杞憂の日

「上等だ、この野郎…。」

額に青筋を浮かばせながら、九条は悪鬼のような表情をして隆平を見下ろした。

「お望み通り、散々遊んでゴミくずみてぇに捨ててやろうじゃねえか。」

ブチ切れている九条を前にして、「それはおれが女の子だったら、っていう話じゃ?」という考えが一瞬脳裏を過ぎったが、ここまできたらもう関係無いか、と隆平は考えを改める。九条は大層ご立腹のようだ。

「もう容赦しねぇ。てめぇが泣こうが喚こうが、俺に楯突いたことを死ぬほど後悔させてやる。覚悟しとけ。」

ようやく痛みの引いてきた掌に、ギリギリと爪が食い込むほど握り込んでいる九条を前にして、隆平は「どうぞご勝手に」と鼻で笑った。

「おれは誰かさんと違って、逃げも隠れもしませんし、裏でコソコソと他人を使って攻撃なんかしませんから。」

「てめぇ‼小山の時に明らかなサポートがあったじゃねぇか‼どの口が言ってんだゴルァ‼」

「あんたが先に仕掛けてきたからだろ‼三浦くんまで巻き込みやがって‼多勢に無勢の状態でサポートも無しに激弱のおれが乗り越えられるわけねぇだろ‼おれは‼最初から‼あんただけなのに‼」

「……………………………は?」

勢いで再び隆平の胸倉を掴んだ九条は、先ほどまでの勢いが嘘のように隆平の言葉を聞き、ピシリと固まった。

「………………………俺、だけ?」

カー、カーと遠くから間抜けなカラスの鳴き声が響いてきたが、そんな九条の様子に気が付かない隆平は、胸倉を掴まれたまま顔が近づいた至近距離のまま唾を飛ばす勢いで喚いた。

「てめーの他に誰が居るんじゃい‼最初っっっから罰ゲームはおれとお前だけの泥仕合だろうが‼よそ見してんじゃねえぞ‼おれの頭はあんたのことでいっぱいだ‼」

「………………………………………………は?」

眼下で喚く隆平を他所に、九条の脳内は色んな色がごちゃまぜのマーブル模様がウルトラマンのオープニングのようにぐるぐると目まぐるしく変わったかと思うと、意識が宇宙空間まで飛ばされてそこで思考が完全に停止した。
目の前の隆平が「毎日反吐が出る思いで憎らしくてぎゃふんと言わせたくて毎日毎時間毎秒アンタへの復讐を日々考えてんだぞ‼」と息巻いているが九条には全く聞こえない。
魔法のように隆平の「あんただけ」と「あんたのことでいっぱい」という言葉がリフレインされている。

一方隆平は反論してこない九条を不審に思い、眉根を寄せて彼の顔を覗き込み、ようやく九条がトリップしていることに気が付いた。

「聞けやぁあああ‼」

そう叫んだ隆平は、胸倉を掴まれた状態のまま九条の頭をガシッと両手で掴むと、彼に頭突きをお見舞いした。

「⁉」

額に受けた衝撃に、ようやく宇宙空間から帰ってきた九条が驚いて目を瞬かせると、眼前には歯を食いしばった少年の顔と彼の額の包帯に、昼間とは別の血が滲んでいる。
あ、と思う間もなく九条はを隆平の胸倉から片手を外すと、その傷口に手を伸ばそうとした。が、横から隆平の腕が伸びてきて、それを阻止する。

「くっそ、あんた石頭かよ!いってぇええ‼」

また傷口ひらいた!と目に涙を浮かべながらこちらを睨む隆平の顔に、九条はぐっ、と何かを飲み込んだ。

「お前のせいで今日二回目の出血だわ‼二回とも‼どっちも‼お前のせいで!」

くそ~‼と己の額を触る隆平に、九条はまだ意識を半分宇宙空間に残したままの頭で「俺のせいで…?」と繰り返す。

「これはおれの決意の証なんだ!気安く触るな‼」

そう言いながら隆平は掴んでいた九条の腕を乱暴に放ると、彼は意識がだんだんと現世に還ってきたのか、幾分しっかりとした声で「決意?」と聞き返す。

「そうだよ!自分で割ったんだ!今までの自分と決別するためにな!」

そう言いながら額を撫でていた隆平は九条から距離を取って「目が覚めたかよ」と尋ねた。

「そういうわけだから。」

どういうわけだ、と頭の中でツッコミを入れた九条だが、まだ完全に意識が戻ってきていないまま、隆平の方を黙って見る他ない。

「あんたも謹慎の間、せいぜいおれのことを散々遊んでゴミくずみてぇに捨てる算段とやらを立てておくんだな‼おれもお前のことだけ考えて三日間過ごすから、首洗って待ってろよ!」

「…。」

「よそ見すんなよ。」

じゃあな‼謹慎野郎‼と隆平は踵を返して反対方向へと歩いてゆく。

途中、環境整備をしていた野良仕事の恰好をした老夫婦に「ボクたち、喧嘩?」と聞かれていたが「いえ!僕たちお付き合いしているんです‼」というクソデカボイスが近所中に響き渡った。
その応答に「なんだ痴話喧嘩か。」と野良仕事に戻る老夫婦と、ドスドスと効果音が聞こえてきそうな隆平の後ろ姿をぼんやりと眺めながら、九条はしばらくそのまま道に突っ立って、隆平の背中が見えなくなる頃に、ようやくハッと我に返った。



「……………………………………………は?」

九条の口から出たのは、それだけだった。
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