決戦は土曜日(前編)
時計の針が午前八時ちょうどを指したのをみて、玄関で靴を履きながら隆平はあたふたと鞄を持ち上げる。
「いってらっしゃい、気をつけてね。忘れ物は?」
「大丈夫。」
玄関で見送る紗希に笑いかけながら、隆平はドアを開けた。
「紗希も今日出かけんだろ、遅れんなよ。」
「わかってるよ。隆ちゃんじゃないんだから。」
「いいなぁ。友達と遊ぶんだろ~、おれも女子に混ざりたい。」
隆平がため息をつくと、紗希はキョトンとして目を瞬かせると、次の瞬間にはクスクスと笑いはじめた。
「残念だったね、今日遊び行くのはやっちゃんの家だよ。」
「康高ん家?なんだ女子じゃないのか。」
千葉家の双子と比企康高は幼稚園からの付き合いである。三人とも仲が良く、高校生になった今でもこうして互いの家を第二の我が家と称するほど、頻繁に行き来していた。
徒歩で15分と近所にしては少し遠いが、隆平も紗希も散歩がてらに康高の家に立ち寄るのが日常茶飯事であった。
殊に紗希は高校が違うだけに休みとなると、会わない時間を埋めるかの様に、足繁く康高の家に通っている。
隆平はなんとなく、紗希は康高のことが好きなのではないか、と考えるようになっていた。
やはり幼馴染と言っても年頃になると近くの異性を意識するのだろう。
紗希が康高を好きになるのは、ごく自然な事だと隆平は思っていた。
だから応援してやろうと隆平は紗希が康高の家に行くと言い出す時はなるべく邪魔にならないように努めていた。
そんな隆平を見て、紗希が屈託なく笑う。
「いいよね、隆ちゃんは毎日やっちゃんと会ってるんだから。」
「まあな。おかげでいつも小言を聞いてるけどな。じゃあ康高によろしくな。」
「うん、いってらっしゃい。」
そう言って隆平は鞄を持って元気よく玄関から飛び出した。
外は予報通り、晴れ。
その清清しい太陽を浴びて、隆平はいってきます!と紗希に手を振り、庭の垣根の低い所を、近道!!と叫んで飛び越えて行った。
紗希はその姿を追うように突っかけのサンダルで玄関まで出ると、小さくなっていく兄の姿を見送って、苦笑する。
「年頃の女の子が男の子の家に一人で行くんだからもっと心配しなよね。」
ちぇ、と呟いた紗希に遠ざかった隆平の背中がピタリと止まる。
それに紗希が首を傾げると、隆平はくるっと振り返り大声で叫んだ。
「紗希、康高におれの妹に手ぇ出したら殺すって伝えといて!じゃあな!」
そう言って、また隆平は一目散に駆けていった。
その後ろ姿を眺めながら、紗希は思わず顔を綻ばせたのだった。
一方、こちらは九条宅。
九条大雅はいつものように目を覚ますと大きな欠伸を一つ漏らした。
それからぼんやりと部屋の掛け時計を見る。
九時。
そのデジタル表示の数字を確認し、九条は再び寝返りをうった。
「おはよぉ、ダーリン。」
一瞬、九条の時が止まった。
目の前には満面の笑みの大江和仁が九条の隣に横になっていた。
それから九条は瞬間的に眉間に深い皺を寄せると、渾身の一撃で和仁をけり倒し、ベッドから床へ落とした。
「てめぇは人ん家で何してんだ!」
「ちょ!!たんま!!短気は損気!!」
落とされた瞬間顔から床にぶつかった和仁は赤くなった鼻を押さえながら、激怒する九条に逃げ腰になりつつも待ったをかけた。
よくよく見れば和仁はきちんと私服を着ている。ということは朝早くから家に勝手に忍び込み、九条が起きるのを待っていたということになる。
ベッドの横で和仁に寝顔を見られていたのだと想像して、九条は全身に鳥肌がたった。
「いやぁ、九条がデートに遅れないように…。」
起こしに来ました。と床に正座する和仁を見て、九条は深くため息をつき、再びもそもそと布団の中へ潜っていった。その無言の抵抗を眺めた和仁は思わず苦笑する。
「そんなに嫌なの~?」
ベットに寄りかかりながら聞いてくる和仁に、九条は布団から少しだけ顔を覗かせた。
「嫌なら行かなくていいっつたのはお前だろ。」
恨めしそうな声を出す九条に、和仁はまあ確かにと頷いた。その掴み所のない和仁の言動に、九条はイライラとしながら眉根を寄せる。そんな九条を気にも止めず、和仁は晴れやかに笑った。
「嫌なら行くべきじゃないよねぇ。実はオレさぁ、九条を起こすっていうよりも、行くか行かないかが聞きたかったんだよねぇ。」
もしお前が行かないなら、と和仁はいかにも楽しそうな満面の笑みを浮かべる。
「九条の代わりにオレが千葉君で遊んでくるけど、それでもいーい?」
それは予想外の提案だった。