覚悟(後編)
この四日間、身の内に巣食う得体の知れない感情の正体が分からずに悶々としていた九条は、自分が妙に滑稽に思えた。
「(あんな奴のために思い悩んでいたのは何だ。)」
自分が必死に模索している最中、あの馬鹿は自分自身の事と女の事しか頭になかった。
九条大雅という人物について、これっぽっちも考えていなかったのだろうか。
「(俺のことは、何も。)」
瞬間、九条はガッ、と衝動的に運転席のシートを蹴り上げていた。
「おわっ!!」
運転手がその振動に声を上げて、恐々とバックミラー越しに九条の様子を窺う。
その視線に気が付いた九条が更に凶悪な顔をして「みてんじゃねぇよ」と再度運転席のシートに蹴りを入れてきたので、運転手は慌ててバックミラーから目線を外すと、そそくさとハンドルを握り直し、運転が忙しいと言わんばかりに急速にスピードをあげはじめる。
ち、と舌打ちをして、深くシートに沈み込む様に身体を預けた九条は、また何気なく窓の外を眺めた。
瞬間、一面が白く光ったのが見えて、九条は黙って耳を澄ませた。
すると直ぐ雷鳴が聞こえてきて、雨が一層強くなる。
その豪雨がまるで自分の中に猛り狂う思いが外に溢れ出したかの様な錯覚に陥った。
激しい雨が打ち付ける中、運転手が気を利かせたのか暖房を入れ、暖かな風に包まれた九条は、ようやく自分の身体が冷え込んでいるのだという事に気が付いた。
「…。」
先ほどあの少年を抱き込んだ感触が、未だ手や、腕や、胸元に残っている。
気色悪い、と離れて。
熱を失った自分の腕を九条はボンヤリと眺めた。
湿った服が纏わりつくのが不快だったが、暖かな風に晒されて、つい瞼が重くなる。
「(…気持ちわりぃ。)」
重い瞼を静かに下ろして、九条は悪態をついた。
瞼を閉じた暗い世界の中で、ただ、雨音と雷鳴だけが聞こえて、それもやがて段々と遠ざかる。
意識が朦朧とした中で、九条は今朝方聞いた真悟の声が聞こえた様な気がした。
「(どいつもこいつも好き勝手言いやがって。)」
「くそが」と悪態をついて、九条は意識を手放した。
「居たか?」
息を弾ませた和田の声に、三浦は苦い顔をして首を横に振った。
和仁の不穏な発言に、雨の中慌てて来たまでは良かったが、倉庫周辺には、肝心の人物は見当たらなかった。
雨はますますひどく、大地を打ち付けるような鋭ささえ感じるほどだった。
それを危惧した和田は、とりあえず雨宿りにと、現在使われていない倉庫の一つへと三浦を引き入れる。重厚に見える扉は思ったよりもすんなりと開いた。施錠はされていたが、鉄製の鍵は長い間潮風にさらされて錆だらけになっており、その機能を果たしていなかった。
「本当にここに千葉隆平と九条センパイがいたんすかね。」
走った際に濡れてしまったのだろう。
三浦は服のあちこちに光る水滴を手で払い、それが終ると忙しなくケータイを操作し始めた。
「まだ連絡取れねぇか?」
訊ねた和田に、三浦は唇を尖らせながら頷いた。
「電源切ってんのかもしんねぇっすね。さっきから繋がんないんすよ。」
そう言って三浦がケータイのマイクをオンにすると、事務的な女性の声で「現在電波の届かないところに居るか、電源が入っていないためかかりません」というお決まりの台詞。それに舌打ちを零した和田は「こっちもだ」と自分の黒いケータイを睨んだ。
先ほどから、九条に連絡を入れようとしているのだが、なかなか通じない。
一人に連絡が取れれば、それぞれの安否が確認出来るのだが、そう上手くは行かないようだ。
「もしかして、和仁に一杯食わされたか…」
「え!なにを食ったんすか!」
「…。」
「ずるいじゃないすかー、オレだってちゃんとメシ食ってないのにー!」
「…なんでもねぇ。忘れろ…。」
いつごちそうになったんすか、なんでセンパイだけなんすか!という三浦の言葉に頭をかかえながら、和田はうんざりとした顔をした。
