事件発生

嬉々として帰った和仁を眺めて、康高はやはり顔をしかめて体育館の入り口を眺めていた。

「あ、帰ったんだ、大江先輩。」

軽い足どりで近づいてきた隆平が両手にボールを持ちながら声をかけてくる。
その声に康高が体育館を眺めると、いつの間にか両コートの試合は終わり、他の生徒は後片付けを行っていた。少しざわめきながらちらちらと他の生徒からの視線を感じ、康高は悲嘆に暮れる。

「あぁ。不気味な笑顔を携えて帰っていった。」

貸せよ、と康高は隆平の手からボールを一つ受け取ると、それを弾ませながら倉庫に向かう。その後を隆平が小走りで追ってくるのを横目で眺めながら康高は溜息をついた。

「迷惑な事この上ない。」

「でもさ、なんか仲良くなってない?」

「…よく見えるのか。」

康高は苦虫を噛み潰した様な顔を隆平に向けた。それを見て隆平はきょとんとした顔をして首を傾げる。

「見えるよ。違うのかよ。」

純粋に問いかけてくる隆平にあぁ、まぁ、と曖昧な返事を返し言葉を濁ごす。
隆平は罰ゲームの黒幕が和仁であることや、康高が和仁に宣戦布告したことを何一つ聞かされていない。
知れば隆平に余計なプレッシャーを与えるだろうという康高の配慮からだった。特にこの数日で和仁に妙な動きは見られず、隆平に危害を加えるような事はしていなかったため、未だ伝える必要は感じていなかった。
だが最初に注意を促した様に、今でも隆平が屋上で和仁と会う前は「あいつには気をつけろ」と口をすっぱくして言い聞かせるのが康高のここ最近の日課となっていた。

しかしこうして毎日友達のように康高を尋ねて来る姿を隆平に見られていたのでは、どうも説得力に欠けるのだが、言わずにはいられない。

しかも隆平の目には和仁は面倒見が良く、気さくで案外いい人と映っているのだから始末が悪い。
そんな和仁が康高を訪ねてきた際に、隆平から質問攻めにあったのは記憶に新しい。
何時の間にそんな仲良くなったんだ?と問いかけてくる隆平に嘘も方便でやり過ごした時は、流石の康高も冷や汗をかいた。

「これが全部計算なら本当に食えない奴だよな。」

「なに?」

「独り言。」

思わず声に出した言葉にうんざりしながら康高は肩をすくめる。そしてボールを所定の位置へ戻すと、号令の笛が鳴った。
早足で戻ろうとする隆平に並んで、康高は声をかける。

「お前はどうなんだ、大丈夫か?その…九条と」

具体的に言葉にするのが躊躇われて、康高が端的に問うと、隆平はいつもと変わらない顔で首をかしげた。

「うん。今んとこ上手くやってるつもり。」

その言いようはまるで、歯を磨いている、とか顔を洗っているというような日常的に行うような気軽さがあって康高は思わず怪訝な顔をしてしまった。

「上手くって、お前な。」

そんな康高の心情を察した隆平は、軽く幼馴染の背中を叩いた。

「大丈夫だって。」

そうやって笑われると、康高はもう何も言えなかった。ため息を吐きたいのを堪えて、ぐりぐりと押し付けるように隆平の頭を撫で回してやると、下から「何すんだよ!!」と非難の声が上がる。

そうして整列し授業終了の鐘が鳴った後制服に着替え、弁当を片手に屋上へ向かう幼馴染にやはり康高は

「大江和仁には気をつけろ、無理はするな」

と口を酸っぱくして言い、隆平はそんな康高にやはり呆れたような笑みを浮かべて「わかったよ」と答えるのだった。







さて、総勢五十余人にもなる虎組のたまり場である屋上は、は相も変わらず人と活気に溢れている。

全員、とうわけではないが、大体のメンバーは屋上へ集まって好き勝手に過ごすのが彼らの日常だった。

その中心にはやはり当たり前のように九条と和仁が鎮座している。
総勢五十人ともなると、やはり総長や副総長は遠い存在だ。
しかし少しでも二人の近くに居たい、というメンバーがほとんどで、「虎組」のメンバーとして二人と同じ空間にいる、というのが彼らにとっては重要なことらしい。
それほどまでに、九条と和仁の存在というのは特別なものだった。

それ故に虎組の不良の多くは、最近屋上に出入りする少年をこぞって毛嫌いしていた。
虎組ではない上に、顔は平凡、面白みの無い性格、薄く花のない存在感。
それなのに「罰ゲーム」というお遊びにも関わらず虎組の総長と副総長を独り占めしている、場違いな男。

昼休みになるとその場にいる誰もが、キィと遠慮がちに開く扉の音に心の底から不愉快になるのは言うまでもなかった。

「こんにちはー。」

小さく響く声に騒がしかった屋上は嘘のように静まり返り、招かれざる客に冷たい視線が送られる。

毎度の事だが、その客は不良たちの癇に障るような間抜けで固い笑みを浮かべていた。

「はは…どーも、お邪魔しまーす…。」

千葉隆平の昼はこうして始まる。
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