが嫌いだ。
それが一度関係を持っただけで勘違いをし、彼女気取りで甘く擦り寄ってくる女ならば尚更だった。
それが原因で九条から捨てられた女は怜奈が知る限りでも、少なくとも片手では足りない。
そういった前情報を収集し、どうすれば上手く九条と関係を続けて行けるかと研究した結果がこれだ。

他にも気を使い、上手く九条の機嫌を損ねない様に努力してきたお陰で、怜奈は今現在の「九条の女」というカテゴリの中でも一番の古株であり、一番「恋人」に近い所にいる。
その結果、最低限のルールを押さえておけば、少しくらいの我侭や暴言は自然と許されるようになっていた。

好きな子はいないのか、と聞かれた九条は疎ましげな顔をして怜奈を見ると小さなため息をつく。

「なんで。」

「だって~、セフレは沢山いるくせに誰とも付き合わないじゃん。」

怜奈の言葉に、九条はじと、と宜しくない目付きで視線だけ寄越すと心底ダルい、という表情をしたのだった。
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