杞憂の日
「そういうわけで、こうなりました。」
「こう」と慶介が指差した方向には撃沈した九条と、その横でオロオロとする怜奈と、笑い転げる篤史。それを順々に眺めて、和仁は「なるほど」と目に浮かんだ涙を拭いながら、ようやく一息ついた。
「はー笑った笑った。それで、飲ませた成果はあった?」
訊ねた和仁に、慶介は「いーや」と首を横に振る。
「肝心なことは何一つないまま、このザマってわけ。」
聞くところによると、九条は慶介と篤史の悪巧みで様々な酒がちゃんぽんされたジョッキを一気に煽って沈没してしまったという。元から酒が強い方ではない九条が一発KOされたのは無理もない。
「バカだねぇ。もっと弱い酒から飲ませるのがセオリーでしょーが。いきなり潰しちゃってどうすんのよ。」
「早く酔うんじゃないかと思って。」
キリッとした顔をして見せた慶介に、篤史が再び笑い転げる。こちらはかなりの笑い上戸だ。
「逆にお前から何かないのか?今日何があったの、こいつ。」
そう言いながら慶介が甘い缶チューハイを和仁に放る。彼はプシッとその缶を開けながら「どうだろうねえ」と呟いた。
「個人的に愉快な事はあったけど。」
「例えば?」
「九条の謹慎処分とか。」
缶チューハイを煽りながら何気ない和仁の言葉に、怜奈の顔色が変わる。
「謹慎?なんで?」
「つい生活指導を返り討ちにしちゃったみたいで。期間は三日。」
「マジかよ!」
それを聞いた篤史と慶介が、途端に顔を輝かせて「イエーイ!」と九条の頭上で嬉しそうに各々の缶やグラスをぶつけ合って乾杯をした。
「いいぞ九条!総長たるもの謹慎くらい食らわねーとな!箔が付くなあ!」
ゲラゲラと笑う三人に怜奈が「良くないでしょ!」と机をバンと叩いて叱りつける。その振動で机に突っ伏していた九条が「ヴッ」と低く呻いたが、怜奈は気が付かなかった。
「謹慎って、大事件じゃない!かわいそう…九条。こんな上の空になるなんて、よっぽどショックだったんだよ…。」
悲しげな表情をする怜奈に、和仁が「そんなわけないっしょ」と呆れたように呟いた。
「たかだか謹慎でそんなショック受けてたら、九条は今頃死んでるよ。」
はは、と笑った和仁の声がやけに乾いて聞こえ、思わず怜奈は胡乱な目をした。
こうして和仁と会うのも「あいつ」と対面した日以来だ。その時のことを思い出して、怜奈は唇をギュッと結んで和仁を見据えた。対して、和仁はそんな怜奈の様子をニコニコとしながら見守るような優しい眼差しを浮かべている。
そんな双方の様子を交互に見た篤史が気を遣ってか、怜奈の顔色を窺うように声をかけた。
「怜奈、なんか飲む?」
「いらない。」
怜奈にすげなく断られ、敗北した篤史が慶介に泣きつくと、慶介は篤史を抱きかかえて「おお、よしよし」と慰めた。美人が素っ気ないとただひたすらに怖い。
そんな慶介と篤史を尻目に、怜奈は和仁に向かって訊ねた。
「それじゃあ九条がこんな風になっている原因ってなに?」
「さあ。オレにもさっぱり。ただ、長い付き合いで九条がこんなに情緒が乱れてるってのはさ、よっぽど腹の立つことがあったか、嬉しいことがあったか、その両方がいっぺんに来たか、どれかだと思うんだけど、これはそのさらに上を行ってる気がするね。」
「…上?」
「そ。自分の予想の範疇から想像も付かないようなことが起こって、理解が追い付いてない感じ。」
嬉しそうに話す和仁を前に、怜奈は黙って九条の方を見た。つられて、慶介と篤史も九条に視線を移す。九条は相変わらず机に突っ伏しながら、時折「ヴッ」と低く呻いている。だが、その感覚が短くなっていることに気が付いた慶介が「やば」と呟いた。
そんな九条を無視して、和仁は「怜奈チャン」と声をかけた。
「九条の周りにはさ、長らくこいつの想像も付かないようなことを起こす奴が居なかったんだよね。」
