杞憂の日

隆平がギョッとした顔をすると、和田は再びため息を吐いた。

「今日は俺とあいつが生徒指導に呼ばれてたんだ。」

「あ…なるほど…。」

「タイミングが悪かったみてーだな。平気か?」

「はい、おれは怪我もこれくらいで…」

「あー…怪我の他に…。」

「他?」

「………いや。」

口ごもる和田に、隆平はまっすぐに顔をあげ、前を見据えた。

「大丈夫です!」

隆平の答えに、和田は苦笑して優しく隆平の頭をぽんぽん、と叩いた。
何も無かった訳がない。
怪我以外にもきっと…。
それが容易に想像できるだけに彼の「大丈夫」が痛ましい。
そんな姿を見ると、なんだか和田の方が泣きそうになってしまう。


「あ~んなんだか甘く切ない雰囲気~~~」

「!!!」

感傷にひたっていた和田の背後から突如として間伸びした声が聞こえた。
声の正体である赤い髪は、和田の背中にべったりとくっつきながら、彼の耳にふう、と息を拭きかける。

「~~~~っ‼‼‼」

和田は振りかえりざま、反射的にその物体を殴り、「それ」は鼻血を拭きながらきれいな放物線を描いて廊下にぐしゃ、と落ちた。

「うおおおおお和仁おめぇええええいきなり背後から現れるなって何遍言ったら分かるんだぁあああああ!!!!」

「はぁはぁ…いや、職員室で恋の香りがしたもんでつい…探したよ和田チャン…」

「つい、じゃねぇえええええ!!!うおぇええええ!!!耳が腐る!!!おめぇも病院に行け!!寺田のように‼‼」

ピアスだらけの耳を煩わしそうに掻きながら和田が全身に鳥肌を立たせていると、和仁が流れ出した鼻血を拭いながら立ち上がった。

「てか何の騒ぎ?さっき寺田が運ばれてったけど、どうしたのよ。とうとう病院送りになったの?やっちまったの?やったじゃん。」

「やったのは俺じゃねぇ…九条だ。まぁ…お陰で生徒指導はのびた。」

「最近しつこかったからね~。お祭りが近いからクギを打っておく予定だったんだろうけど…あ、ちょうどよかった。そのお祭りのことで話があんだけど。」

「話だぁ?」

「そうそう。大事なお話だからあっちでしましょう、そうしましょう。」

和仁の胡散臭い笑みに、和田が嫌そうな顔をしたのと、「あの…」と遠慮がちな声が聞こえてきたのは同時だった。

「では、おれはこれで…。」

鞄を胸に抱えて和仁から距離を取るように後ずさる隆平を見て、和田と和仁が同時にハッとした。

「ごめーん千葉くん!!存在が空気すぎて!!あ、いや、忘れてたんじゃないの!!あまりに自然に周りの風景と同化しちゃってて!!」

「フォローになってねぇよ。」

反射で突っ込んだ和田に、隆平は愛想笑いを浮かべるので精一杯だ。
隆平自身、彼らの失礼な言葉に気を悪くするどころか、逆に大江和仁には関わりたくないという気持ちから、そのまま忘れられていた方がよかった、というのが本音である。

「いえ、なんと言うか…次の授業もあるんで、おれはこれで…」

失礼します、と逃れようとした隆平の首根っこを和仁が笑顔で「お待ちなさ~い」とがっしりと掴んだ。

「千葉くんにも関係することだし、いい機会だからちょっとお話ししましょーね~」

「!!」

ひょえーと言う顔をした隆平に、和田が「俺も一緒だから大丈夫だ、…多分」と呟く。
その「多分」が非常に不安だったが、がっちりとホールドされ、逃げ場を失った隆平は、白目になったまま、二人に引きずられていかざるをえなかったのだった。

「失礼しましたぁ~。」

ガラガラと、和仁が笑顔で扉を閉め、職員室は静寂に包まれる。



「…どうなってんだ…あいつの交友関係は…。」



「のり」の呟きが職員室に静かにこだまする。
その言葉に、誰ともなく頷いた。







「それにしても俺は教師陣の脆弱さが心配だぜ…。みんな固まっちまいやがんの。」

「んなこたぁねぇよ~。さっきの顔腫れらかしたのって"のり"でしょ。」

「のり…ああ、桃屋の。一年の学年主任か。」

「あいつ、2週間前オレと九条が千葉くんを連れていくために教室へ行ったとき、ちょうど授業しててね~そんときは気絶しちゃったのにさぁ、今日は立ち向かったっぽかったじゃん。」

「…へぇ。」

「人は日々成長するもんなんだねぇ。」

「おめぇが言うとバカにしてるようにしか聞こえねぇよ…。」

廊下で白目の隆平を引きずりながら、和田と和仁の間でこんな会話が交わされていたのを、隆平はもちろん、「のり」が知るはずもなかった。
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