暗中飛躍(前編)
「ちなみに利点は、一気に北工の主力を壊滅できる所にある。そのため神代地区ほとんどの不良が参加すると言われているんだ。」
「ヒェッ…。」
「虎組ができる以前から地区内の勢力図は北工が抜きん出ていたからな。最初はそれこそ奇襲のつもりだったらしいが、本拠地を潰すという意味合いの「城攻め」の概念が頭の悪い不良達に浸透していき、結果『北工潰し』という恒例行事を生んだわけだ。学校という限られたエリアの中で逃げ場は無いし、逃げれば敗走の烙印が押される。どちらにしろ北工に拒否権はない。」
さらりと説明しながらメガネを拭く康高に、隆平は口をぽかんとあけて目をまるくしてしまった。
「とんでもねぇ学校だな…。」
「北工の不良は敵が多いからな。学校全体を潰してやりたいと思ってる連中なんて山のよう居るんだ。でも、」
「で、でも?」
康高の言葉にごくりと唾を飲み込んだ隆平は、額に脂汗を浮かせて正座で話を聞いている。
よほどビビってしまったに違いない。そんな隆平に畳みかけるように、康高が口を開く。
「この妙な祭りが始まってから、北工は一度も陥落したことがない。」
「陥落?」
「つまり、北工は負けたことがないってことだ。」
「それにねぇ、去年は地区制覇、っていう偉業を成し遂げちゃってるでしょ~。だいぶ皆の恨みを買ってると思うんだよねぇ。その地区制覇の張本人が今んとこ北工のてっぺんってことは、つまり、」
和仁がさも楽しそうに演説するのを聞きながら、和田が参考書のページを捲る。
和仁の声と、和田の声が被った。
「お客さんの気合はハンパねぇってことになんのね。」
「…相手方の気合はハンパねぇってことになる。」
「なるほど。」
歓声が上がる屋上の中で、和仁を中心とした輪から離れたところに座っている和田の言葉を聞きながら、隣の三浦は音を立ててストローの刺さったカツゲンを吸い上げた。
「それ、すげぇ面白いじゃないっすか。」
「あぁ、すげぇ面白いんだよ。」
「…その割には冷静なんすね。」
「…おめぇもだろ。」
抑揚のない声はやもすれば周りの歓声にかき消されてしまいそうだ。
活気に溢れる屋上で、なぜかこの二人だけが妙な違和感を覚えていた。
件の祭典の話は、喧嘩好きの血が騒がせる非常に魅力的な話だ。
だが、和田と三浦はその盛り上がりの中に入ることはなく、ただじっと中心で揺れる赤い髪を眺めていた。
「なんてこった…。」
康高の話に青褪めた隆平は、頭を抱えて項垂れた。
まさか、そんなデンジャラスな裏祭りがあるとは聞いていない。
「学園祭って皆が楽しむもんだろ…?不良の考えってホントわかんねぇ…!!」
「入学した時からまともじゃないことぐらい分かるだろうが。」
康高の声と同時に、遠くでガラスの割れる音がしたのち、凄まじい怒声と女子の甲高い叫び声が聞こえた。
それを聞いた隆平は青ざめて、そうだ、と納得してしまった。
ここは、ガラスの割れる音と男子の怒声。そして女子の叫び声が日常茶飯事で聞こえる学校なのだった。
「ウカツだったぜ…。」
「まぁ、そういうわけだ。間違っても紗希をうちの学園祭には誘うなよ。あいつは一度言いだすと聞かん性質だからな。」
「わかったか」と、康高が裸眼のままで顔をあげると、視界に入った隆平の顔は、何故か不自然な笑顔で固まっていた。
「…おい。」
険しい顔をした康高は、メガネを装着したが、レンズ越しのハッキリとした視界でも隆平の妙な顔が大して変わらないことに気が付いた。
「…お前、まさか。」
康高が目を細めて床に正座をした幼馴染の顔を見ると、隆平は引きつった笑顔のまま固まって、額に滝のような汗を掻いていた。
おまけに、隆平の目は完全に泳いでいたのだ。
「…この間の土曜の時にいた、梶原ってやつ覚えてるか?」
和田の問いかけに三浦はこっくりと頷いた。
屋上は最早、和仁の煽り文句に乗せられてこの上ない盛り上がりを見せている。
その影に上手く隠れながら、和田は参考書で口元を隠すようにして呟いた。
「例の一件後、和仁は梶原の情報収集に余念がねぇ。」
「なんで知ってるんすか?」
「俺が集めた…千葉に寝返った分の妥当な要求だとか言ってよ…。たかーい金を情報屋に払ってな。」
「ご愁傷様っす…。」
「んで、調べた結果。北工からかなりの数が梶原の南商連中と通じていることが分かった…。大体、5分の1は確認が取れている。」
「マジっすか!!?」
「るせぇ!!黙って聞いてろ!!」
歓声にかき消されて、幸い三浦の大声は周りには聞こえなかったようだが、慌てた和田は、三浦の頭をぐいっと押さえつけた。
瞬間、押さえつけた頭の下で何やら噴出す音が聞こえたかと思うと、三浦が口からカツゲンを垂れ流しているところが目に見え、和田はそっと三浦の頭から手を離した。
それを恨めしげに見た三浦は、口元から出た大量のカツゲンを学ランの袖口で拭きながら小さく呟く。
「…どうもクサイっすね…。」
「だろ。この時期を狙って、土曜に接触してきたとしか思えねぇ…。未だに土曜の喧嘩の時も梶原にタレこんだ奴が見つかってねえ。恐らく和仁も相手側の大将は梶原だと考えてる。土曜で見た時点で相当の数が向こうに付いてるな…。野郎、どこから集めたかしらねぇが相当ウチが気に入らねぇらしい。」
「…。」
和田の言葉に、三浦の表情が僅かに曇る。その表情を横目に、和田も眉間に皺を寄せた。
そして、自分や三浦が純粋にこの祭りに乗れないわけが理解できたのである。
「…罰ゲームの期間内ギリギリに、学園祭が入ってるっすね…。」
「…」
厳しい表情をした三浦に、和田は機嫌悪く頭をガリガリとかいた。
昨日、結局赤レンガから何の収穫も得ることできず、二人は帰路についた。
三浦は学校に戻ったが、件の少年と会うことはできなかった。
「…大江先輩、まさかあいつを巻き込む気じゃないっすよね…。」
あいつ、と言われて、和田も一瞬眼鏡の奥の瞳を細めた。
「さぁな。」
和田は手に持っている参考書から目を離さないまま小さく呟いた。
三浦の言いたい事がわかったが、なんと言って答えたら良いのかが分からない。
「…虎組が歩いた後は草も残らないんじゃなかったんすか。」
「ああ。」
「失敗だった。」と和田は苦い顔をする。珍しい三浦の皮肉に返す言葉もない。
「根絶やしにしとくべきだった。」
そう軽口を叩きながらも、和田自身、妙な胸騒ぎがしたのは確かだった。