暗中飛躍(後編)

その謝罪に思わず三浦が怪訝な顔をすると、隆平は掴んだままだった三浦の腕から手を離した。
今の謝罪はどうやら壁へ激突するのに巻き添えにして悪かった、ということらしい。

「いや…お前が…。」

隆平の顔を見た三浦は言葉を失う。
彼の額は真っ赤に染まって、見た目にかなり痛いありさまだった。

「…大丈夫か?」

三浦がおそるおそる窺うと、隆平は黙ったままコックリと頷き、目にかかった血の筋を手の甲でごしごしと拭った。

「うん、なんか見た目よりひどくは…。」

「そっか…いや、えーとちがう…それもあんだけど、えっと…。」

三浦の言葉に隆平はきょとんとした顔をしてみせた。いまいちピンときていないらしい隆平の態度に、三浦は小さな脳みそをフル稼働させ、慎重に言葉を選びながら、確かめるように口にした。

「その、九条、センパイの…」

「九条」という単語で隆平は三浦の言いたいことがわかったようだった。
それに「ああ」と返答し、顔をしかめてみせる。

「やっぱり…ムカつくな、あいつ…。」

「…。」

「前々から嫌な奴だとは思ってたけど、今度こそ本当に、ほんっとーに分かった…!!!」

「ち、千葉隆平…!」

「あいつは最低最悪の、むっちゃくちゃ嫌な野郎だ!!!おれはあいつが大っ嫌いだということを再確認した!!殺す!!いつか殺す!!」

「タンマ!!タンマ‼︎出てる、血が吹き出てる!!!」

憤り、興奮して叫んだ隆平の額からピュー、と血潮が沸いたのを見た三浦が、慌てて両手で隆平の額を押さえ付けた。
それに「あ、迷惑かけます。」と隆平がうつろな目をする。血圧が上がった状態で、スーーッと意識が遠のきそうになると、三浦が大きな目を不安げに揺らしながら、隆平の顔を心配そうに覗き込んでくる。

「…それだけ?」

「それだけ、って…。」

首を傾げた隆平に、三浦は「だって…」と続けた。

「壁に頭突きして、頭かち割るくらい、ムカついてたのかと思ってたから…。」

その言葉から、隆平は彼の意図を汲み取り、気まずそうに唇を尖らせて膨れると「ムカついてたよ」と呟いた。

「でも…一番は自分に…。」

自分に?と三浦がきょとん、とした顔をするのを見て、隆平は苦笑いをして見せた。

そう、それはどうしようもなく不甲斐なかった自分に対しての抑えようのない怒り。
あまりにも情けない、千葉隆平自身への制裁だった。

「わがままで、世間知らずで、意志が弱いクソガキのおれに心底ムカついたんだ…。救いようのねぇ馬鹿野郎だ。あれだけ色んなことがあったのに、まだ夢の中に居るのかよ、って…。それで、一発殴ってやろうと思って。」

「へ…。」

「おかげで目が覚めた。やっと現実が見えたかよ。ざまあみろだ、おれ。」

その言葉を聞いた三浦は、そのままへなへなと床に座り込んでしまった。
その光景に驚いた隆平が一緒に座り込んで「大丈夫!?」と焦るのを、三浦は唖然とした顔で眺めた。

「それで、自分の頭をかち割るかよ、フツー…。」

「え?」

「お前って…変。」

「いや、これは三浦くんの真似をしたんだ。」

「え…?………あ。」

そう言われて三浦はハッとする。確かに先ほど床に押さえ付けられた際、気合を入れ直すために己の額を床に打ち付けたのを思い出した。

「やってみて分かったけど、いいね、これ。」

血の気が多かったみたいだし、なんかいい具合に抜けた…、と付け加えた隆平に、三浦が「こいつやべぇーー。」と天を仰ぐ。
しかし、上を向いたまま三浦は呆れたように笑い出した。

「はは、変なの、おまえ、」

無事に屋上から脱出できた安心感からか、一度笑い出すと止まらない。
加えて、先ほどの鬼気迫る隆平とのギャップが三浦のツボをついた。
泣きながら笑う三浦を、最初はきょとんとした顔で見ていた隆平だが、しばらくするとつられたように少し笑って「三浦くん」と呼びかけた。

