暗中飛躍(後編)
三浦の叫び声が長い廊下に響いてからしばらく。
そこから幾分も離れていない新校舎の東階段を和仁はタンタン、と音をたてながらのぼっていた。
大将に任務遂行の意を伝えるべく、和田と旧校舎の屋上で別れ「後かたづけ」を済ませた和仁は、鼻歌交じりに快調なペースで屋上を目指していたのだ。
彼がちょうど四階の踊り場にさしかかったときだった。
上から騒々しい足音がいくつも聞こえ、赤い髪をふわ、と揺らして和仁が頭上を仰ぐと、そこに数人の男たちが現れた。
「っ!和仁…っ」
「よ~小山くん。」
前髪の間から瞳を覗かせた和仁が、上層にいる小山を見上げながら呑気に手を上げて応えると、小山以下、数名のメンバーが足を止める。
屋上から降りてきたと思われる彼らは、今まで九条と「遊び」に興じていた連中だ。
和仁は「あれあれ?」と肩をすくめながら彼らに問いかけた。
「その様子だと、屋上のお遊びはひと段落着いたのかな?」
和仁の言葉に、先頭をきっていた小山がひどく機嫌の悪そうな顔をして和仁を睨みつけた。
もちろんそれで和仁が怯むはずもない。
彼はあいかわらず間延びした口調で連中に話しかける。
「ざんねん。オレも参加したかったのに。さぞ楽しかったんだろうねぇ。」
「…てめえ、分かって聞いてんならタチ悪いぞ。」
「やーん、そんなのずーっと前から知ってるでしょ?」
苦々しい顔をした小山は苛立たしげに階段の踊り場に設置してあったゴミ箱を力任せに蹴飛ばした。
蓋が外れたゴミ箱は、中身を階段に吐き出した。
音を立てて階下に落ちたゴミ箱を眺めた和仁は、途端に呆れた顔をしてみせる。
「…その様子だと上手くいかなかったみたいだね。あ〜それで九条に屋上から追い出されたのか。」
「るせぇ!!ちくしょう、あの野郎…!!」
相当苛立っている小山をみて、和仁は人知れずほくそ笑む。
小山の言う「あの野郎」が、九条のことではないことを和仁は知っている。
この男の怒り具合からして、彼の算段通りに事が運ばず、今回の「遊び」は標的であったはずの小さな二人組に軍配があがったようだ。
いずれにせよ小山をここまで激昂させることに成功した二人を思い浮かべると、おかしくてたまらない。
理由は簡単だ。
「仕方ねぇよ。千葉君って見た目だけなら百人中百人が『あーこいつ秒殺できるわ』って思っちゃうもんねぇ。」
でもさ、と和仁は目もとから笑みを消した。
「少なくとも、秒殺はできないって事がわかった?」
「…」
「よかったね、一つ賢くなったじゃん。」
「…お前のこと、たまにマジで殺してやりたくなる時があるよ。」
そう言って、小山は和仁の横を通り過ぎてゆく。
それに続き、他のメンバーが早足で彼の後をついてゆくのを見ていた和仁は、数人の足音が聞こえなくなるまでそこに立っていた。
そしてやがてその音も聞こえなくなると、呟くように「おかしいやつ」と口をひらく。
「遊びのつもりでナメてかかって、マジになってやがんの。」
呟いて、和仁は日の当たる明るい階段にゆっくりと足をかけ、タンタン、と再び上りはじめた。
「んで、こらまた…」
「派手にやられたな…。」
白目をむきながら気絶している隆平と、その隆平を抱えながらわんわんと泣いている三浦を見下ろしながら、同時に溜息をついたのは、康高と和田だった。
旧校舎の屋上から和仁と別れ、和田は空腹を堪えて、ただ一心に新校舎の屋上を目指していた。
九条が自分や和仁を追い払ってまで行った「お遊び」が一体どんなものか、和田には想像もつかなかったが、とりあえず二人の後輩の…せめて隆平だけでも、自分が防護壁になって守ってやれれば、と足を速める。
そして、あともう少しで東階段に行きつく、というところの廊下の角を曲がった際、和田は、壁の影からにゅっと出てきた足に、見事にひっかかって転倒した。
ズザァアアアアアと、まるでコントのように和田が廊下を腹這いに滑ってゆく様を見て、冷静な声を出したのは、足を出した康高だった。
「滑りすぎですよ、先輩。」
「てめぇえええええええ比企ぃいいいいいい!!!!」
康高の声を聞くなり目にも止まらない早さで起き上がった和田は、これまた目にも止まらない早さで康高に詰め寄った。
「俺になんの恨みがあるんだ、おめーは!!!」
「個人的な恨みはありませんが、止まって貰うにはこれが一番有効かと思ったので。」
「声をかけろ声を!!!」
目を吊り上げて怒鳴る和田に、周りの生徒が驚いた表情でこちらをみていることに気が付いた和田は、ハッとして「こんなことしてる場合じゃねぇ!!」と踵を返した。
その際、和田の上履きのカカトと踏んだ康高により、和田が再び転ぶ。
「おめぇはよぉおおおお」
完全に据わった目で和田がブルブル震えながら再び康高に詰め寄ると、康高は「人の話を聞こうとしないからですよ。」と呆れたように呟いた。
「ちっちゃいもの倶楽部の救出に出向くところでしょう。」
「!」
「屋上に向かっても無駄です。奴ら、今は一階廊下の突き当たりに居ますから。」
「おめぇ、なんで」
「俺もこれから向かうところです。」
「行きますよ。」と促され、和田は疑う間もなく康高の後をついてゆく羽目となった。
そして、一階まで階段を下りたところで「千葉隆平ぃいいいい!!!死ぬなぁああああああ!!!」という声が響いたのであった。