暗中飛躍(後編)




さて、和田が三浦の頭をかき混ぜたのとほぼ同刻、大江和仁は明るい階段を上りきり、屋上への扉をあけた。



瞬間、眩しい陽光と鮮烈な青色が一面に広がり、和仁は目を細める。
誰もいない屋上の床にはところどころに黒ずんだ点々模様が見て取れ、和仁はわずかに眉をしかめた。

「(なんかデジャヴ…。)」

風が頬を撫でて、髪が視界を塞ぐ。
黒ずんだ染みの持ち主の顔がにわかに浮かんだ。
少なくとも先ほど階段ですれ違った小山達に目立った外傷はみられなかったはずだ。
と、すると…。
さらさらと流れる赤い髪に視界を遮ぎられたまま、和仁は髪を振り払うように振り向いた。

そうして口角を上げる。


入口の真上に設置された給水塔。
そこに日光を浴びてキラキラと光る金色を見つけたのだ。
和仁は給水塔へ上がるための錆びた螺旋階段に足をかけ、カンカン、と乾いた音を立てて昇り切ると、給水塔を背凭れに、ひどく眺めのいい特等席で煙草をふかす総長のもとへ歩みよった。

「ただいま。」

目を閉じた九条の前にたつと、不意にできた陰りに、九条がゆっくりと目をあける。
そこで和仁は愛想よく「よう」と笑った。
和仁の姿に、九条は表情一つかえない。
ただ面倒くさそうに目を細めただけだった。

「ちょっと。あからさまに『うわ、めんどくせぇ』って顔しないでよ。」

「…熊谷はどうした。」

「片づけました~。お前が期待するような収穫はなかったけどね。いやあ、苦労したわ。」

和仁の言葉に九条は全く関心なく「へぇ」とだけ返す。
「苦労した」という言葉のわりに、ほとんど乱れていない制服を見せつけられては、労いの言葉をかけることすら馬鹿らしい。
その反応に和仁は苦笑いをして見せた。
彼が熊谷のシロクロに初めから興味がないことは明白だ。
九条にとって熊谷制圧はただ、自分と和田を屋上から追い出すためだけの口実であるということに和仁は気付いている。

「それで?そっちはどうだったのさ。」

「儲かりまして?」と首を傾げた和仁に、九条は視線だけあげた。
小山が屋上から追い出された時点で、「お遊び」が失敗であったことは分かり切っていることだが、和仁は失敗に至った経緯が知りたかった。

それに、だ。

失敗したにも関わらず、九条のこの落ち着きようは異常としか言いようがない。
問われた九条はフー、と白煙を青い空に吐き出すと「別に」と短く応える。

「ほとんど小山の仕切りだ。儲けもクソもねー。」

「…賭けなかったの?」

和仁はポカン、とした顔をして見せる。

「ウソ。まさか一円も?」

「…。」

「ありえねぇ。高みの見物を決め込んで、ほんとうにただ傍観してただけ?」

「…るせぇな。」

「じゃあ何?殴られた奴の泣き顔とか嫌がる顔とか怖がる顔を見て興奮したとか?」

「それはテメェだろド変態。」

苦々しい顔をして煙草を噛んだ九条の顔をみて、和仁はさらに大きな溜息をはいた。

「ちょっとなんなわけ~⁉︎オレと和田チャンは北工の主力になるチームを一個ダメにしてきてんだよ~?それもこれもお前のワガママに付き合ってやったのに、その本人がただ傍観してただって?ジョーダンきついよー。こっちのリスクも少しは考えてよね~。」

「リスクね…。」

九条はフィルターを焼き切った煙草を吐きだすと、横でブツブツと文句を言う和仁の言葉を流しながら、新しい煙草を取り出しながら呟いた。

「4人だ。」

「ん?」

九条の言葉に和仁はきょとん、として見せる。

「4人?」

「テメェを抜かせば3人だな。」

「???」

意味が分からない、という感じで、和仁が腕を組んで首をかしげると、九条は煙草に火をつけながら落ち着いた様子で続けた。

「この四日の間に、ずいぶん『玩具』を可愛がってくれてたそうじゃねーか。」

「…ははぁ。」

そう来たか、と和仁はようやく九条の言わんとすることが何かわかった。
「4人」とは小山のタレこみにより判明した、千葉隆平側の人間の数だ。

「(心外だなぁ。オレはむしろ中立的な立場なのに。)」

唇を尖らせた和仁は、九条の言葉がずいぶんと不服だったが、ここで下手な言いわけをして完璧な虎組サイドに組み込まれるのも嫌なので、黙っていることにした。

しかし。
そこで「あれ?」と首を傾げる。

「(4人?)」

九条の言葉に、自分の掌を出した和仁は、指を折りはじめた。

「(千葉君の味方…和田チャン…春樹…そして…オレ。)」

指折りは、三本目でストップした。
何回やっても、中指で止まる。
はて、と和仁が目を細めると、九条がその様子を見て、フー、と細く白い糸のような煙を吐くと、和仁と同じように、自分の掌の指を折りはじめた。

「小山から報告を受けたのは宗一郎と、あいつが目をかけてやってる一年坊主。」

「三浦ね。」

「それで二人。てめぇは罰ゲームの初めっからそうだったから、報告を受けるまでもねぇ。」

「なるほど。」

「これで、三人。」

九条の手も、中指で止まる。
が、九条は中指で止まったままの手を眺めながら口を開いた。

「今日、あいつは小山の動きを止めた。」

「へぇ。」

和仁が思わず感嘆の声を漏らした。
凶悪と名高い小山を出し抜くことができるなんて大したものだ。そこで和仁はようやく小山の機嫌が悪かった理由を知った。

「女と同じくらい口うるせぇ小山を、たった一言で黙らせた。生憎、なんて言ったかは知らねぇが、他にも同じ手口で数人を黙らせた。そしてあいつらは悠々とここを出て行ったわけだ。」

「…。」

「ここで、4人。」

九条の薬指が曲がった。

「誰かが裏であいつに指示を出したようだな。力で勝てねぇあいつに首尾よく逃げる方法を教える裏方がいた。お前と宗一郎は仕事中。一年坊主は死にかけだ。じゃあ誰が?」

九条はニヤ、と笑った。

「簡単だ。俺と同じく高みの見物をしてた奴がいたんだよ。…じゃあ、それは一体どこのどいつだ?」

和仁の腕にぞわーっと鳥肌が立った。
誰だ、だと?和仁の心臓が早鐘のように鳴る。

「(そんなの、この世にたった1人しかいないじゃないのよ。)」

「えーと九条さん、それは…」


「邪魔なんだよ。」

九条の声が、ズンと重みを持って和仁の内臓に落ちるように響く。

「シロかクロか分からねぇ大事な戦力を削るリスクから考えたら、あからさまに俺らに立て付いている『そいつ』を消すのに、異論はねぇだろ?」

ぞくぞく、と和仁の身体に電流のようなものが走る。

「(あらまーーーいやだどうしたよう。とんでもねぇことになっちゃったよ。)」

和仁本人でさえ、今現在、自分が笑っているのかどうなのか察しが付かなかった。
九条はあえてその人物の名前を口にしないが、実際の所、彼がどれほど千葉隆平の身辺を把握しているのかは分からない。

それでも、彼は気が付いたのだ。


「(まいったね。)」


「そいつは俺等のゲームには必要ねぇ。」


「(さあ、どうする)」


「そうだろ、和仁。」


「(どうすんのよ、オレ。)」
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