杞憂の日










「で、なに着てったらいいと思う?」

「知るか。」


膝の上に乗せたパソコンから目を離さない康高に、三浦はぷくっと頬を膨らませると机をガタガタと揺らした。

「ひでーよ比企康高!!ちゃんとオレの話聞いてよ!!悩んでんの!!オレ!すげー悩んでんの!!」

子供のように駄々をこねる三浦を前に、康高は全く相手にしない。
そもそも教室に現れるなり、神妙な顔をして康高の机の上に正座し始めただけで迷惑極まりない。

その上、土曜日に出掛けるんだけど、どんな服を着てったらいい?なんて、どうでも良い相談を持ちかけられては、康高の眉間の渓谷が深まるのは当然のことだ。



三浦がふらりと1年3組の教室に現れたのは昼休みも終盤になってからだ。


ここ最近まじめに授業に参加していた三浦だったが、今日は午前の授業に顔を見せることはなかった。
おそらく隆平がいなかったためだろう。


そんな三浦の登場に教室の空気が一瞬凍りついたのは数分前。


周りの空気を全く読まず、三浦は「土曜日のおでかけに何着てこう~!ルンルン」とまるで見当違いの話題で盛り上がっている。

「…三浦、お前こんなところで油を売っている場合じゃないだろ。」

「なんで?」

「なんでって…。」

こてんと首を傾げる三浦の姿に、康高はいよいよ頭が痛くなってくる。
「土曜のお出掛け」とやらにどれほど浮かれているのか知らないが、まさか例の事件の情報が耳に入っていないのだろうか。


「いいか。俺はお前デートプランなんぞに、これっっっっぱかしの興味もない。」

「え…?い、いや、ちがっ!!ちげーし!!デ、デデデデートじゃねーしっ!!ちげーしっ!!」

デートと聞いて動揺しはじめた三浦を前に、康高はこんな繊細の「せ」の字も持ち合わせていないような男にも恥じらう気持ちが多少なりにも存在することに感心したが、今はそれどころではない。

「だからお前がどこに行こうと知らん。大事なのは今この学校内で起こっている問題だ。」

「ちょっと待てよ!!オレのはなんかもうやばいの!!超やばいんだって!」

「やかましい。いいか、お前はさっさと和田でも見付けて今後の対策を検討しろ。」

「なんなの⁉なんで相談に乗ってくんねーの!?」

「…あのな三浦。知らないなら教えてやる。今日重大な事件が起きたんだ。」

「もー!!違うんだって、オレのはもっと大変なの!!すげーんだって!!」

「聞け。今日の午前中、お前んとこの大将が職員室で寺田を殴って病院送りにした。良くて停学、最悪な場合、九条は退学だ。」

「オレ、土曜に千葉隆平と聖和代の文化祭に行くんだよ!!」








「「…………………なんだって?」」






大声で土曜日のことを打ち明けた三浦に対し、康高は最初こそ聞き流したものの、1拍の間を置いて聞き返した。
逆に、三浦も最初こそ康高の話を聞き逃していたものの、何やらこの男がとてつもないことを話しているということに気が付いたのか、両手に拳を握ったままポカンとした顔をしている。

「ちょい待ち…え、九条先輩がなに?」

「いや待て。お前、土曜日、誰と、どこへ行くって?」

「…。」

「…。」

完璧に双方フリーズした状態で見つめ合うこと数十秒。

「なんでお前が聖和代の文化祭に行くんだ!」
「九条センパイが停学!!??なんで!!??」
「どういうことだ、隆平が直接お前に言ったのか。」
「この時期に停学ってええええ――!!!しかも寺田を殴ってってえええええ―――!!!」
「あの馬鹿…よりにもよってなんでこいつを…!」
「じゃあこれから色々大変じゃねーか!!わ、わわわわ和田センパイ―!!!」
「いや、ちょっと待て、だいたい隆平はどうした、もう来ているのか。」

互いに捲し立てるように相手に責めよるが、双方ともに混乱の極みに達しており、クラスメイトはといえば、その二人の混乱ぶりをただ傍観するしかない。
三浦に関してはいつものことだが、康高が取り乱すのは珍しい。

互いに困惑しながら真剣に思案し始めたその時だった。
ガラ、と静まり返った教室にドアの開く音がした、ふいに康高、三浦がそちらの方に視線を向けると、そこには渦中の人物の姿が。

「…あ。」
「…あ。」

二人が口をポカンと開けてまぬけな声を出したのは同時だった。

そこには黒雲を背負い、どんよりとした表情の隆平が立っていた。

貧相かつ幸薄そうな表情がいつもよりもずっとやつれているように見えるのは気のせいだろうか。
彼はすっかり疲れた表情をしてフラフラと自分の席まで辿りついたかと思うと、両者になんともいえないような瀕死の笑顔をふりしぼって見せた。

「…康高さん…おはよう。」

「…もう昼だ。」

康高が反射的に突っ込む。
隆平は、椅子を康高の横まで無言で引きずり、彼にぴたりと身体をくっつけて座った。
そして鞄を抱きしめたままげっそりとした顔で一言。

「康高さん、おれ…もう帰りたい。」

「まだ昼だ。」

「単位が足りなくなるぞ、馬鹿が。」と間髪いれずに思わずツッこんでしまった康高に、隆平は顔からありとあらゆる液体を放出させながら「だって聞いてくれよ康高ぁあああああああ!!!」としがみ付いてきた。

康高は水濡れに弱い電子機器類を守るため、とりあえず腕をめいっぱい突っぱねて拒否したのだった。




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