暗中飛躍(後編)
三浦の取り乱しように、和田が「こら」と後ろから彼の脳天に目がけ、軽い手刀を繰り出した。
「安心しろ。それくらいの出血じゃ死なねぇよ。ただ、あんまり揺らすな。」
「わ、わ、わだしぇんぱあああああい!!!」
「ええい張り付くな!!鼻血か鼻水か涙かヨダレか…とにかく顔の液体を俺の制服で拭くな!!」
康高の言うとおり、一階廊下の突き当たりで「世界の中心で愛を叫ぶ」状態になっていたちっちゃいもの倶楽部の二人を発見した和田は、二人の姿にわずかに顔を曇らせた。
想像よりも奮闘したらしい二人は言葉どおりボロボロの姿。
よほど心細かったに違いない。
和田の姿を見た瞬間、三浦が隆平を抱えたまま、凄まじいスピードで激突してきたのを止む負えなく一時は受け止めたものの、彼が自分の制服をちり紙代わりにしたのを見止めて、和田は怒鳴りながら三浦の首根っこを捕まえた。
それでも和田にしがみついたままオンオンと泣く三浦と、白目のまま首をグラングランと揺らす隆平の頭を抱えて、和田は溜息を吐いた。
「うわああああああん、ぜんぱいいいいいいいい!!!」
「わーった。わーったよ…悪かったな。」
やれやれ、と言った様子で和田が少年二人を抱えてなだめてやっていると、その横で康高が屈んで隆平の額の様子をうかがうように覗きこんできたので、和田は隆平を康高に預けた。
康高は隆平の身体をゆっくりと自分の胸に凭れかかせると、彼の濡れた前髪を優しくかきわけ、血だらけの額の様子を伺いはじめた。
それがまるで壊れ物を扱うような、ひどく優しい動作で、その様子がなんとなく黙って見ていられなくて、和田が思わず「どうだ?」と聞くと、康高は和田を見もせず呟いた。
「見た目より大したことは無いみたいです。」
「そ、そうか。」
それならいい、うん、と曖昧に頷いて和田がぎこちなく視線を逸らす。
康高の気持ちを分かっているぶん、見てはいけないものをみているような感覚だった。
そんな和田の動揺も知らず、康高は隆平をおんぶすると、ゆっくりと立ち上がった。
「じゃあ、これはこっちで回収しますので、そっちはよろしくお願いします。」
そっち、と指差された三浦は、あ、と声をあげて和田から離れると康高に駆け寄って、背中の隆平を見た。
「千葉隆平、どうすんの?」
「保健室に連れていく。場合によってはまた病院行きだけどな。」
また、という言葉に三浦は眉を潜めた。
それを気にした様子もなく、そのまま歩き出そうとした康高の背中に三浦が「あのさ!」と呼びかける。
「オレが…。」
「…。」
顔を曇らせて俯いた三浦に、康高は足を止めた。
それから小さな溜息を吐いて振り返る。
三浦が彼なりに責任を感じているのが伝わってくる。
そうしているうちに、項垂れた少年の横に、和田が並んで立って、康高を見据えた。
「…悪かった。」
「…。」
「三浦だけの責任じゃねぇ。肝心なときに役に立たなかったのは俺だ。千葉の怪我は、俺がつけたようなもんだ。」
すまねぇ、と和田が俯くように頭を下げたのを見て、三浦も90度に腰を折り曲げた。
「千葉が目を覚ましたら、謝っておいてくれ。守ってやれなくて悪かった。」
両者に頭を下げられた康高は、黙ってその姿を見て隆平をおぶったまま、片手で器用にケータイを取り出すと…。
パシャ。
「…。」
その姿をばっちりカメラに収めた。
「おめぇえええええはよぉおおおおおおおお!!!」
額に青筋を浮かべて和田が康高に殴りかかろうとするところを必死に三浦が止めにかかっていると、その写真を保存し終えた康高が静かな口調で「謝る必要がどこにあります。」と呟いた。
「謝るのはこいつの方だ。こいつは自分のケンカに三浦を巻き込んで怪我をさせた。」
「…。」
「こいつの血だらけの額は、こいつが自分で割ったんだ。虎組に付けられた傷なんて青あざ程度だ。あんた達に落ち度は無い。」
額を割ったのが隆平本人、と聞いた和田が目を丸くする。
確認を取るように和田が三浦の方を見ると、彼は実に気まずそうに頷いた。
