宣戦布告

そして、当然ながら九条が向かっているとは知らずに、一年三組では通常通り授業が始まっていた。

「えー、そして1185年、今の下関市である壇ノ浦で平家は滅亡し、その後頼朝による武士社会の鎌倉幕府が成立するわけだが…」

「ぐぉ~…」

「…」

まだ授業が始まってから三十分も経っていないというのに、隆平は盛大ないびきをかいて眠っていた。

無理もない。
昨日、一昨日と九条がらみのアクシデントが原因でろくに眠れていないようだ。隣で熟睡する間抜けな顔を眺めながら、康高は本日何度目になるかわからない溜息をついた。
先ほどから教師が睨んでいるのだが、隆平を起すのは気が引けた。
鼻を机に付けないように横を向いて眠る隆平の目の下のクマがその疲労を物語っている。
そして、緩んだ顔で涎を垂らす親友の顔を眺め、康高は先程の隆平の言葉を思い出していたのである。

『おれ、九条と別れるつもりないよ。』

思い出しただけで苦々しく顔を歪めてしまうほど、納得のいかない決断だった。
康高個人の見解としては、一刻も早く、あの不愉快な輩から隆平を遠ざけてやりたいのが本音だ。
いつもならこの時点で自分に泣きついて助けを求めてくるはずだった。
だが何故、今回に限って隆平は逃げる選択をしなかったのだろう、と康高は眉を顰める。

鼻まで折られてプライドを傷つけられて。

(なんで戦うなんて言うんだよ。お前がそんなに頑張らなくたって、俺がどうにかしてやるのに。)

隆平にとっては必死の戦いかもしれないが、向こうにとってはただのゲームだ。仲間内で笑いの種にしかならないような下らない罰ゲームである。
そんなことに利用されるだけされて。

「お前、それでいいのか?」

思わず声が出て、康高は咄嗟に口を噤んだ。
ほんの小さい声だったので、教師の声に紛れて、康高の言葉が隆平に届くことはなかった。
その証拠に、隆平は気持ち良さそうに眠り続けている。
それを確認して康高はホッと息をついて、また思案にふけった。

昔から泣き虫で臆病なかわいい幼馴染だ。
隆平が望む事であれば、康高は何だってしてやれる覚悟がある。
だが隆平がそれを知る必要はない。
康高は隆平が知らない所で彼を守ることができればそれで満足だった。
それなのに、そんな自分の幸せの中に土足で入り込んできた奴らが心底許せなかった。

(まぁ、臆病なお前が戦うってんだ。)

きちんとフォローする所はしてやろう、と康高は思いながら隆平の寝顔を見る。
彼を泣かせた代償をあの傲慢な虎と赤狐に払って貰わなければ気がすまない。
ゲームだと思っている奴らに一泡吹かせてやろう。

(お前もそのつもりで言ったんだろ。)

「仕方ないから、俺も手伝ってやる。」

康高は小さく呟いた。

(どんな結末になっても、最後までお前の隣に居てやるよ。)

無邪気な寝顔の隆平を眺めて、康高は滅多に見せない優しい笑みをみせた。
するとその返事をするかの様に隆平の一段と大きないびきが教室に響き、康高は笑顔のまま「殴ったろか。」と呟いた。


そして康高と同じ思いの人間がここにも一人。
先程の盛大ないびきで、とうとう教師が痺れを切らしたのか、持っていた教科書から顔を覗かせて目を吊り上げたのである。

「…昨日、二年の九条に暴行を加えられたと聞いて大目に見ていたが…私の授業を最初から最後まで夢の中で過ごすつもりか…!」

教科書を持つ手が怒りで震えている教師を見て、康高はこりゃマズい、と隆平を眺めたが、当の本人はだらしなく口を開けたまま身動き一つしない。

「ただでさえ出席している生徒が少ないというのに、残った生徒にまで馬鹿にされたのでは教師の威厳が…!」

そう。北工の生徒のほとんどは、何れかの不良グループに属している。それは入学して半年ほどしか経たない一年生も例外ではなく、上級生に比べれば少ない方だが、全体の三割程度の生徒は、既にいずれかの組織に所属していた。
そして不良の鉄則「授業はサボる」という概念から、なるほど教室にはちらほらと空席が見受けられた。
勿論そういった輩は教師の手に負えない連中がほとんどであるため、教師は残った生徒には、なんとかナメられないように必死だ。

「我慢ならん!千葉隆平!そこになおれ!」

怒った教師が丸眼鏡を光らせて黒板から真新しいチョークを掴み、今正に振りかぶろうとした瞬間であった。
ガターンと凄まじい音がして一年三組のクラスの扉が開いた。

そこには北工最強の不良が真顔で立っていた。

突然のことに、彼を見た教師は振りかぶったままの手からチョークをぽろっと落とし、クラスメイト達はその覚えのある光景にほぼ全員が意識を失いかけた。
そして、その元凶は憎たらしい位整った顔で、平然とのたまったのである。

「すんません、授業中に。」
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