つい最近までは、と笑顔で言い放った和仁に対して、顔を強張らせた怜奈が静かに和仁を見据える。
そんな二人を他所に、九条のリミットが近付いていることに気が付いた慶介と篤史は顔面蒼白で九条の両脇を持って「待て九条!」、「あと数秒待て!」と口々に言いながら、土気色の顔をした九条をトイレに引きずっていった。
そこから間髪入れずに九条の嘔吐く声と、二人の悲鳴が響き渡った。
その声に和仁が苦笑して、怜奈は軽くため息を吐いた。
「少なくとも、あたし達には九条の情緒を乱すことなんてできない、って言いたいわけね。」
怜奈の棘のある言葉に、和仁は「そんなことないよ~!」と慌てて首を振った。
「大体オレだって九条がああなってる理由は分からないんだから。」
「どうだか…。」
ふん、と怜奈が頬杖をつくと、和仁はは、とやはり乾いた笑みを零しながら、「ところで話は変わるけど」と断りを入れて怜奈にたずねた。
「怜奈チャンは本日どんなご用向きでここに?」
篤史や慶介は先ほどの様子から九条を心配して来たことが分かった。中学時代から仲の良い友人であるため、赤レンガの喧嘩騒動から九条の様子が何かおかしいことに気が付いてわざわざ様子を見に来た。それは分かる。
それでは、彼女は一体どんな用事でここにきたのだろう、という和仁の素朴な疑問だった。
「カズくんに関係ないでしょ。」
「こりゃ失敬…。」
怜奈の塩対応に今度は和仁がしゅん、となる番だった。ここに和田が居たら間違いなく泣きついていただろうが、そんな相手も居らず、和仁は眉毛を情けなく下げるに留まった。
「何か力になれることがあればと思ったんだけど。」
そう和仁が言うと、怜奈はつい、と横目で和仁を一瞥したが、すぐ伏し目がちになって先ほど九条が突っ伏していた机に視線を落とした。
「別に…。九条の情緒を乱すほどの事でもないから。」
そう言う怜奈の表情が暗いことに気が付いた和仁は、幾分決まりが悪そうに口元を己の掌で隠した。
九条の様子を見て愉快な気持ちだったが、怜奈の恋心を知らないわけではない。その上で先ほどの発言はかなり意地の悪いものだった、とガラにもなく反省をした。そうしてソワソワとしているうちに、篤史と慶介がやいやいと言いながら、土気色から若干顔色の戻った九条を抱えて戻ってきた。
「あぶねえ、こいつマジでほんと、間一髪だった!」
「怜奈、やばくない?引いてんじゃない?」
そう言いながら、先ほどと同じような体制で九条をローテーブルの前に座らせる。九条はまだ酔いが残ったままのようで、ボーっとしている。
九条が帰ってくると、怜奈は暗かった表情をパッと変えて、なんでも無いように笑ってみせた。
「引いてはないけど、今日はお預けみたいだね。九条、あたし帰るからね。九条と違って明日も学校あるし。」
ふふ、と怜奈が笑うと篤史と慶介が九条を小突いて「ざまあみろ」と笑った。怜奈が帰り支度をして自分の鞄にふと目をやって手を止める。今日九条に「あるもの」を渡すためにここに来た。もしかしたらすげなく帰されることも予想していたが、酔っているのであれば都合が良い。勢いに任せて渡してしまおう、と怜奈はそれを手に取って、九条の前に置いた。それを覗き込んだ和仁と篤史と慶介がそれぞれに顔を見合わせる。
「九条、麻里の代わり必要でしょ。今度一緒にそこに行って、女の子探して来ようよ。」
麻里、と聞いて、篤史と慶介がドキリと肩を揺らした。
麻里とは、少し前に九条に切られた少女の名前だ。九条が気に入っていた巨乳の持ち主だったが、九条の怒りを買ってしまったのだ。
九条に切られた麻里を篤史と慶介が懸命に励まし、篤史に至っては「俺は麻里のこと好きだよ。」とどさくさに紛れて告白をしたが、速攻で振られてしまった。そんな辛い思い出が蘇った篤史が先ほどの九条と同じポーズで臨終した。
