暗中飛躍(後編)

「なんすか、これっ…!!」

三浦が驚嘆して声をあげるが、それに応える者はいない。
動揺を隠しきれない三浦を前にして、九条の代わりに小山が口を開いた。

「だから、遊びだよ。」

「遊びって…!!」

言葉を失う三浦に、小山はようやくいつもの調子を取り戻して嫌味ったらしく笑う。
小山が主犯だと思っていた三浦にとって、九条の登場は全く予期せぬ事態であったらしい。
三浦自身、自分の体力がとっくに限界を超えているのは分かっていた。
気力だけで立っていると言っても過言ではない。
だが、黒幕である九条の登場は、その気力までも奪われてしまうかと錯覚を起こすほど、三浦には衝撃的な事実だった。

小山と九条がグルだった。
その事実に三浦はわけもわからず、隆平の腕を一層強く握っていた。

その腕が微かに震えているのを、隆平は黙って見つめていた。









比企康高の装着していたイヤホンに音声が入ったのは、旧校舎の屋上の和田が捨てた煙草が地面へ落ちたのとほぼ同刻であった。

それは隆平達を屋上へ見送ってから、かれこれ20分ほども経ってからのことだ。

向こうのスイッチが入ったことを確認した康高は、苛立たしげに「お前なぁ」と呟く。
途端に周りにいた友達連中が康高の怒気を含んだ声にビク、と肩を震わせたのは言うまでもない。

彼の明らかに不機嫌な顔を見て、友人達の表情が固まる。
苦労して手に入れた、いかがわしいビデオの内容に花を咲かせていたのを咎められたのだと思ったらしい。

「だって見たかったのおお!!エッチなものに興味深々な十代なのおおおお!!軽蔑しないで康高さんんん!!」

と、友人の一人が泣きついたが、康高は「うるさい」と冷たく言い放つと、イヤホンを付けた方の耳を押さえて顔を顰めた。

AVを胸に抱えながら「あーん康高さんに怒られたようぉおお」と友人同士で慰めあう姿を無視しながら、康高はイヤホンの向こうの声に耳を傾ける。

「隆平?」

康高が怪訝な顔をして呼びかけると、向こうからは雑音しか聞こえてこない。

「…隆平っ」

異常な事態に気がついた康高は思わず立ち上がった。
屋上で何か起きている。
イヤホンの向こうの空気を読み取った康高が教室を出ようとドアに手をかけた瞬間だった。

『康高…』

声を極力抑えたような隆平の声が聞こえた。

「どうした、何があった!」

康高が珍しく焦り、矢継ぎ早に質問をすると、彼の質問には答えず、隆平は先ほどと同じ音量で、だがハッキリと言葉を発した。


『情報を、売ってくれ。』






「…は?」










「今、なんつった?」

小山が、いかにも小馬鹿にした顔をして嘲笑したのを見て、反対にぎょっとした顔をしたのは三浦である。
先程の九条の登場で、すでに小さな脳味噌が悲鳴をあげているのというに、さらに予期せぬ事態が起こったのである。
その「予期せぬ事態。」の原因をなす人物が、嫌な笑みを顔に貼りつけた小山でも、給水塔の上から高みの見物を決め込んだ九条でも、まして、三浦自身であるはずがなかった。

「どいてください。」

その「予期せぬ事態」の原因は、恐ろしく落ち着いた声で、先程と同じ言葉を呟いた。
それは、言うまでもなかった。

「帰ります。そこ、どいてください。」

三浦を庇うようにして前に立ち、彼の腕をしっかりと握って小山に対峙した千葉隆平の姿がそこにあったのだ。

隆平は、先程とは打って変わり、逆に三浦を守るようにして前に立ち、毅然と前を見据えている。彼の表情を窺えない三浦は、隆平の行動に呆気に取られ、彼を守らなければ、という考えすらどこかにすっ飛んでしまっていた。
まさに、予期せぬ事態。開いた口が塞がらない。
現に三浦の口が、隆平の後頭を眺めたまま、だらしなくポカン、と開けっぴろげになってしまったのは仕方のないことだった。

もちろん、それは三浦だけではない。
屋上にいた不良のほとんどが、隆平の行動にポカンとしたのは言うまでも無かった。
唯一、小山が隆平の行動に嘲笑を零した。

「お前さ、この状況分かって言ってんの?」

「やっぱ三浦のダチは頭足りねぇのが多いなぁ。」と小山が吐き捨てる様に言って笑ったが、隆平はそれに返事らしい返事はせず、あらぬ方向を見つめながら、何やら小さな声でブツブツと呟きはじめた。
それに眉を顰めた小山は隆平を汚いものを見るような目付きで眺めると、給水塔の上にいる男に声をかけた。

「…なぁ九条。こいつ、ちょっと頭がおかしいと違うか?」

隆平の異常とも思える行動に小山が「なんか気持ち悪ぃんだけど。」と零したのと同時に、九条の視線がつい、と動き、それに気が付いた小山が視線を戻すと、隆平がちょうど小山の横を通り抜けようとしていたところだった。

「てめぇ!!!」

険しい顔をした小山に、周りで口をあけっぴろげにしていた不良達が、ようやく夢から覚めたようにハッとして、咄嗟に隆平を取り囲むようにして道を塞ぐ。
足止めされた隆平は、小山に後ろから乱暴に振り向かせられ、その勢いで顔面を殴り飛ばされた。

「っ!!」

その衝撃で、倒れそうになった隆平を、後ろにいた三浦が必死で抱きとめたが、残り少ない体力で隆平を支えられるはずもなく、そのまま床に倒れ込む。
それを冷たい目で見下ろしながら、小山は低い声を出した。

「お前さ…何ナメた真似してんの。」

出し抜かれたのが相当気に食わなかったのか、小山は今までと目付きが変わっていた。
ゾッとするような声色、身体中の気が逆立つような殺気。
小山のスイッチが入った証拠だった。
和仁や和田に及ばないにしても、彼もこの虎組の幹部であるという事実が、上下関係のハッキリとした不良の枠組みに入る三浦にも伝わってくる。
これまでが「遊び」であると再認識させられているようだった。

「マジで殺すぞ、てめぇ。」

「こいつに触んじゃねぇ!!」

それでも上半身を起こし、隆平を守るように抱えて牙を剥く三浦に、小山は「るせぇんだよ、カス」と呟き、三浦の頭を蹴り飛ばした。

「…っ!!」

その蹴りの重さに、小山が今まで本当に手加減していたのだと知った三浦は、ぐるん、ぐるん、と回る視界の気持ち悪さと、こめかみに走る激痛に歯を食いしばった。
悔しさにじわりと涙が浮かぶ。
それでも隆平の身体を懸命に抱き寄せる三浦に、小山は舌打ちを零すと、屈んで、三浦の腕から隆平を簡単に奪うと、彼の前髪を掴んだ。

「状況、これでも分かってるつもりかよ。」

ばぁか、といかにも嬉しそうに言う小山の顔を見ながら、うっすらと目を開けた隆平は、静かに息を吐いた。

「…小山、誠司」

小山の顔を見ながら、何故か隆平が彼の名前を呟く。
フルネームで呼ばれ、思わず小山がいぶかしげな表情をすると、隆平は彼から眼を逸らさずに、囁くように言ったのだ。



「ネ、コ。」
5/13ページ