事件発生




放課後、鐘が鳴ると隆平は鞄を持って立ち上がった。
そして友達への挨拶もそこそこに、朝のうちに持ってきていた外履きを持って、玄関とは反対の体育館裏の昇降口へと急いだ。

部活をするために体育館へ向かう大勢の生徒の中をすり抜けながら、長い廊下を渡り終えると、小さな体育館裏の昇降口に辿り着く。

そして急いで外履きを突っかけると、体育館裏へ走った。
息を切らせてしばらく、体育館裏のガラクタ置き場に着くと、そこにはだるそうに古い教卓に寄りかかる一人の人物が目に入った。

「おせぇ」

仏頂面で隆平を出迎えたのは九条だった。
その言葉に隆平は力無く笑って、すみませんと謝る。
そんな隆平に目もくれず九条はサッサと歩き出し、隆平は慌ててその後を追った。


一緒に帰る、という難題は思っていた程辛いものではなかった。
なにせ九条の家は学校の近くで、一緒に帰ると言ってもたかだか五分程度だったし、騒がれるのが嫌でこうして裏門から帰っているため、人の目にも触れず隆平の負担も軽いものだった。

ただ一年の校舎から体育館裏まで遠く、HRが終わった途端急いで来なければこうして九条に文句を言われるのが悩みの種だった。

そして分かれ道までの無言の五分も。
さすがに帰りは和仁も付いてきてはくれずに本当に二人きりだったので、お互い会話らしい会話はほとんどない。
隆平はそれを「精神修行、静寂の五分間」と呼んでいた。

そうして歩くのが早い九条に追い付こうと走る速度を上げると、九条はなぜか立ち止まって、隆平を待っていてくれた。
珍しい事もあるな、と隆平が首を傾げて九条の近くまで歩み寄ると彼は相変わらずの仏頂面のままポツリと呟いた。

「…お前、明日マジで来んのか?」

「は?」

思わず漏れた声に、まずいと隆平は口を紡ぐ。
ちらり、と九条を見るとやはり怪訝な顔をしていた。

「はは、映画のことっすね。」

笑って誤魔化そうとすると、呆れたような九条の顔が見えて嫌な汗が伝う。

「他になにがあんだよ。」

「ははは。全く、おっしゃる通りで。」

乾いた笑いで目が死んでいる隆平を尻目に、九条は歩き出した。
また置いていかれると隆平は慌てたが、心持ちいつもより歩みを遅くしてくれているのか難なく追いつくことができて、隆平はやはり首を傾げた。
すると九条は前を向いて歩いたまま、また問いかけてくる。

「男同士で映画とか、マジで行くのかっつってんだよ。」

「だってそれも罰ゲームの一環でしょ。付き合わないわけにはいかないだろ。」

隆平が言うと前から盛大なため息が聞こえた。おや、と思い九条の横に並ぶと、隆平はそっと彼の顔を覗き込んだ。
そんな隆平を九条は横目でギッと睨むと、隆平はあからさまに視線を背ける。

「俺は最高に行きたくねぇけどな、野郎同士のデートなんざ。」

その苦々しい顔を眺めて隆平は
あ、と声を上げた。

「それ違いますよ、デートは両思いの恋人じゃないとデートにはなんないって、おれの友達が言ってました。」

ふん、と鼻を鳴らす隆平を見て九条は顔を顰めて「単純」と呟いた。

「先輩、嫌なんですか。」

「お前と二人きりで嬉しい奴なんているのかよ。」

そう言われて、隆平は少しムッとした。
そりゃあこんな冴えない男と映画なんて観に行きたいと思う奴の方が珍しいとは思うが、九条に言われると腹立たしい。

それまで作り笑いを浮かべていた隆平だったが、また沸々と沸きあがってきた怒りに顔も歪む。
やはりこの男と会話はしないほうがいい。
話せば話すほど、隆平は九条のことが嫌いになっていく。

「じゃ、来なきゃ良いじゃないですか。」

「あ?」

「おれと先輩が一緒に行ったことにして、口裏合わせれば良いでしょ。」

九条は仏頂面でのまま、むくれる隆平を眺めた。
いつかの怒った顔ではなく、怯えた顔でもなく、作り笑いでもない、初めて見る隆平の表情を見て九条は百面相だな、と心の中で呟いた。

そしていつの間にか分かれ道に差し掛かり、互いに別の方向に進路をとる。
隆平は交差点に立ち、九条に向かって頭を下げた。

「それでは、よい週末を。」

九条の顔を見ずに去ろうとする隆平の背中に向かって、「おい」と九条が呼びかける。
隆平がぶすっとした顔をして振り向くと、やはり仏頂面の九条がだるそうに隆平を眺めていた。

「誰も行かねぇとは言ってねーだろ。」

そう言って九条は隆平に背中を向けると、何事も無かったようにスタスタとその場を去ってゆく。
その言葉を聞いた隆平は交差点の真ん中で、九条の言った言葉を頭の中で反芻し、怪訝な顔のまま首を傾げた。

「…で。結局どっちなんだよ」

彼は「行く」とも言っていない。
隆平の呟きは夕暮れの町に車のクラクションでかき消されたのだった。


つづく
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