それを見た慶介が九条を強めに小突く。
「お前さあ、こんなにお前の事想ってる女子の前で醜態晒すなよ…。」
若干語気が強めになっているのは慶介の個人的な感情だろう。小突かれた九条は「女子」という単語にピク、と反応を示して見せた。
「女子が…俺を…?」
九条の言葉に慶介が苦々しい顔をして「そうだよ」と呟いた。
「こんなにお前のこと考えてる女の子、他にいねーぞ。」
「…俺のことを…考えている…。」
慶介の言葉に、九条が顔をあげてぼんやりとした表情で怜奈を見据えた。一方怜奈は九条の行動にどき、としながら黙ってその場に固まった。
九条は怜奈の顔をじっ、と見ると、虚ろな目でぼそっと呟いた。
「は…?ちげーわ…。こいつは…美人じゃねーか…。」
「え?」
「…顔が…良すぎる。」
そう言って九条はローテーブルにゴッ、と痛そうな音と立てて、再び机に倒れ込んだ。
そんな九条を見た和仁と慶介が「あ~あ」と声をあげると、スッと怜奈が立ち上がった。二人が怜奈の方を見ると、怜奈は口元に手を当てて顔を真っ赤にしていた。そんな怜奈を見て、声をかけようとした和仁の脇を通り過ぎて、「あたし帰るから」と足早に玄関へ行った怜奈の背中を見送った和仁と慶介は、黙ったままそれぞれの想いを込めて、強めに九条の頭を殴った。
そんな九条が誰にも聞こえないような声で「あいつは…もっとどうしようもねえブスだわ…。」と呟いたことは、和仁や慶介、篤史は勿論、怜奈が知る由もない。
その後、暗くなって街灯がぽつぽつと続く住宅街を見目麗しい少女が、真っ赤な顔を両手で包み込み、口元が緩めてキャー!キャー!と言いながら街を早歩きで歩く姿が目撃された。
そして、九条家のリビングのローテーブルには二人の男の臨終した姿。
そしてテーブルの上には「聖和代学院高等学校文化祭入場チケット」が一枚置かれていた。
つづく。
「こう」と慶介が指差した方向には撃沈した九条と、その横でオロオロとする怜奈と、笑い転げる篤史。それを順々に眺めて、和仁は「なるほど」と目に浮かんだ涙を拭いながら、ようやく一息ついた。
「はー笑った笑った。それで、飲ませた成果はあった?」
訊ねた和仁に、慶介は「いーや」と首を横に振る。
「肝心なことは何一つないまま、このザマってわけ。」
聞くところによると、九条は慶介と篤史の悪巧みで様々な酒がちゃんぽんされたジョッキを一気に煽って沈没してしまったという。元から酒が強い方ではない九条が一発KOされたのは無理もない。
「バカだねぇ。もっと弱い酒から飲ませるのがセオリーでしょーが。いきなり潰しちゃってどうすんのよ。」
「早く酔うんじゃないかと思って。」
キリッとした顔をして見せた慶介に、篤史が再び笑い転げる。こちらはかなりの笑い上戸だ。
「逆にお前から何かないのか?今日何があったの、こいつ。」
そう言いながら慶介が甘い缶チューハイを和仁に放る。彼はプシッとその缶を開けながら「どうだろうねえ」と呟いた。
「個人的に愉快な事はあったけど。」
「例えば?」
「九条の謹慎処分とか。」
缶チューハイを煽りながら何気ない和仁の言葉に、怜奈の顔色が変わる。
「謹慎?なんで?」
「つい生活指導を返り討ちにしちゃったみたいで。期間は三日。」
「マジかよ!」
それを聞いた篤史と慶介が、途端に顔を輝かせて「イエーイ!」と九条の頭上で嬉しそうに各々の缶やグラスをぶつけ合って乾杯をした。
「いいぞ九条!総長たるもの謹慎くらい食らわねーとな!箔が付くなあ!」
ゲラゲラと笑う三人に怜奈が「良くないでしょ!」と机をバンと叩いて叱りつける。その振動で机に突っ伏していた九条が「ヴッ」と低く呻いたが、怜奈は気が付かなかった。