和仁の言葉が本当だとすれば、九条と隆平の間に何かあったとしても、この雨の中、「特別な何か」が無い限り、連れ立ってわざわざ移動する理由はないだろう。
と、なれば、取り敢えず決着が着いて既に解散したと考える方が妥当だ。
「千葉隆平、傘持ってんのかな…雨に濡れてねぇかな。」
外を心配そうに眺めた三浦を横目に、和田も同じく水たまりがいくつも出来た外の風景を見詰めた。
「どうだかな…」
そう呟いた和田を見ず、どこか悔しそうに顔を歪めた三浦が目に入り、和田は「そういえば」と呟いた。
「引っかかるな…。」
「なにがっすか。」
「和仁が言ってただろ。九条を放っぽいても明日っからまた顔見せるって…。ありゃあ…一体どういう…。」
先ほど聞いた和仁の言葉を思い出しながら眉間に皺を寄せて思案する和田に、三浦は和田の顔を真似て、こちらも眉間に皺を寄せながら答える。
「単純に考えると、九条先輩が学校に来ない理由が解決したってことなんじゃないっすかね」
「そう、そうなんだけどよ…。そういうことになるとだな…。」
つまりだ。
九条がこの四日間、学校に顔を見せなかった理由というのが、解決したという事を考えると、どうしても悩まずにはいられない。
今まで九条は隆平と二人でいたわけだ。
和仁が見逃した理由を考えると。
「九条は千葉と二人で何か大事な話し合いをしてた、ってことになるよなあ…普通に考えて…。」
「そうっすね。」
「それでもって、四日分の鬱積した九条の問題が解決して、それで…学校に来るってことはだな。」
「はぁ。」
「あいつが学校に来れなかった原因っていうのはつまり…」
そこまで言って和田は口をつぐんだ。
それ以上は何だか言ってはいけない様な気がしたのである。
現に、和田の頭の中ではとある人物の顔が思い出され、想像上の表情に光る眼鏡の奥底を思い浮かべるだけで胃が切ない痛みを起こす。もし、この事が彼の耳に入ったとしたらそれは大変な事態になると予想された。
「(あんな奴のために思い悩んでいたのは何だ。)」
自分が必死に模索している最中、あの馬鹿は自分自身の事と女の事しか頭になかった。
九条大雅という人物について、これっぽっちも考えていなかったのだろうか。
「(俺のことは、何も。)」
瞬間、九条はガッ、と衝動的に運転席のシートを蹴り上げていた。
「おわっ!!」
運転手がその振動に声を上げて、恐々とバックミラー越しに九条の様子を窺う。
その視線に気が付いた九条が更に凶悪な顔をして「みてんじゃねぇよ」と再度運転席のシートに蹴りを入れてきたので、運転手は慌ててバックミラーから目線を外すと、そそくさとハンドルを握り直し、運転が忙しいと言わんばかりに急速にスピードをあげはじめる。
ち、と舌打ちをして、深くシートに沈み込む様に身体を預けた九条は、また何気なく窓の外を眺めた。
瞬間、一面が白く光ったのが見えて、九条は黙って耳を澄ませた。
すると直ぐ雷鳴が聞こえてきて、雨が一層強くなる。
その豪雨がまるで自分の中に猛り狂う思いが外に溢れ出したかの様な錯覚に陥った。
激しい雨が打ち付ける中、運転手が気を利かせたのか暖房を入れ、暖かな風に包まれた九条は、ようやく自分の身体が冷え込んでいるのだという事に気が付いた。
「…。」
先ほどあの少年を抱き込んだ感触が、未だ手や、腕や、胸元に残っている。
気色悪い、と離れて。
熱を失った自分の腕を九条はボンヤリと眺めた。
湿った服が纏わりつくのが不快だったが、暖かな風に晒されて、つい瞼が重くなる。
「(…気持ちわりぃ。)」
重い瞼を静かに下ろして、九条は悪態をついた。
瞼を閉じた暗い世界の中で、ただ、雨音と雷鳴だけが聞こえて、それもやがて段々と遠ざかる。
意識が朦朧とした中で、九条は今朝方聞いた真悟の声が聞こえた様な気がした。
「(どいつもこいつも好き勝手言いやがって。)」
