覚悟(中編)





まるでスローモーションのようだ、と隆平は思った。

にゅう、と伸ばされる手。
どくんどくん、と心臓の音しか聞こえない。

身がすくむ。
背後から隆平を拘束する腕が一層強くなった。


ぎぃ、と音がして、闇の中に光の筋が見えた。







「おいっ、和仁!」

後ろにいたメンバーの一人が和仁に声を掛け、それに和仁の動きがぴたり、と止まる。

「見ろよ。こっちに抜け道がある。」

それは道、というよりも倉庫と倉庫の合間に偶然出来た隙間といった方が正しいかもしれない。
廃材の影に隠れて見つけにくいが、かろうじて人が通れる幅はある。そこは倉庫の裏を通って、大通りの方へ抜けられるような作りになっているようだ。
仲間が発見した倉庫と倉庫の間の細い通路を見て小山が「なるほどな」と声をあげた。

「和仁、多分こっちの方だぜ。」

用心深く細い路地をのぞきこんだ小山が振り返って和仁を見た。

「フツーに考えて「あの」九条がそんなきったねーごみ箱なんかに入るわけねぇだろ。」

小山の言葉に対し「そりゃそうだ」と同意する虎組連中の声に背を向けて、和仁は大きなごみ箱の開閉口の取手に手をかけたまま黙っていた。
が、次の瞬間何を思ったのか唐突にくすくすと笑い始めた。

「ふふ、ふ、ふ。こんなとこに、九条が、ふふ、そうだろうねぇ。」

和仁の反応にぎょっとしたメンバーが面食らって目を丸くする。
和仁はひとしきり肩を震わせて笑うと「あーぁ」と呟いた。

「残念…折角面白くなるとこだったのに…」

誰に話すわけでもなく、ごみ箱に向かってぼそぼそと呟く和仁に、「は?」と虎組の不良が首を傾げて怪訝な顔をしたが、ふ、と顔だけ振り返った和仁を見て一瞬息を呑んだ。

笑っているはずのその横顔が、ひどく歪んでいるように見えた。
そして身の毛がよだつような、どんよりとした黒い瞳には薄暗い光が宿っている。

「そうだよねぇ、普通に考えたら、九条がこんなところに入るわけがねぇよなぁ。」

そういって笑みを深くした和仁の顔は、ゾッとするような表情だった。
その瞳に虎組のメンバーを映した和仁はニヤニヤと笑いながら「そっちは中華街方面?」と訊ねた。
それに少々どもりながらも「ああ」と答えた小山に「ふうん」と微妙な相槌を打った和仁は、顔をまたごみ箱に向け直すと再度笑った。

「…ふふ、まぁ一度は、ねぇ」

そう言うと、少しだけ開けたゴミ箱の開閉口を静かに閉めた。

そしてくるりと踵を返し、その場で固まっていた不良の肩を叩きながらすれ違い際にいつもの笑顔で笑いかけた。

「仕方ね~な。今日は肉まんでも食って帰んべ。」

「は?」

「あ、ついでにチャイナ服買おう。すんごいミニで、屈むとお尻見えちゃうようなやつ。」

一人浮き足立った和仁は、ぽかんとするメンバーをすり抜けてその路地を抜けるべく、もと来た道を戻り始めた。

「さぁみんな、気合い入れてこ〜‼︎」

そう路地裏に響くような声をあげ、和仁がスキップしながら戻り始めると、小山や他の連中がハッとしたように、和仁を追って走り出した。


雨音が近づいてきている。

大きな倉庫を横目で見た和仁は「あーあ」と小さく呟いて賑やかな町に向かって歩き出した。
それに首を傾げ、虎組の不良たちは、お互いの顔を見合わせながら和仁の後を追う。

ぽつぽつと降り出した雨を頬に受け、和仁は「どーぞ、ごゆっくり」と小さく呟いた。


その喧騒と足音が段々と遠退いて、ついには路地裏に何も聞こえなくなり、辺りが元の静寂を取り戻した。
そして、雨音でごみ箱をポツポツと叩き始めた頃になってもしばらくは、ごみ箱から物音がすることはなかった。





隆平の心臓はうるさいくらいに鳴っていたが、先程よりかは幾分かマシになっていた。
正直言ってもう数十センチ、という所まで近付かれ、隙間から和仁の顔が見えた時の鼓動はうるさい、というのを通り越して壊れてしまうのではないかと思う程だった。

「なん、だよ…あれ…」

静寂に包まれた中、思わず零れた自分の声に隆平は強張った身体からへなへなと力が抜けていくのを感じた。

「(思い違いじゃない。確かに一瞬目があった。)」

あのひどく愉快に歪められた口元と、見たこともないような薄暗い光を帯びた目にぞわ、と隆平の背中に寒気が走った。

「(ありえない。怖すぎる。なんだあれは。)」

見つかるという緊張感、というよりもあれは恐怖に近かった、と隆平は思った。
見つかったら、おしまい、だと。
何がおしまいなのか分からなかったが、漠然とそう思ったのだ。
正直、生きた心地がしないというのはああいう事を言うのだろう。
思い出して隆平はぶる、と身震いをした。

「…漏らすかと思った…」

「…漏らしてみろ、全力で殺す。」

上から聞こえた刺々しい言葉に、隆平は「あ」と呟いて一瞬で顔をしかめた。
声のニュアンスからして、隆平の言葉と身震いに、催したのかと盛大に勘違いをしたらしい。
あまりの恐怖にすっかり忘れていたが、そういえば一人じゃなかったことを隆平はようやく思い出した。

「…居たんでしたね…先輩」

「…ぶっ殺すぞ」

はは、と乾いた笑みを零すと、気配で九条が苦々しい顔をしたのがなんとなく分かったが、隆平は敢えて気が付かない振りをして話しを逸らした。
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