暗中飛躍(後編)



「…終わったか」



イヤホン越しから、隆平と三浦が無事に屋上から脱出できたことを確認した康高は、一年三組の教室で深い溜息を吐く。

一時はどうなるかと思ったが、康高の情報は役に立ったらしい。
あとは二人が帰ってくるのを待つだけだが、さてどうしたものか、と康高は苦い顔をする。
イヤホン越しに聞こえた九条と隆平の会話。
あれで、隆平が今どんな顔をしているか容易に想像がつき、康高は思わず舌打ちを零した。

「(馬鹿が。昨日あれだけ泣かされて、まだあいつ…。)」

考えて、康高はやや乱暴気味にノートパソコンを閉じる。
その苛立ちが、正当な理由に基づいたものとは別に、自身にくすぶっている子供のような嫉妬心から生じていることに、康高は再び舌打ちを零した。
そのとき。

『おいっ!』

ふいに、耳元で三浦の声が聞こえ、康高はハッと我にかえる。
イヤホンのスイッチが入れたままになっていることを思い出した康高は、切迫した三浦の声に、何事かとイヤホンの音量を上げた。
ザーザーと砂嵐のような音の中に、はっきりと三浦の声が響き渡り、康高は黙って耳を澄ませた。







「いやー、ようやく終わったね。」

「まだ、だ!!」

背伸びをする和仁の言葉に、和田は最後の一人の顔面に重いストレートを喰らわせ、床に沈めた。それを背中越しで見て満足そうに笑んだ和仁に、和田は指に付いた相手の鼻血を払いながら大きく息を吐いた。

「最後まで気ィ抜くな…。」

「いや~だってね~和田チャンが背後を守ってくれるならも~八面鉄壁だもん~。」

「言うじゃねぇか。」

思ってもいねぇくせに、と和田が嫌味をこぼせば「信用ないなあ。」と和仁が苦笑する。

熊谷率いる20人近くの不良グループ壊滅の所要時間は15分ほど。
獲物を手にした不良相手に、和仁と和田のコンビネーションは恐るべき威力を発揮した。

喧嘩が強い奴というのは、実力は勿論のこと、自分の力をうまく使いこなし、かつ、相手の強さや特徴を冷静に分析できなければならない。

相手の総合的な強さを見極めた上で、「上から叩く」か「下から叩く」か、を決める。
合理的に考え、行動することで、早く、確実に相手を負かすことができるのだ。

和仁や和田はどちらもそういった傾向で喧嘩をする性質なので、動きに無駄がない。
加えて和田と和仁はそれぞれに互いの性質もよく理解していたので、その動きはさらに無駄なく、まさに阿吽の呼吸となった。

そんな二人を相手に、「日頃の恨み!!」とマイナーな任侠映画の三下でも口にしそうにない台詞を喚きながら、考えもなく無茶苦茶に鉄パイプを振り回す連中が敵うはずがない。
もっとも、それほどまで「虎組」が恨みを買っているのだと再認識した和田には、精神的ダメージを喰らわせることに成功したのだが、そこで甘くならないのが「虎組」が北工の頂天であるが所以だ。

「今度こそ」手堅く攻めた二人により、対二十数名の不良は全滅し、熊谷の城はあっけなく陥落した。

「和田チャン、乗り気じゃなかったわりには動き迷いがなくて実に冴えてたねぇ。」

「仕方ねぇだろ。どうせこいつ等から南商に情報が行くなら生半可に手を出すよりいっそ壊滅にまで追い込んだ方がインパクトがでるじゃねぇか。」

「言うじゃ~ん。オレそういう割り切った時の和田チャンのドSなとこ好き~。」

「ええい寄るな!!うっとうしい!!」

煙草を取り出した和田に和仁が身体をすりよせると、和田はさきほどまで敵に向けていた拳を容赦なく赤髪の変態に喰らわせた。

和仁は殴られた頬を押さえながら「もう、照れ屋さんなんだから~ん」と指でツツーと和田の背中を撫で、彼が激昂するのを横目で見ながら目を細めて笑った。

「で、結局、九条の言うとおりか。」

「…。」

「和田チャンの言うとおり、熊谷のチームの壊滅はまもなく南商に届くはずだよ。物的証拠は押さえられなかったけどさ、少なくとも熊谷のチームが虎組の手にかかって全滅したって情報が広まれば、当然北工の中のコウモリ連中にも話が行くだろうから。そういう奴らは「虎組」にビビって安易に手を出そうとは思わねぇじゃん?南商だって多少はやりにくくなるはずだよ。」

「…あの馬鹿大将がそこまで考えるか?」

「さあね.でも結果オーライ。任務は完了だ。」

笑った和仁に和田は舌打ちを零して踵を返す。
屋上の床に死屍累々と転がっている不良達の合間を縫って、和田が屋上の出口に向かっていることに気が付いた和仁は「おつかれさま」と笑顔で和田に手を振った。

「春樹と千葉くんによろしくね。」

「…。」

自分の行動を読まれ、和田は苦虫を噛み潰したような顔で煙草をくわえると、白い煙を置き土産にもう一度だけ小さく舌打ちをした。










「千葉隆平!」

呼びかける三浦に応えず、隆平は駆け足で階段を下る。
屋上を出てから振り返らず何も言わないが、隆平の腕から伝わる震えが、さきほどから尋常ではない。
半ばリンチのような暴挙を、ほかでもない九条が仕切っていたことに「恋人」であるはずの隆平はどう思ったのだろう。

「千葉…っ」

胸が締め付けられるようで、三浦が堪らずに声をあげた、その時である。

「ん?」

三浦の眼前に飛び込んできたのは、目の前の少年の背中の他に、恐ろしいスピードで迫ってくる、長い廊下の果てにある、行き止まりの、壁。
隆平は気が付いているのかいないのか速度を緩める気配はまるでない。

「ちちちちちち千葉隆平ぃいいいいいい!!!!????」

驚きのあまり三浦が隆平の腕を逆に引いて、反射的に急ブレーキをかけようとしたが、遅かった。


ゴッ


校舎が揺れるのはないかと錯覚を起こすほど、隆平は思い切り廊下の突き当たりの壁に激突した。



…いや、激突したというよりも、隆平は、壁に見事な頭突きをかましていたのだ。




一方三浦も、なしくずしに壁に激突したが、しっかりと受け身を取ったので、衝撃はさほどなく、頭突きをかました隆平を横目に、全身を壁に貼りつけたまま青ざめた顔でブルブルと震えていた。
よほど怖かったにちがいない。
目にはうっすら涙まで浮かべている。

「ち…千葉隆平…」

三浦が壁に張り付いたまま恐る恐る隣の隆平に呼びかけた。
心なしか壁と隆平の額の間から白い煙がシュー…と上がっているように見える。
が、実際は正反対。
壁と隆平の額の間から、赤い血が眉間から鼻の横からあごに落ちて、床にぽとりと落ちたのだ。それにぎょっとした三浦は思わず口を開こうとしたその時だった。

「…ごめん。」

隆平の声が静まり返った廊下に響く。

それはほとんど独り言のような、小さな小さな謝罪だった。
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