「甘えた自分がよっぽど許せなかったんですよ。あんた等に頼りっきりなことや、心のどこかに九条への期待があったこと。こいつの甘さと馬鹿さ加減は底なしだ。」
「…。」
康高の言葉に、三浦が真面目くさった顔で「でも」と口をひらいた。
「千葉隆平はオレのこと、かばってくれたよ。」
三浦の顔を見た康高は、その言葉に珍しく笑い、ずれ下がってきた隆平の姿勢を直すと、三浦の額をこん、と手の甲で軽く叩いた。
「それは、お前が隆平と同じくらい馬鹿だったからだよ。」
それを聞いた三浦はぶわ、と目に涙を溜めて、しかし嬉しそうに顔をキラキラとさせ「うん」と頷く。
「にぼしと牛乳でも飲んで、めいっぱい寝ておけ。」と続けた康高の言葉に、三浦はもっと強く「うん」と応えた。
「それから和田先輩、あんたの後輩の働きに感謝して、新しい情報をひとつプレゼント。」
「んだよ。」
わずかに和田が身構えると、康高は背中で「ううう」と唸りはじめた隆平を無視しながら淡々とした口調でこたえた。
「熊谷はシロですよ。」
「…。」
新しいどころの話じゃねぇ、と和田は苦笑してみせた。
その顔を見て、康高は踵を返すと長い廊下を歩きはじめた。
「こえーヤツ。」
その背中を見送り、気が抜けたように和田が呟くと、隣の三浦が「センパイ」と呟いたのが聞こえた。
その呼びかけに和田がちら、と三浦の方に視線を送ると、彼は小さくなる康高の背中を見据えたまま、太股のよこで固い握りこぶしをつくっていた。
「オレ、もうちょっとマトモになりたいっす。」
「…。」
ふい、と視線をもとに戻すと、もうそこに康高の姿は無かった。
和田はボリボリと頭をかくと、ズボンのポケットから煙草を取り出して口にくわえた。
「小山に何発くれてやったよ。」
「…。」
「…ヒットは無しか。」
「………足に、噛みついたっす。」
三浦の歯切れの悪い答えに、和田は一瞬目を丸くしたが、思わず吹き出して声を出して笑いながら、三浦の頭を乱暴にかき混ぜた。
「いいじゃねえか!上出来だ!」
「安心しろ。それくらいの出血じゃ死なねぇよ。ただ、あんまり揺らすな。」
「わ、わ、わだしぇんぱあああああい!!!」
「ええい張り付くな!!鼻血か鼻水か涙かヨダレか…とにかく顔の液体を俺の制服で拭くな!!」
康高の言うとおり、一階廊下の突き当たりで「世界の中心で愛を叫ぶ」状態になっていたちっちゃいもの倶楽部の二人を発見した和田は、二人の姿にわずかに顔を曇らせた。
想像よりも奮闘したらしい二人は言葉どおりボロボロの姿。
よほど心細かったに違いない。
和田の姿を見た瞬間、三浦が隆平を抱えたまま、凄まじいスピードで激突してきたのを止む負えなく一時は受け止めたものの、彼が自分の制服をちり紙代わりにしたのを見止めて、和田は怒鳴りながら三浦の首根っこを捕まえた。
それでも和田にしがみついたままオンオンと泣く三浦と、白目のまま首をグラングランと揺らす隆平の頭を抱えて、和田は溜息を吐いた。
「うわああああああん、ぜんぱいいいいいいいい!!!」
「わーった。わーったよ…悪かったな。」
やれやれ、と言った様子で和田が少年二人を抱えてなだめてやっていると、その横で康高が屈んで隆平の額の様子をうかがうように覗きこんできたので、和田は隆平を康高に預けた。
康高は隆平の身体をゆっくりと自分の胸に凭れかかせると、彼の濡れた前髪を優しくかきわけ、血だらけの額の様子を伺いはじめた。
それがまるで壊れ物を扱うような、ひどく優しい動作で、その様子がなんとなく黙って見ていられなくて、和田が思わず「どうだ?」と聞くと、康高は和田を見もせず呟いた。
「見た目より大したことは無いみたいです。」
「そ、そうか。」
それならいい、うん、と曖昧に頷いて和田がぎこちなく視線を逸らす。
康高の気持ちを分かっているぶん、見てはいけないものをみているような感覚だった。
そんな和田の動揺も知らず、康高は隆平をおんぶすると、ゆっくりと立ち上がった。
