覚悟(後編)
和仁が閉めたドアの余韻を感じながら、九条はぼんやりとテレビを眺めていた。
やっと静かな空間がもどってくる。
テレビ画面の字幕を目で追いながら、九条は今しがた見た和仁の顔を思い出した。
遊び足りない子供のような顔をした幼馴染の思考を想像するだけで、九条は静かな殺意覚える。
「(胸糞わりぃ。)」
まだきちんと拭いていない髪からしずくがぽつり、と肩に落ちたが、気にもとめない。
テレビは、退屈なドキュメントが静かにながれており、九条はその青白い光をその身に受けながらソファにより深くその体を沈ませた。
そしてゆっくりと目を閉じる。
怯えたように身を縮こまらせて、自分を見詰める少年が暗闇の中に浮かんだ。
そう、本来は。
本来はいつもそうあるべきだ、と九条はつぶやいた。
この四日間、件の少年に対し、身の内の感情が激しく渦巻いた原因が九条には分からなかった。
なぜあの少年に心を乱さなければならなかったのだろうか、と自問した。
くだらなく、生意気な少年。
地味な容姿、小さい身体、特に素晴らしい特技があるわけでもない、平々凡々な少年。
そんな人間に、自分の感情を乱される事が許せない。
「(いつどこで消えてしまっても誰にも気がつかれないようなクズのような存在のくせに。)」
道具であるはずの少年が自分を頼らず、反発し、他のものに感情を動かす事に、九条は例えようの無い焦燥と、腹立たしさを感じていた。
その腕はいつも自分を拒絶するように、硬く握り締められたまま突き出される。
それがどれほど身の程をわきまえない愚かな行動か、あの道具は分かっていない。
九条は腹の奥に何かどろりとしたものが広がるのような感覚がした。
先ほど和仁に殺意を感じたのも、件の少年をコマ呼ばわりされたからではなかった。
まるでそのコマを自分のもののよう言う和仁がひどく癪に障ったのだ。
「(あれは、てめぇのもんじゃねぇ。)」
確かに赤レンガ倉庫で腹が立ち、本気で潰してやろうと思ったことも確かだが、誰も「所有権」を手放したわけではない。
同時に、今まで思い悩んでいたのは、件の少年を九条自身が無意識に自分と同等に扱っていたからだ、と気が付いた。
神経をかき乱したのは、自分が彼を傷付けている、と思い込んでいたからだ。
「(そんな気遣い、「あれ」に必要ねぇ。)」
それに、その「道具」は生意気にも自分に復讐を企てているのだ。
何をどうしても、やつは自分に大人しく頭を下げる気はない。
それならば、こちらもそれなりに対応するのが筋というものだろう。
「無理やりにでも服従させてやる。」
それこそ、どんな手を使っても。
「ゲームはこれからだ。」
◆ ◆ ◆
ザァ、と一気に雨が激しくなったのが分かった。
最近はこういう雨が多い。
空がどんよりと曇って、突如冷たい風が頬を撫でたかと思うと、スコールのような雨がまるで全てを洗い流してしまうように地面を叩きつけるのだ。
「バカが。誰もてめぇのことなんか許ちゃくれねぇよ。」
その発言に隆平はカッとなって腕を九条へ振り上げた。
なぜ自分の覚悟をこんな男に否定されなければいけないのか。
振り上げた腕が迷う事無く九条の顔に決まるはずだった。
しかし、その腕は九条の顔に届く前に、いとも容易く捉えられてしまった。
手首辺りを強く掴まれて、その拘束から逃れようと、隆平は狭いゴミ箱の中で暴れたが、自分の腕を捕らえる手の力は全く緩まない。
悔しさで隆平の目に涙が滲む。
「(どうして、どうして、いつも…!)」
「図星か。」
は、と笑う九条の声に隆平は目を見開いた。ごみ箱の蓋を叩きつける雨の音は、薄いトタンを突き破るのではないかと思われるほどに激しい。
だが、隆平の耳に聞こえるのは、自分の心臓の音だけだった。
「いつもは殴らせてやってんだよ。調子に乗んな。」
冷たく響く声に、隆平は自然と身体が萎縮するのがわかった。
捉えられた腕が情けなく震えているのも気が付いていたのだが、できるだけそちらを見ない様にする。
だが九条の目からは顔を背ける事ができなかった。
先程と全く異なった暗い光を帯びた眼光は、隆平への労りなどは欠片も無い。
出会った時と同じ。
人を蔑む様な瞳だった。
「情けねぇな。振り解くこともできねぇのか。」
「いっ、」
ギリ、と捉えられた腕に力は加えられ、隆平は痛さに顔を顰める。