「謹慎って、大事件じゃない!かわいそう…九条。こんな上の空になるなんて、よっぽどショックだったんだよ…。」
悲しげな表情をする怜奈に、和仁が「そんなわけないっしょ」と呆れたように呟いた。
「たかだか謹慎でそんなショック受けてたら、九条は今頃死んでるよ。」
はは、と笑った和仁の声がやけに乾いて聞こえ、思わず怜奈は胡乱な目をした。
こうして和仁と会うのも「あいつ」と対面した日以来だ。その時のことを思い出して、怜奈は唇をギュッと結んで和仁を見据えた。対して、和仁はそんな怜奈の様子をニコニコとしながら見守るような優しい眼差しを浮かべている。
そんな双方の様子を交互に見た篤史が気を遣ってか、怜奈の顔色を窺うように声をかけた。
「怜奈、なんか飲む?」
「いらない。」
怜奈にすげなく断られ、敗北した篤史が慶介に泣きつくと、慶介は篤史を抱きかかえて「おお、よしよし」と慰めた。美人が素っ気ないとただひたすらに怖い。
そんな慶介と篤史を尻目に、怜奈は和仁に向かって訊ねた。
「それじゃあ九条がこんな風になっている原因ってなに?」
「さあ。オレにもさっぱり。ただ、長い付き合いで九条がこんなに情緒が乱れてるってのはさ、よっぽど腹の立つことがあったか、嬉しいことがあったか、その両方がいっぺんに来たか、どれかだと思うんだけど、これはそのさらに上を行ってる気がするね。」
「…上?」
「そ。自分の予想の範疇から想像も付かないようなことが起こって、理解が追い付いてない感じ。」
嬉しそうに話す和仁を前に、怜奈は黙って九条の方を見た。つられて、慶介と篤史も九条に視線を移す。九条は相変わらず机に突っ伏しながら、時折「ヴッ」と低く呻いている。だが、その感覚が短くなっていることに気が付いた慶介が「やば」と呟いた。
そんな九条を無視して、和仁は「怜奈チャン」と声をかけた。
「九条の周りにはさ、長らくこいつの想像も付かないようなことを起こす奴が居なかったんだよね。」
つい最近までは、と笑顔で言い放った和仁に対して、顔を強張らせた怜奈が静かに和仁を見据える。
そんな二人を他所に、九条のリミットが近付いていることに気が付いた慶介と篤史は顔面蒼白で九条の両脇を持って「待て九条!」、「あと数秒待て!」と口々に言いながら、土気色の顔をした九条をトイレに引きずっていった。
そこから間髪入れずに九条の嘔吐く声と、二人の悲鳴が響き渡った。
その声に和仁が苦笑して、怜奈は軽くため息を吐いた。
「少なくとも、あたし達には九条の情緒を乱すことなんてできない、って言いたいわけね。」
怜奈の棘のある言葉に、和仁は「そんなことないよ~!」と慌てて首を振った。
「大体オレだって九条がああなってる理由は分からないんだから。」
「どうだか…。」
ふん、と怜奈が頬杖をつくと、和仁はは、とやはり乾いた笑みを零しながら、「ところで話は変わるけど」と断りを入れて怜奈にたずねた。
「怜奈チャンは本日どんなご用向きでここに?」
篤史や慶介は先ほどの様子から九条を心配して来たことが分かった。中学時代から仲の良い友人であるため、赤レンガの喧嘩騒動から九条の様子が何かおかしいことに気が付いてわざわざ様子を見に来た。それは分かる。
それでは、彼女は一体どんな用事でここにきたのだろう、という和仁の素朴な疑問だった。
「カズくんに関係ないでしょ。」
「こりゃ失敬…。」
怜奈の塩対応に今度は和仁がしゅん、となる番だった。ここに和田が居たら間違いなく泣きついていただろうが、そんな相手も居らず、和仁は眉毛を情けなく下げるに留まった。
「何か力になれることがあればと思ったんだけど。」
そう和仁が言うと、怜奈はつい、と横目で和仁を一瞥したが、すぐ伏し目がちになって先ほど九条が突っ伏していた机に視線を落とした。
「別に…。九条の情緒を乱すほどの事でもないから。」
