宣戦布告
「へ…」
隆平はその言葉に固まってしまった。
意外過ぎる返答にポカンと口を開けたまま九条を凝視する。
それを疎ましく思ったのか、はたまた照れたのか、九条は隆平の視線から逃げるように顔を逸らした。
なんともらしくない、というのが隆平の率直な感想だ。
昨日までは鬼のような形相の彼に殴られ、蹴られたにもかかわらず、意外な一面を垣間見せるような仕草に、一瞬隆平は自分の口が緩むのを感じた。
それを見た九条がいかにも不機嫌そうに呟く。
「なんだよ」
その低いうなり声のような声を聞き、九条に咎められたと気が付いた隆平はハッとした。
「(おいおい、何ほんわかしてんだ、しっかりしろよ!おれ!)」
ぐるん、と勢いよく顔を九条から逸らして、隆平は心の中で己を叱咤する。
そして頭を冷やそうと深呼吸をした。
あの九条大雅が素直に謝るなんて、こんなこと有り得るのか。
いや、また何かの罰ゲームでやらされている可能性は十分ある、という結論を下した隆平は、改めて警戒態勢を整えた。
そんな隆平を見て、九条は何やら怪訝な顔をしてみせる。
「一人で変な顔してんじゃねえよ。」
「生まれた時からこの顔なんだよ…それで、なんなんですか一体。わざわざおれに謝るために、こんな所まで連れてきたんですか。」
あくまで冷静に聞き返すと、九条は少し間黙り込んだ。
じっと隆平を眺めていたが、やがて正面へ向き直り口を開く。
「まぁ…それもあるが…。」
そう言いながら、ポケットから慣れた手付きでタバコを取り出すと、おもむろに銜え火を付けた。
嫌になるほど様になる一連の動作を眺めながら、煙草が苦手な隆平は顔をしかめたが、黙って次に出される言葉を待った。
煙草の煙をふかしながら、九条は涼しい顔で隆平に視線を向ける。
「確かに昨日は暴言を吐いてお前に八つ当たりした俺が悪ぃ。だが本題は他にある。」
じゃあ今の謝罪はおまけかよ、と隆平は毒づこうとしたが、どんな報復があるかも分からないのでとりあえず黙っておこうと心に決めた。
「問題は、てめぇが俺を殴り飛ばしたってことだ。」
隆平が首を傾げた。
殴られたから殴り返したのだ。それの何処が悪いというのだろうか。
もしや、自分が殴ったせいで九条が怪我を負ったから、慰謝料を寄こせということか、とまじまじと煙草を銜える九条の顔を見るが、特別外傷は見受けられない。
それにそんなことを言うのであれば、隆平が請求したいくらいだった。
この可哀相な鼻をどうしてくれんだ、と苦い顔をする。
お陰様で鼻だってろくにかめやしないし、見た目はまるでコアラだ。
「…おれと違って先輩は何の怪我もしていないように見えるんですが。」
「あんな蚊みてーなパンチで怪我する奴なんているのかよ。」
ふぅー、と煙草の煙を吐き狭い部屋に煙が立ち込め、その煙たさに隆平は思わず咳き込んでしまう。
それからあのパンチはおれの100%中の100%だったんですけど。と恨めしそうな顔で呟いた。しかし果たして九条の耳に聞こえていたかどうかは判らない。
「俺が怪我をしたか、してねーかはこの際関係ねぇ。お前が俺を殴り飛ばしたのは事実だろうが。これがどういう意味か分かるか?」
九条はさほど短くもなっていない煙草を唐突に床に捨てると、靴で踏み潰した。
そして苦々しい顔で睨みつける隆平を眺めながら、相変わらずの無表情まま続ける。
「てめえは、うちの組を敵にまわしたんだ。」
それを聞いた隆平は思わず、え、と声をあげる。
「なんで虎組の不良ども…さんに!⁉」
突然予告された報復宣言に狼狽した隆平は思わず立ち上がる。
九条は顔色一つ変えず、悠然としていた。
「うちの組は忠義心が厚い。ほとんどの輩が俺を崇拝している。正直末端は顔も名前も分からねえような大所帯だ。それが何処の馬の骨かも分からねーようなガキに一発入れられたとなると、俺の、引いては組の面子は丸潰れだ。」
一瞬にして隆平の顔から血の気が引いた。
「ただ罰ゲームに強制参加させられただけだったら、てめぇは同情されるのが関の山だったんだろうけどな。それが昨日の今日で立派な標的に格上げだ。今に鼻だけじゃなく、全身折られることになるかもしれねえな。」
九条の言葉が隆平の耳にやけに響く。
やっぱ折られることは前提なのかよ、という些細なツッコミすら入れられない。
「そんなあいつらを抑えられんのは俺だけだ。…さぁ、どうする。」
九条の口が綺麗な弧を描く。
会って、初めて見る九条大雅の笑みだった。
「これでお前は、俺の傍に居るしかなくなったな。」
その笑みは自信があるというよりも、確信したような笑みだった。