覚悟(後編)
康高の笑いがまだおさまらない頃、ちょうど廊下から階段を昇る音がして、隆平が思わずドアの方を見ると、バタン、と音を立てて扉が開いた。
「もー、隆ちゃんうるさいよっ!!外まで声が漏れてたっ!」
ドアを開けて抗議をしてきたのは紗希だった。
どうやら今帰ってきたらしく、鞄を持ったままの紗希を見た隆平が「だって康高がさ~」と情けない声を上げると、瞬間康高と紗希の顔が強張った。
「あ」
「あ」
紗希と康高はお互いの顔をみて声を上げた。
二人とも予期せぬ人物との対面に少し戸惑っているようであった。
まもなく紗希が困ったように笑ったのを見て、康高も諦めたように同じ顔をした。
「…来てたんだ、やっちゃん…。」
「あぁ…。」
二人は曖昧に笑いあうと、所在なく目を泳がせて黙りこんでしまった。
康高と紗希は先週の土曜日、九条と隆平のいわく付きデートを一緒に見て以来、一度も顔をあわせていなかったので直接会うのはお互いに気まずい。
あんな別れ方をして、康高は勿論、紗希もずっと気にかけていたようだ。
それに気まずくなる「原因」がここにいるのではなんと言って取り繕って良いかも分からず、二人はただ不自然に目を泳がせるばかりだ。
隆平は二人のただならぬ雰囲気に、真っ赤になった手にフーフーと息を吹きかけながら胡乱な目をした。
なんだ、この空気は…、と康高を見るが、康高は気が付かず紗希を気にしている様子だ。逆に紗希ももじもじと落ち着かない様子で康高をちらちらと見ている。
それにはた、と思い当たった隆平は声を低くして「まさか」と呟いた。
同時に紗希は、疑わしげな顔をして康高を見る隆平の横顔を確認し、その目元が真っ赤になっていることに気が付き、みるみるとその表情を変えた。
「…康高、お前まさか」
「…やっちゃん、まさか」
同時に名前を呼ばれ、康高が双子を交互に見ると、二人が物凄い勢いで迫って来た。
「紗希に変なことしてねぇだろうな…!!」
「隆ちゃんに変なことしてないよねっ!?」
ずいっと迫られた康高は「は?」と怪訝な顔を更に歪めて二人を見る。
「お前らの雰囲気ちょっとおかしいだろ!!言え!!うちの可愛い妹に何かしたのかー!!!」
「なんで隆ちゃんの目が赤くなってるの!!?何かひどいことして泣かせたんでしょ!!」
キーンとする声に思わず耳を塞いだ康高はなぜ自分が責められているか全く見当が付かず、捲くし立てる双子に康高は「はいはい、一人ずつ、一人ずつな。」とげんなりとした顔で嗜めたのだった。
「ほんっとーに何もしてないのねっ。」
「信用無いな。」
「お前、ほんっとーに紗希に何にもしてねぇんだろうなっ。」
「お前は黙っていろ。」
とりあえず双方の誤解を解くため、弁解することにしたらしい康高は、まず紗希の説得にかかった。
もちろん隆平が可愛い妹の目の前で泣いている理由を知られたくないだろう、ということは重々承知していたので、「口喧嘩で負けて泣いていたところを慰めていた。」と曖昧な言い方をした。
そんなことで納得のいくはずのない紗希はむろん食い下がったが、「それ以上は隆平の沽券に関わるから」と康高が言うと、紗希は隆平の顔をちら、と見て渋々納得した。
康高の言い分に「お前、その言い方がすでにおれのコケンを下げてるぞ」と隆平が情けない顔をして言ったのが信憑性を高めたのかもしれない。
「嘘は言ってないだろ。」
「お前なぁ~…!!」
「わかったわかった。」と康高がなぁなぁで請合うのを隆平が睨みつける。
次いで隆平は紗希を見ると、急に声を落として真面目な顔をした。
「それでお前は、康高と…。」
「隆ちゃんが思うようなことはなーんもないよ。多分。」
「多分…⁉」
「多分な。」
「多分⁉多分って⁉」
紗希が呆れたように言うと、康高もそれに同意した。神妙な面持ちをした隆平は二人の顔を交互に見ると「なんだよ」とむくれた。
「大体やっちゃんと何かあったって言う方が紗希の沽券に関わるよ。」
「…お前、それは康高に対して少し失礼じゃないか?」
一応男としてのプライドが康高にもあるだろうに、と隆平は親友の肩を持ったが、当の本人は全く気にした様子はなく涼しい表情をしている。
「それに、紗希だって、好きな人くらい居るんだからね!」
紗希の発言に隆平が目を点にする。
紗希は隆平に分からないようにちら、と康高を見て少しだけ笑った。
その笑顔の意味に気がついたらしい康高もなにやら苦笑してその笑顔に答える。
紗希なりに康高の訴えに応えたようだった。
その顔がまだ決心し切れない様な戸惑いを残していて、康高は俺も同じだと頷いた。