「くそが」と悪態をついて、九条は意識を手放した。
「居たか?」
息を弾ませた和田の声に、三浦は苦い顔をして首を横に振った。
和仁の不穏な発言に、雨の中慌てて来たまでは良かったが、倉庫周辺には、肝心の人物は見当たらなかった。
雨はますますひどく、大地を打ち付けるような鋭ささえ感じるほどだった。
それを危惧した和田は、とりあえず雨宿りにと、現在使われていない倉庫の一つへと三浦を引き入れる。重厚に見える扉は思ったよりもすんなりと開いた。施錠はされていたが、鉄製の鍵は長い間潮風にさらされて錆だらけになっており、その機能を果たしていなかった。
「本当にここに千葉隆平と九条センパイがいたんすかね。」
走った際に濡れてしまったのだろう。
三浦は服のあちこちに光る水滴を手で払い、それが終ると忙しなくケータイを操作し始めた。
「まだ連絡取れねぇか?」
訊ねた和田に、三浦は唇を尖らせながら頷いた。
「電源切ってんのかもしんねぇっすね。さっきから繋がんないんすよ。」
そう言って三浦がケータイのマイクをオンにすると、事務的な女性の声で「現在電波の届かないところに居るか、電源が入っていないためかかりません」というお決まりの台詞。それに舌打ちを零した和田は「こっちもだ」と自分の黒いケータイを睨んだ。
先ほどから、九条に連絡を入れようとしているのだが、なかなか通じない。
一人に連絡が取れれば、それぞれの安否が確認出来るのだが、そう上手くは行かないようだ。
「もしかして、和仁に一杯食わされたか…」
「え!なにを食ったんすか!」
「…。」
「ずるいじゃないすかー、オレだってちゃんとメシ食ってないのにー!」
「…なんでもねぇ。忘れろ…。」
いつごちそうになったんすか、なんでセンパイだけなんすか!という三浦の言葉に頭をかかえながら、和田はうんざりとした顔をした。
和仁の言葉が本当だとすれば、九条と隆平の間に何かあったとしても、この雨の中、「特別な何か」が無い限り、連れ立ってわざわざ移動する理由はないだろう。
と、なれば、取り敢えず決着が着いて既に解散したと考える方が妥当だ。
「千葉隆平、傘持ってんのかな…雨に濡れてねぇかな。」
外を心配そうに眺めた三浦を横目に、和田も同じく水たまりがいくつも出来た外の風景を見詰めた。
「どうだかな…」
そう呟いた和田を見ず、どこか悔しそうに顔を歪めた三浦が目に入り、和田は「そういえば」と呟いた。
「引っかかるな…。」
「なにがっすか。」
「和仁が言ってただろ。九条を放っぽいても明日っからまた顔見せるって…。ありゃあ…一体どういう…。」
先ほど聞いた和仁の言葉を思い出しながら眉間に皺を寄せて思案する和田に、三浦は和田の顔を真似て、こちらも眉間に皺を寄せながら答える。
「単純に考えると、九条先輩が学校に来ない理由が解決したってことなんじゃないっすかね」
「そう、そうなんだけどよ…。そういうことになるとだな…。」
つまりだ。
九条がこの四日間、学校に顔を見せなかった理由というのが、解決したという事を考えると、どうしても悩まずにはいられない。
今まで九条は隆平と二人でいたわけだ。
和仁が見逃した理由を考えると。
「九条は千葉と二人で何か大事な話し合いをしてた、ってことになるよなあ…普通に考えて…。」
「そうっすね。」
「それでもって、四日分の鬱積した九条の問題が解決して、それで…学校に来るってことはだな。」
「はぁ。」
「あいつが学校に来れなかった原因っていうのはつまり…」
そこまで言って和田は口をつぐんだ。
それ以上は何だか言ってはいけない様な気がしたのである。
現に、和田の頭の中ではとある人物の顔が思い出され、想像上の表情に光る眼鏡の奥底を思い浮かべるだけで胃が切ない痛みを起こす。もし、この事が彼の耳に入ったとしたらそれは大変な事態になると予想された。