暗中飛躍(前編)
「紗希んとこの学園祭が来週末なんだって。んで、うちはいつなのかな、って。」
「なるほどな。」
そういうことか、と康高はパソコン画面に視線を戻した。
そういえば、先週末に紗希が自分の家に訪問した際、休みだというのに学園祭の準備で学校に呼び出しをくらっていたことを康高は思い出した。
「それで、紗希に学園祭誘われたんだよ。康高も行くよな。」
「…。」
隆平の問いかけに、康高は少し考える素振りを見せてから「いや、」と答えた。
「来週末は用事がある。」
「えー!!なんだよー!!」
隆平は眉をハの字にすると、さも不満そうな顔をした。
「大袈裟だな。聖和代の学園祭なんて来年も再来年もあるだろうが。」
「ばかやろおお前ぇええ!!!!その時一瞬の紗希の姿がプレミアムでプライスレスなんだろ!!」
「そんな事を言ってお前、大方一人で女子校に行くのが恥ずかしいだけだろ。」
「分かってるなら付いて来てくれよぉおおおお!!」
「やはりか…。」
確かに高校男子が夢の花園と名高い女子校に一人で足を踏み入れるのはかなりの勇気を要するに違いない。
隆平が紗希に誘われて「行く行く!!」と安請け合いしたのも、きっと康高が一緒だと思ったからだろう。
「聖和代に男一人で行くとか絶対目立つし恥ずかしいじゃねーか!!」
「安心しろ。お前が聖和代の女子に、取って食われることはまず無い。寂しい奴だとは思われるだろうが。」
「うおおお!!!ひとでなしぃいいい!!!それでも友達かあああ!!!」
「おいこら。胸倉を掴むな。」
顔面崩壊で泣き叫ぶ隆平の額に、康高が強烈なデコピンを放つと、隆平は「ぎゃ!!!」と叫び声を上げて、額を手で押さえたまま床に転がり落ちる。
痛みに悶えて床を転げ回る隆平を見もせずに、康高は軽く襟元を正すと、再びパソコンに向かってキーボードを叩きながら「それに」と付け加えた。
「向こうは俺達みたいな生徒には来てほしくないと思っているはずだ。」
「なんで?」
まだ額を擦りながら床の上で胡坐をかいて座っている隆平が涙目で首を傾げた。
「なんで、って。…お前はここがどういう学校か、よーく知っているだろうが。」
言われた隆平は赤くなった額を擦りながら、康高の言葉を頭の中で反芻し、やがてハッとした顔をした。
神代地区一番の不良校と称される生徒が、神代地区一番のお嬢様校に顔を出して歓迎されるはずが無い。最近そのテの歓迎されない連中を間近で見てきた隆平は途端に苦い顔をしてしまったのだった。
「…なるほど…。」
紗希と校内を歩いて、紗希の友達に自分が北工とバレたら十中八九色眼鏡で見られるうえ、
『やだー。紗希ちゃんのお兄さん北工なの~?』
と、軽蔑されたあげく、最悪紗希にまで火の粉が降りかかる可能性もある。
隆平の顔色を見た康高は小さくあくびを零すと、長い前髪で隠れた目を擦りながら「それに」と付け加えた。
「万が一、聖和代の学園祭に行ったとして、お前がそこの連中と仲良くなったとしよう。そこで聖和代の連中がノリで『じゃあ北工の学園祭にも行く』なんて事になったらどうするんだ。」
「え?えーと…女子と親睦を深められて、非常によろしいと思います。」
ポッと顔を赤らめた隆平を、康高は呆れた顔で一瞥した。
最近また視力が悪くなった。隆平の顔が前よりもぼやけて見えるのは思い違いではないだろう。疲れているのかもしれない、と康高は片手で目頭を押さえると、息を吐くようにして呟いた。
「それはお前がまともにうちの学園祭を案内できれば、の話だろ。」
「?」
「つまり…うちの学園祭はまともじゃないってことだ。」
「やーやー、みんな集まってるねぇ。朝からご苦労さん~。」
にこやかに手を挙げて屋上に入ってきたのは赤い髪を揺らした虎組の副総長、大江和仁である。
瞬間、「おはようございます!!」と野太い挨拶があちらこちらから上がり、和仁は「おはようー」と軽く挨拶を交しながら軽い足取りで和田と三浦のところまで近付くと、にこやかに笑った。
「おっす、和田チャン、春樹クン。朝から御大儀でした~。」
「はい、ご褒美。」と和仁は鞄をゴソゴソと漁ると、和田と三浦の掌にコアラのマーチを一欠けら握らせ、和田は青ざめてガクッと脱力してしまった。
「これ、スーパーかまくらで特価78円だったやつっす。」
三浦のどうでも良い情報を聞いて、さらに脱力してしまう。
「さすが春樹、心得てるね~。」
「広告は毎日チェックが基本っすから!!」
二人の会話を聞きながら、少し湿ったコアラのマーチを疲れた目で眺めた和田をよそに、和仁へ視線が集まりだす。
そのギラついた視線に応え、和仁は屋上の中心へと向かった。
周囲から感じる熱気に、和仁はニコニコとしながらぐるりと身体を反転させて仲間の顔を眺めた。
「よぉー、盛り上がってんねぇ!みんな、そんなに待ち遠しかった?」
瞬間、あちこちから声が上がり、「たりめぇだ!!」、「早くしろ!!」という野次が上がり、和仁は「上等、上等」と満足そうに頷く。
「今回集まってもらったのは他でもねぇ。もう再来週に控えたうちの学園際だか文化祭のことだけどぉ。」
和仁の声に、三浦がそっと和田に囁いた。
「学園祭と文化祭って何が違うんすか?」
「知らん。大体同じだろ。」
どうでも良い、とやる気なく答えた和田は中心にいる和仁を見る。
「例年通り、オレらの中では一番のお祭りがやってきま~す。」
間延びした声に、大きな歓声が上がる。
「知らねぇ奴はいねぇだろうけど、経験の浅い一年坊主のために分かりやすく説明するね。一般客の出入りが緩和される学園祭は、オレらの寝首をかくには絶好の機会なわけだ。つまり、他校の皆さん方がエモノを持って殴りこみに来る日ということになります。つーことで、学園祭の間、実質ここは学校全体が神代地区の不良が集まるトーナメントバトルの会場になるわけでーす。」
「オッケー?」とにっこり笑った和仁に、屋上から割れるような歓声が上がった。