「じゃあ、これはこっちで回収しますので、そっちはよろしくお願いします。」
そっち、と指差された三浦は、あ、と声をあげて和田から離れると康高に駆け寄って、背中の隆平を見た。
「千葉隆平、どうすんの?」
「保健室に連れていく。場合によってはまた病院行きだけどな。」
また、という言葉に三浦は眉を潜めた。
それを気にした様子もなく、そのまま歩き出そうとした康高の背中に三浦が「あのさ!」と呼びかける。
「オレが…。」
「…。」
顔を曇らせて俯いた三浦に、康高は足を止めた。
それから小さな溜息を吐いて振り返る。
三浦が彼なりに責任を感じているのが伝わってくる。
そうしているうちに、項垂れた少年の横に、和田が並んで立って、康高を見据えた。
「…悪かった。」
「…。」
「三浦だけの責任じゃねぇ。肝心なときに役に立たなかったのは俺だ。千葉の怪我は、俺がつけたようなもんだ。」
すまねぇ、と和田が俯くように頭を下げたのを見て、三浦も90度に腰を折り曲げた。
「千葉が目を覚ましたら、謝っておいてくれ。守ってやれなくて悪かった。」
両者に頭を下げられた康高は、黙ってその姿を見て隆平をおぶったまま、片手で器用にケータイを取り出すと…。
パシャ。
「…。」
その姿をばっちりカメラに収めた。
「おめぇえええええはよぉおおおおおおおお!!!」
額に青筋を浮かべて和田が康高に殴りかかろうとするところを必死に三浦が止めにかかっていると、その写真を保存し終えた康高が静かな口調で「謝る必要がどこにあります。」と呟いた。
「謝るのはこいつの方だ。こいつは自分のケンカに三浦を巻き込んで怪我をさせた。」
「…。」
「こいつの血だらけの額は、こいつが自分で割ったんだ。虎組に付けられた傷なんて青あざ程度だ。あんた達に落ち度は無い。」
額を割ったのが隆平本人、と聞いた和田が目を丸くする。
確認を取るように和田が三浦の方を見ると、彼は実に気まずそうに頷いた。
「甘えた自分がよっぽど許せなかったんですよ。あんた等に頼りっきりなことや、心のどこかに九条への期待があったこと。こいつの甘さと馬鹿さ加減は底なしだ。」
「…。」
康高の言葉に、三浦が真面目くさった顔で「でも」と口をひらいた。
「千葉隆平はオレのこと、かばってくれたよ。」
三浦の顔を見た康高は、その言葉に珍しく笑い、ずれ下がってきた隆平の姿勢を直すと、三浦の額をこん、と手の甲で軽く叩いた。
「それは、お前が隆平と同じくらい馬鹿だったからだよ。」
それを聞いた三浦はぶわ、と目に涙を溜めて、しかし嬉しそうに顔をキラキラとさせ「うん」と頷く。
「にぼしと牛乳でも飲んで、めいっぱい寝ておけ。」と続けた康高の言葉に、三浦はもっと強く「うん」と応えた。
「それから和田先輩、あんたの後輩の働きに感謝して、新しい情報をひとつプレゼント。」
「んだよ。」
わずかに和田が身構えると、康高は背中で「ううう」と唸りはじめた隆平を無視しながら淡々とした口調でこたえた。
「熊谷はシロですよ。」
「…。」
新しいどころの話じゃねぇ、と和田は苦笑してみせた。
その顔を見て、康高は踵を返すと長い廊下を歩きはじめた。
「こえーヤツ。」
その背中を見送り、気が抜けたように和田が呟くと、隣の三浦が「センパイ」と呟いたのが聞こえた。
その呼びかけに和田がちら、と三浦の方に視線を送ると、彼は小さくなる康高の背中を見据えたまま、太股のよこで固い握りこぶしをつくっていた。
「オレ、もうちょっとマトモになりたいっす。」
「…。」
ふい、と視線をもとに戻すと、もうそこに康高の姿は無かった。
和田はボリボリと頭をかくと、ズボンのポケットから煙草を取り出して口にくわえた。
「小山に何発くれてやったよ。」
「…。」
「…ヒットは無しか。」
「………足に、噛みついたっす。」
三浦の歯切れの悪い答えに、和田は一瞬目を丸くしたが、思わず吹き出して声を出して笑いながら、三浦の頭を乱暴にかき混ぜた。
「いいじゃねえか!上出来だ!」