そう言う怜奈の表情が暗いことに気が付いた和仁は、幾分決まりが悪そうに口元を己の掌で隠した。
九条の様子を見て愉快な気持ちだったが、怜奈の恋心を知らないわけではない。その上で先ほどの発言はかなり意地の悪いものだった、とガラにもなく反省をした。そうしてソワソワとしているうちに、篤史と慶介がやいやいと言いながら、土気色から若干顔色の戻った九条を抱えて戻ってきた。
「あぶねえ、こいつマジでほんと、間一髪だった!」
「怜奈、やばくない?引いてんじゃない?」
そう言いながら、先ほどと同じような体制で九条をローテーブルの前に座らせる。九条はまだ酔いが残ったままのようで、ボーっとしている。
九条が帰ってくると、怜奈は暗かった表情をパッと変えて、なんでも無いように笑ってみせた。
「引いてはないけど、今日はお預けみたいだね。九条、あたし帰るからね。九条と違って明日も学校あるし。」
ふふ、と怜奈が笑うと篤史と慶介が九条を小突いて「ざまあみろ」と笑った。怜奈が帰り支度をして自分の鞄にふと目をやって手を止める。今日九条に「あるもの」を渡すためにここに来た。もしかしたらすげなく帰されることも予想していたが、酔っているのであれば都合が良い。勢いに任せて渡してしまおう、と怜奈はそれを手に取って、九条の前に置いた。それを覗き込んだ和仁と篤史と慶介がそれぞれに顔を見合わせる。
「九条、麻里の代わり必要でしょ。今度一緒にそこに行って、女の子探して来ようよ。」
麻里、と聞いて、篤史と慶介がドキリと肩を揺らした。
麻里とは、少し前に九条に切られた少女の名前だ。九条が気に入っていた巨乳の持ち主だったが、九条の怒りを買ってしまったのだ。
九条に切られた麻里を篤史と慶介が懸命に励まし、篤史に至っては「俺は麻里のこと好きだよ。」とどさくさに紛れて告白をしたが、速攻で振られてしまった。そんな辛い思い出が蘇った篤史が先ほどの九条と同じポーズで臨終した。
それを見た慶介が九条を強めに小突く。
「お前さあ、こんなにお前の事想ってる女子の前で醜態晒すなよ…。」
若干語気が強めになっているのは慶介の個人的な感情だろう。小突かれた九条は「女子」という単語にピク、と反応を示して見せた。
「女子が…俺を…?」
九条の言葉に慶介が苦々しい顔をして「そうだよ」と呟いた。
「こんなにお前のこと考えてる女の子、他にいねーぞ。」
「…俺のことを…考えている…。」
慶介の言葉に、九条が顔をあげてぼんやりとした表情で怜奈を見据えた。一方怜奈は九条の行動にどき、としながら黙ってその場に固まった。
九条は怜奈の顔をじっ、と見ると、虚ろな目でぼそっと呟いた。
「は…?ちげーわ…。こいつは…美人じゃねーか…。」
「え?」
「…顔が…良すぎる。」
そう言って九条はローテーブルにゴッ、と痛そうな音と立てて、再び机に倒れ込んだ。
そんな九条を見た和仁と慶介が「あ~あ」と声をあげると、スッと怜奈が立ち上がった。二人が怜奈の方を見ると、怜奈は口元に手を当てて顔を真っ赤にしていた。そんな怜奈を見て、声をかけようとした和仁の脇を通り過ぎて、「あたし帰るから」と足早に玄関へ行った怜奈の背中を見送った和仁と慶介は、黙ったままそれぞれの想いを込めて、強めに九条の頭を殴った。
そんな九条が誰にも聞こえないような声で「あいつは…もっとどうしようもねえブスだわ…。」と呟いたことは、和仁や慶介、篤史は勿論、怜奈が知る由もない。
その後、暗くなって街灯がぽつぽつと続く住宅街を見目麗しい少女が、真っ赤な顔を両手で包み込み、口元が緩めてキャー!キャー!と言いながら街を早歩きで歩く姿が目撃された。
そして、九条家のリビングのローテーブルには二人の男の臨終した姿。
そしてテーブルの上には「聖和代学院高等学校文化祭入場チケット」が一枚置かれていた。
つづく。