暗中飛躍(後編)

屋上に閉じ込められ、数人の男に囲まれてからはあっという間だった。
手始めに三浦から引き離された隆平は、数ヶ所を殴られて拘束された。

それを見た三浦が激怒して、2.3人を殴り倒したまでは良かったが、彼もまた床に縫いつけられるように倒された。

「気分はどうだよ。」

荒い息を繰り返す隆平の前にしゃがみ、覗きこむようにしてきたのは小山誠司。
虎組でも屈指の有名な幹部。

「待ち遠しかったぜ。いつも和仁や和田とばっか仲良くしてただろ。もー羨ましくってよー。たまにはオレも構って貰いたくてさあ。」

首を傾げた際、小山の黒い前髪がさら、と頬を滑った。
逆光で顔がよく見えない上、目元が髪で隠れてしまったせいで、小山がどんな表情で話しているか隆平には分からない。
だが、声だけは随分と楽しげに弾んでいる。

「だから今日はお前と遊べるように、きちんと許可とったからよ。」

「きょ…か…?」

声には出なかったが、誰に、という隆平の唇を読み取った小山が心底愉快そうな声を出した。

「誰に、だって?」

おかしくてたまらない、というように、ひとしきり笑った小山は、はー、と息をつくと隆平の髪の毛を掴んで引き上げ、自分の目線と合せた。

「当ててみろよ。」

低く呟いた小山の顔には、ひどく意地の悪い笑みが浮かんでいた。
隆平は見当がつかなかった。
痛みで朦朧とする意識の中で必死に考える。

「そういや、当の和田と和仁は今日どこに行っちまったんだろうなあ。」

「え…?」

「おりが居ねぇと、こうも楽しく遊べるもんか?全くいい気分だぜ。」

「おり」と聞いた瞬間、和田と和仁の顔が思い出され、瞬間、ゾッと隆平の背筋が寒くなった。
そんな隆平の表情をみて、小山はゲラゲラと笑い出した。

「はは、マジかよこいつ。分かってねえんだ!お前みてーな奴のこと庇ってくれる奴がいると思ったんだ!この虎組に!」

眉毛をハの字にして笑い続ける小山を前にして、隆平はドッドッド、と心臓が物凄いスピードで動き出した。呼吸が早くなって、嫌な汗が流れてくる。

「まさか…だって…。」

「かわいそうになぁ。いてぇよな。イケメンにちやほやされて有頂天だったもんなぁ。フツーに暮らしてたら底辺のお前が気にかけられる事なんて死んでもある訳ねぇのによ。勘違いしちまって。」

そんな、と言いかけた隆平はハッとした。

『大江和仁には気をつけろよ。』

隆平の脳裏にいつかの康高の言葉が浮かんだ。
更に昨日目にした「和仁の本性」を思い返し、体が震える。
笑顔の裏に隠された狂気の一面。
それが実際に自分を庇護するために連中を諌めていたわけではないということを、隆平は嫌というほど感じ取ってしまった。

「それに」とさらに隆平の脳裏には康高の声が続く。

『実質、和田宗一郎は、大江和仁には敵わない。』

大江和仁が敵なら、その下にいる和田だって敵に違いない。
そう気が付いた瞬間、隆平は握っていた拳がブルブルと震えだした。

「(もしかして、今までのはおれを油断させるために…⁉)」

小山の言う遊び、という意味を理解した隆平は目の前が真っ暗になる。
最初から妙に優しかった和仁、急に態度を変えた和田と三浦。
おかしいとは思っていた。小山の言うように己のような「底辺」に優しくするメリットは何もない。
なぜもっと早く気が付くことができなかったのか、と隆平は唇を震えさせた。自業自得だ、と爪が食い込むほど拳を握りしめる。
そもそも罰ゲームを企画した連中に情を求めることが大きな間違いだった。

「(それを…康高はこれまでに何度も何度も口にして、その度、自分は分かっていたつもりだったのに…。油断しちゃいけないって分かってたのに…。)」

いつの間にか無意識に助けを求めるほど、隆平は和仁や和田に頼るようになってしまっていた。
屋上で彼らと話し、一緒に弁当を食べる中で、隆平は知らないうちに心を許しはじめていたのだ。

「(恥ずかしい。)」

羞恥で頭の中がぐちゃぐちゃにされる。隆平は地面に額を擦りつけながら喉に競り上がる感情をなんとか呑み込んだ。

爆発したような小山の笑い声につられて、周囲の不良たちまで笑い出す。

隆平は唇を噛んだ。惨めで今にも泣きだしそうだった。
こんなことは分かり切っていたことだったのに、と顔を歪めた。

本来ならこれが正しい状況なのに、と。





「てめぇら!!それ以上そいつになんかしてみろ!!ぶっころしてやる!!」



腹の底からめいっぱいに咆哮したの三浦だった。
ギリギリと噛みしめた歯を、もっと強く噛みしめて、唸るように威嚇する三浦の叫びに、隆平を嘲笑していた不良達がぴたりと静かになった。

同時に、隆平は三浦の声を聴き、霞んだ視界で僅かに顔を上げる。

そこには数人に押さえつけられて、手足の自由が利かなくなっている三浦の姿。
顔は殴られてボコボコで、いつもは鶏冠のように立てている茶色い髪の毛はぐちゃぐちゃになっている。そして何よりも目を引いたのは、顔の中心から顎にかけて、彼の顔が鮮血に染まっていたことだった。

「どけよ‼ジャマだ‼」

だが三浦は、それでも自分を取り押さえている連中に噛み付かんばかりの勢いで、身体を捻りながら抵抗を続けている。
その目には、敗北の色は微塵も見えない。


「(…三浦君は、どうなんだろう。)」


やはり自分を貶めるために、九条や和仁や、和田とグルだったんだろうか、という思いが隆平を閉口させる。

自分を安心させて、油断して懐いた自分を影から笑っていたのだろうか。

「(だって、三浦君だって、虎組の一員だ。)」

自分なんかよりも、不良仲間の方が大事に決まっている。
もう何発殴られたか分からないボコボコの顔。
シャツを染める赤、ぐしゃぐしゃの髪。

それを見ていると、我慢して噛みしめている隙間から声が漏れそうで、隆平は必死に耐えた。



「(きっとこいつらと同じで、おれのことなんかゴミみたいに思っているに違いない。)」


「(もう騙されるな、騙されるな…!!)」


三浦から目を逸らすように、隆平は俯いて目をぎゅうと瞑った。


「(もう、勘違いしたくない。)」






「千葉隆平!!」


聞きなれた声が隆平の頭上にかかり、隆平がぐしゃぐしゃの顔で反射的にそちらを向くと、三浦の大きな目と視線があった。

「大丈夫か!!わりいな、我慢してろよ、今助けに行ってやっからな!!!」

三浦がしっかりとした声で叫ぶ。
しかし視線の先に映った隆平の顔を見て、三浦は目を見開いた。
それから一瞬胸が潰れてしまうような悲しそうな顔をしたが、すぐに唇を真一文字にして、下を向いた。
そして、ブンと大きく頭を振って、地面に自分の額を打ち付けた。

「!?」

三浦の行動に、周囲がギョッとしたのも気にせず、彼はしっかりと顔を上げ、前方を見据えた。
そして、今まで聞いた事がないような優しい声で、「りゅうへい。」と呼んだ。



「大丈夫だ。心配すんなって。」



そう言って鼻血だらけの汚い顔をした三浦は、いつもと同じように人好きするような顔でニコッ、と笑ったのである。
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