杞憂の日


青天の霹靂。


三浦の不良友達数名は、満場一致でこの言葉を頭に思い浮かべた。
彼らの目の前には小さな二人の少年の姿。

二人とも何故か互いの手を握ってニコニコと笑っている。

その手にあるのは超がつくほどのプレミアムな「聖和代学院高等学校文化祭入場チケット」が握られていた。



月曜日の三時間目。
科目は英語。
三浦が最も苦手としている科目である。
そのためエスケープを図った三浦に付き合い、例によって数名の男子によるパワプロの開催が決定したのが30分前。
試合も終盤にさしかかり、この上ない盛り上がりを見せる最中、会場である科学室の引き戸が予告無くカラカラと開き「失礼します…」と遠慮がちな声が響いたのが30秒前だ。


「三浦君、いますか?」

ちょうど投手が自慢の一球を投げたのと同時に、バッター三浦はコントローラーを握ったまま弾かれたように立ち上がると、茶色の大きな目をぐりぐりっと見開いた。

「ち、千葉隆平っ‼」

「ぶっ」

三浦はコントローラーを投げ捨てて素早く隆平の元へ駆け寄ると、勢いに任せて彼の頬をがっしりと両手で挟みこんだ。
隆平の頭に巻かれた包帯を目にすると、たちまち三浦の表情が心配に曇る。
土日を挟んで顔を合せることがなかったため、三浦が隆平に会うのは実に二日ぶりだ。

「なんだよお前!学校来て良いのか?朝教室にいなかったから、今日は来ねぇと思ったのに!」

「治療で病院に寄って来たんだ。つか、三浦君こそ大丈夫か?おれより怪我すごかったのに!」

隆平が三浦のほっぺのガーゼを指差すとその顔が僅かに赤くなった。

「こ、こんなの全然…っ!」

唇を尖らせた三浦が恥ずかしさを紛らわすように「お前だって!」と隆平の額の包帯を反撃といわんばかりに軽くつつくと、隆平が痛みに顔をしかめた。

「いっだ」

「あっ、あーごめん!ごめんな!!」

だいじょうぶか?と慌てる三浦に、隆平は額を手で押さえながら顔をあげて悪戯っぽく笑ってみせた。

「へへ…今のはちょっと大袈裟にした。」

「な、なんだよ!!」

おまえぇ!!と声をあげ、じゃれるように隆平の腕や肩を掴んで「なんだよバカヤロー‼」と喚く三浦に、隆平はケラケラと楽しそうに笑い声を立てて「ごめんってば!!」と謝りながら彼の腕を掴んで攻撃に応戦する。
その子犬のようなじゃれあいに、残された不良連中がジーッと眺めていると、隆平が唐突に「あ」と何かを思い出し、学生服のポケットから慌ただしげに細長の紙を一枚取り出した。

「…千葉隆平…?」

「あ、あのさ三浦君…」

急に改まった様子の隆平に三浦が首を傾げる。

「先週は本当にありがとう。えーと…すごく心強かったです。」

「う、うん?」

「それで、えーと…お礼って言ったらその、おかしいかもしれないけど…今度の土曜日、暇?」

「?」

隆平の問いに、三浦はきょとんとした顔をしながらも「うん」と頷いた。

「あのさ、もしイヤじゃなかったら…おれと…」

おれと…と言って、隆平の語尾がどんどんと小さくなる。
三浦は隆平の手の中で震えるチケットと隆平の顔を交互に見ながら「え?え?」と僅かに動揺しながらその言葉を待った。
そしてついに決心したらしい隆平がチケットを三浦の鳩尾にドスっと押し付けた。

「ゔっ!」

「おれと…!!!せ、聖和代の文化祭に行きませんかっ!!!」

「かっ…!!」、「かっ…!」という隆平の言葉が木霊し、科学室がしーん、と静まり返る。
オマケに不良達の咥えていたタバコがぽろ、と床に落ちた。


金曜、病院から帰った隆平は家族からの粛清を受けた後、紗希から手渡された文化祭のチケットを誰に渡そうか悶々と悩んでいたのである。
チケットを眺めながら、康高が行けないのであればどうしよう?と。
一体誰を誘おうか。
誰を…。
候補者の顔が浮かんでは消えて、また浮かんでは消える。
中学校からの友人…高校の友達…紗希と共通の知り合い…。


そうして丸2日かけて悩んだ結果行き着いたのが…。

「オ、オレ…⁉」

予想だにしなかった隆平のお誘いに驚きを隠せない様子の三浦は、ぽかんと口を開けた。

「…」

…しばらくの静寂を耐え、返事の無い三浦に痺れを切らした隆平が真一文字にしていた口をひらきかける。
するとまるでそれに呼応するかのように、三浦が隆平の手をチケットごと両手でガシっと掴み、それに驚いた隆平はビクリと体を震わせた。

「うおっ」

隆平が三浦の顔を見ると、彼は顔を真っ赤にしてぶんぶんと高速で首を縦に振っている。

「み、三浦君…?」

「…行く…」

「…え?」

「い…行く!!!」

「ほ、ほんと!!!??」

頷く三浦に、彼の承諾を理解した隆平は、三浦と同じくらいに真っ赤にさせた。
それから心底嬉しそうにパアッと顔を輝かせながら「ありがとう!!」と無邪気に喜んで握った手を振った。

「じゃあ、じゃああとで集合場所とか決めような!!おれ先に遅刻届書きに行かないと…」

「お、おう!」

「それじゃあ、また後で!」

そう言って隆平は軽い足取りで廊下を駆けて行き、三浦はその姿が見えなくなるまで見送った。
そしてクシャクシャになった聖和代の文化祭チケットを大事に抱えながらへなへなと床に座り込むと、三浦は熱っぽい溜息をひとつ吐き、夢見るような瞳でチケットを眺めてボソッと呟いた。

「…オレ、オレ、今…なんかうれしくて泣きそう…。」

「俺等はツッコミどころが多くて泣きそうだよ…。」

そう呟いた不良連中が協議した結果、いちばん初めのツッコミが「お前ら付き合いたてのカップルか!!」だった。
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