暗中飛躍(後編)
小山はこの上なく苛立っていた。
隆平と三浦のやり取りを見て「くだらねぇ」と一笑した小山は、見せしめに、自ら三浦の頭を蹴飛ばした。
「三浦君!!」
隆平の叫び声と、足元のゴッ、という鈍い音を聞いて小山が満足げに笑ったのは束の間。
三浦の顔面を直撃した足がなぜか、そこから動かなくなったのだ。
瞬間、小山のすねに激痛が走った。
「っ!!?」
慌てて足を引こうとしたが、痛みは増すばかり。
小山はそこでようやく、三浦が小山の足に噛みついているのだと気が付いた。
「てめぇ!!」
小山がバランスを崩したのを見計らい、三浦は小山の足に噛みついたまま、唯一自由のきく首をできる限り横に逸らした。
片足で体制を保っていた小山は、呆気なく倒れ込み、それに慌てた不良連中が咄嗟に三浦の拘束を緩めた。
その瞬間。
「待ってました」と言わんばかりに、三浦は一人だけ崩れ落ちる不良の波からするりと抜け出すと、低い体勢から脇目も振らず、床に伏せっている隆平の元へ駆けつけた。
そして、彼を床に縫いつけていた厳めしい男に、下からえぐる様な渾身のアッパーを喰らわせたのだ。
その男が殴られる寸前に見たのは、三浦の涼やかな目元。
三浦の目には激情に支配された怒りはない。
流れるような三浦の動きに見惚れて、隆平が口をポカンとあけていると、殴られた男の頭が地面につくのと同時に、三浦は隆平に向かって破顔してみせた。
「三浦…くん」
「な。大丈夫って言っただろ。」
そう言って隆平の腕を取ると、三浦は自分の後ろに立たせた。
体格はほとんど変わらないが、三浦の背中がどれほど大きく隆平に感じられたか、当の三浦は知る由もない。
が、集中して息を詰めていた三浦が、肩で息をしていることに気が付いた隆平は、夢から覚めたようにハッとした。
「三浦君…!」
「だいじょーぶ!…ちょっと休憩!」
フー…と深い息をした三浦を前に、隆平は彼の体力が限界に近いことを察した。
無理もない。抵抗らしい抵抗ができなかった隆平と違い、三浦は一人で奮闘したあげく、数人の拘束から逃れるために暴れまくり、ほとんど力を振り絞るようにして隆平を救い出した。
体力的に、三浦は今立っているのがやっとの状態だ。
状況はあまりかわらない。屋上の出口は鍵がかけられているし、小山の他数名の不良にはまだ余力がある。
それでも三浦は隆平を庇い、必死に守ろうとしている。
隆平の腕を掴んだままの三浦の掌には、先程拭っていた鼻血が線を引いて、彼の人差し指の付け根から指先までを汚していた。
フー、フーという呼吸がヒュー、ヒューと喉につっかえる様な辛そうなものに変わっても、三浦は前を見据えたまま、しっかりと隆平の腕を掴んでいた。
三浦によって折り重なるように崩れた小山とその他不良連中は、ようやく体制を整え直したようだ。
「かわいくねえなあ」と苛立たしげに言ったのは、三浦に足を噛みつかれた小山。
格下の三浦にやられたのが相当気に食わなかったらしく、先程までのニヤ付いた表情から一変。怒気をあらわにしている。
「大人しくしてりゃあ、遊びで許してやったのによ…。」
苦しげに息を吐きながら怪訝な顔をした三浦に、小山は「やめたやめた」と呟いた。
「おい、九条。ダメだ。こいつら生意気すぎるわ。そろそろ本気で締めあげても良いか?」
小山の言葉に、隆平が一瞬強張った。
それは三浦も一緒だったらしく、隆平の腕を握る掌に力がこもる。
彼は今確かに「九条」と言った。
「…まさか。」
独り言のように呟いた隆平の耳に、「なんだ」と溜息まじりの声が聞こえたのと同時に、三浦がバッ、と屋上の出口の上にある給水塔を見上げた。
それにならって隆平が逆光で眩しく、全体像の影しか見えない小型のタンクを見上げると、そこにキラ、と僅かに光る金色が姿を見せた。
ドッ、ドッと隆平の心臓が音を立てる。
「なんだよ、思ったより見応えがねぇな。」
フー、とまるで溜息のように吐かれた息には白い煙が混じり、それはほどなく青空に吸い込まれる。
「九条センパイ…。」
驚愕したように、目を見開いた三浦が彼の名を零したのとほぼ同時に、太陽の光を流れる雲が遮断する。
そこには、給水塔のタンクに気だるげに寄りかかり、屋上を見下ろす九条大雅の姿があった。