まだ少し笑って「なに?」と三浦が涙を拭きながら返事をすると、隆平は真っ直ぐに三浦を見据えて頭を下げる。

「さっきは…ありがとう。」

隆平の言葉に、三浦は笑って出てきた涙を拭く手を止めて、笑顔のまま、だが少しうつむき加減になると歯切れ悪く「あー…いや…」と頭を振る。

「結局はお前がぜんぶ解決して、こうして逃げて来れたわけだし…オレなんか全然…。」

役に立たなかったし…、と消え入りそうな声を出した三浦は、それから顔をあげることができなかった。

「かっこわる…、オレ…。」

「そんなことない、本当に凄かった。」

「…でも、オレがもっと強かったら、お前にケガなんかさせなかったのに…。」

そう言って、三浦は隆平を見つめた。沢山のかすり傷や打ち身。乱れた髪の毛。制服はホコリと血にまみれている。
大きな口を叩いておいて、隆平の味方になると宣言して、結局彼を守りきれなったのだと、三浦は眉間に皺を寄せて項垂れた。

「(…くやしい。)」

和田や和仁だったらこんな醜態は晒さない。
三浦は自分の未熟さを心底痛感させられた。
そんな三浦を、隆平はしばらくじっと見つめて不意に「ごめん。」と呟いた。
その唐突な謝罪に、え、と三浦が顔を上げる。

「色々力になってくれたのに、ずっと信じられなくて。」

「…。」

「おれ、ガキで、自分勝手で…三浦くんの言うようないい奴なんかじゃないんだ…。」

「…ちば。」

「だから、おれなんかの為にどうして、って考えちゃって…。もしかして騙されてるのかな、なんて…。」

「…っ」

隆平の言葉に三浦は違う、と言いかけたが、ぐ、と口を噤んだ。

そんなの当たり前だ、と三浦は拳を握りしめる。

そもそも信用しなくても良い、と本人には伝えたのは三浦本人だ。
敵だった相手が掌を返して、味方になるなんて。
それで信用してくれなど、虫が良すぎる。

「でもさ、ほら。」

そう言って隆平は、三浦と自分を交互に指さした。

「おれたち、髪の毛ぐちゃぐちゃで、制服もめちゃくちゃ。そんで顔も体もケガだらけ。」

「…。」

「おんなじだね。」

へへ、と笑った隆平を、三浦はポカンと口を開けたまま見つめた。

そして隆平は、ぼろぼろになった自分の手で、同じくぼろぼろの三浦の手を取って、照れくさそうに笑った。



「一緒に戦ってくれて、ありがとう。」



途端、三浦は自分の目からどっと、感情があふれ出たことに気が付いた。
カーッと目が、胸が、顔が熱くなった。
三浦は口を真一文字に結んで乱暴に顔を拭くと、固く握られた隆平の手に、反対の手を重ねながら、正面を見据えた。

「今度は絶対に守るから!」

「約束!」と隆平の手を固く握って真面目な顔をした三浦を見た隆平は、最初は驚いたような顔をしていたが「いえ、それは大丈夫です」と三浦の手から逃れ、スン、として見せた。

「なんでだよおお!」

一世一代の決心で告白した気分だったのに、あっさりと否定され、三浦は口を尖らせる。

「だって…これ以上自分のせいで友達に怪我をさせられないので…。」

「なんで他人行儀⁉︎こんなの怪我のうちにも入んねぇよ‼︎大体ダチなら、…って…………え?」

隆平の言葉に反論しつつも、彼の発した言葉を改めて反芻し、その意味を理解した三浦の目が点になった。

「え、ちょ、ま、い、今…。」

さりげない隆平の一言に三浦はあたふたと行き場の失った両手を上下させながら狼狽える。

よもや聞き間違いではなかろうか、と三浦が焦りながら「もももも、もっかい言って!!」と懇願しようと身を乗り出したのとほぼ同時だった。

隆平は真面目な顔をしたまま、白目をむいて、そのまま背中から廊下に仰向けに倒れた。

「⁉」

見ればいつの間にか隆平の顔は血の気が引いて顔面蒼白。
そして、なおも額から流れ続ける赤い筋。

「ちちちちち千葉隆平ぃいいいいいいい!!!!」

言うまでもない貧血に、三浦がぎゃーーんと泣き喚きながら「死ぬなぁあああああ!!!」と絶叫した声が康高と和田の耳に入ったのは、それからすぐのことだった。
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