暗中飛躍(前編)




観念した隆平は、現国の時間中ノートの切れ端に、件の詳細を汚い字で書きつらねた。
それを丸めると、教師が大きな尻をこちらに向けた時を見計らって康高の机に放る。
この授業が終われば昼休みだ。
康高に詳細を知らせるには今しかない。

康高は紙切れに書いてあった概要に目を通すと、たちまち眉を潜めた。

隆平は妙に落ち着かず、隣の康高をチラチラと見るが、康高は隆平が投げてよこした紙の裏になにか書きこむと、顔色を変えず、教師が黒板の方を向いた瞬間に隆平へ投げて返した。

「わ」

いきなり飛んできた紙玉を慌ててキャッチした隆平は教科書を立てると、慎重に紙玉を開く。
中には康高らしい几帳面な筆跡で短くこう綴られていた。

『で、屋上は。』


その一言を目にした途端、隆平は顔を顰めてしまった。


そう。
実を言うと、本日屋上へ向かう事を昨日の一件で少し尻ごみしてしまっていたのだ。

九条のことはもちろんだが、和仁の恐るべき一面が隆平にとっては大きな不安の種だった。
いつも自分に良くしてくれ、彼の蕩けるような、甘く、優しい顔しか見たことがなかった隆平にとって、昨日の赤レンガで見た彼の表情は、隆平の知り得ない、大江和仁の裏の顔と言ってよかった。

今まで隆平が虎組の不良連中に無体を働かれなかったのは、和仁の力が大きいことを隆平はよく知っている。
それだけに、和仁に会うのが怖い。

今考えれば、康高があれほど口をすっぱくして「注意しろ」と言っていたのが、いかに重要なことだったか思い知らされる。

だが。


『逃げ場のある決意はな、覚悟なんて言わねぇんだよ。』


昨日の九条の言葉が頭をよぎり、隆平は唇を真一文字に結んだ。
あの憎たらしい顔を思い出すと、不思議と脆弱になりかけた隆平の闘争心が駆り立てられるから不思議なものだ。
隆平は決心したようにシャーペンを取り、クシャクシャになった紙切れに力強くガリガリと短い言葉を書き込むと、康高に投げた。

「あ」

あまり力んで投げたせいか、康高の机の上に着地する予定だった紙切れの玉は、白い弧を描き、わずかに軌道を逸れて康高の頭にクリーンヒットしてしまった。
それを上手くキャッチした康高が、恨めしげにこちらを睨んでいるようであったが、隆平は教科書を一心に読んでいるフリをするのに必死だった。

校内に授業終了のチャイムが鳴ったのはそれから間もなくだった。







「おっす!!千葉隆平!!屋上行こーぜ!!」

チャイムが鳴ったのと同時に、待ちきれないと云わんばかりに、バン!!と教室のドアを勢いよく開けて入ってきたのは三浦である。
それを見た現国の教師が教卓に立ったまま苦い顔をしているが、三浦は気が付いているのか、いないのかニコニコとしながら隆平に近づいて来たので、康高が呆れたように三浦に訊ねた。

「お前はどこに行っていたんだ。」

「科学室でパワプロしてきた!!しかも全勝!!」

「なるほど、いい度胸だ。留年してしまえ。」

三浦の言葉に康高が辛辣な返答をすると、「ひでぇ!!オレだって一応出席日数くらいは数えてるんだぞ!!」と三浦がわめくのが聞こえたが、康高はそれを無視して、隣の隆平を見た。
三浦に呼ばれた隆平は俯きながら何かブツブツ呟いていたが、間もなく「よし!」と自分に気合を入れて立ち上がった。

「おれは行くぞ!!康高!!」

鼻息荒く、鞄をガッシリと胸に抱いた隆平を見た康高は、憐憫な情を抱いた。
若干隆平の顔色が悪く見えるのは錯覚では無いだろう。
見栄と虚勢を張っているのが嫌でも分かる。

「顔が青いですけど、隆平さん。」

「青くねぇ!!」

ぐあっと険しい顔をして、康高を威嚇した隆平は、ぷりぷりと怒りながら未だ「留年しないからな!!お前らと二年生になるんだからな!!」と、もはや涙目で康高に訴えかけている三浦の元へ向かった。
康高はそれを見て暫く黙ると、半泣きの三浦を引きずりながら教室を出ようとした隆平の首根っこを掴み、後ろへ引き寄せた。

「はなせ康高!!止めても無駄だぞ!!」

首根っこを掴まれてぎゃんぎゃんと喚く隆平を眼下に、康高は隆平の右手に素早く小さな物を握らせると、パッと彼の首根っこから手を離した。
反動で、隆平は三浦と共に廊下へ転がるように飛び出した。

「何、」

掌に押し付けられた物を見ようと隆平が顔を上げると、康高は踵を返しながらニヤ、と笑うと「お守り」と呟き、隆平がキョトン、とする間も無く教室内に消えていってしまった。

「何だよ…」

怪訝な顔をしながら一緒に転がった三浦に見えないように、そっと掌を開く。
その中身を見て、隆平はなんとも言えない微妙な表情をしてしまった。

「…お守り?」

そこには見覚えのある、ワイヤレスイヤホンとマイク。

比企康高ご自慢の超小型トランシーバーがしっかりと掌におさまっていたのだった
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