覚悟(中編)




「「あれ?」」

双方のまぬけな声が同時に曇った空の下でこぼれおちた。
一方はりんごジュースの缶を転がして遊ぶ和仁と、渋い顔をした小山。
一方は駅で九条を追って行ったはずの虎組の少年たち。

対面は赤レンガ倉庫正面。
九条追跡班が倉庫と倉庫の間を縫い、細い路地を抜けたところでバッタリと遭遇したのは、追いかけていたはずの人物ではなく、副長の姿。
同時にその副長も、通路から出てくるのは我らが総長だとばかり思っていたので、ぽかんとした顔をしている。

「なんだよ、九条じゃねぇーじゃねーか!!」

小山が非難めいた言葉を吐いたが、和仁は黙って通路から出てきたメンバーに問いかけた。

「まかれた?」

首を傾げた和仁に、先頭を切って走ってきたメンバーの一人がゼェゼェと息を切らせ、顎を伝う汗を袖口で拭きながら答えた。

「わからねぇ。でも確かにこっちに来たと思ったんだけど。」

はあ、と大きく息をしてメンバーが次々と座り込む。
無理もない。和仁や小山と違って、彼らは駅から九条をおいかけてずっと走りっぱなしだった。
和仁は「ふむふむ」と何やら頷きながら口をとがらせると、目を細めた小山が零す。

「でもこっちには来てねぇぞ。やっぱまかれたんじゃねぇか?」

「うーん」

和仁が何やら考えるとおもむろに立ち上がる。そしてメンバーが走ってきた細い路地裏を見た。

そこは大きな倉庫街の隙間といってもいい。
長い通路の向こう側は、細い切れ目からやっと白い光が見える。
幅の狭い通路は薄暗い。灰色の雲が光をさえぎっているせいもあるのだろうが、その通路は殊更に暗くみえる。
和仁がその暗い通路の先を眺め、ふと目を細めたその時。
何か冷たいものが頬に落ちた。

「…。」

そして。




カタン。



細長い路地に点在する廃材の山と大きなゴミ箱。
そこから微かに聞こえた物音に、和仁は眼を瞬かせると顎に伝って行った滴を袖で拭い、ふと天を仰いだ。

灰色の空を見上げた和仁は、ゆっくりとした動作で小山と、座り込んだメンバー達を振り返った。

「…行こっか。」

「…はぁ?」

小山の怪訝な顔を見て、和仁は目を細めて笑いながら踵を返すと、さきほどメンバー達が来た道を戻り始めた。

「今ならまだ、捕まえられる。」

そう言って和仁は一人路地裏へと入っていった。













電車の窓に、水滴が走るように流れ出したのを見て、三浦は「あー」とどこか落胆した声を出す。
その声につられて和田も窓を見ると、朝からあやしいと思っていた空がどんよりと暗く、鈍色をしていることに気が付いた。

(しまった、傘を学校に置いたままだ。)

和田は気が付いて軽く舌打ちをしたが、もう遅く、外に見えるアスファルトは既に雨粒で黒く塗りつぶされていた。
桜町行きの電車内は、平日の昼時のせいか、ひどく閑散としていて、三浦と和田の他に、客は同じ車両内にもまばらにいる程度だ。その中で当然ながら学生服、という理由でチラチラとこちらを気にする客が居たが、2人は特に気にする事もなかった。

「降って来ちゃったっすねー。」

呟いた三浦に「あぁ」と生返事を返して、雨で遮られた窓越しの風景を眺めながら、和田はボンヤリと別の事を考えていた。

先程の自分の言葉を反芻しながら、なぜあんな事を言ったのだろうか、とひどく後悔していた。「比企康高」という言葉に反応をしてしまい、野性の感で気付いた三浦に、駅に来るまでに散々質問を受けていたのだが、馬鹿馬鹿しくて答える気にもなれなかった。

康高にあんな質問をしたのには理由があった。
もちろん本当に隆平が九条を好きだなんて、和田はこれっぽっちも思っていなかったし、それこそ冗談のつもりだった。
だが、敢えてこんな質問にしたのは二つの理由がある。

一つは、隆平がこの罰ゲームを続ける意味を聞き出すため。
和田は土曜の一件で罰ゲームに真剣に取り組んでいるのは分かったが、そこまでしてゲームを続ける理由が知りたかった。
隆平の気持ちが事前に分かっていれば色々とフォローをしてやれる。

否定される事前提で、相手が動揺したり、もしくは呆れて何か情報を零してくれる事を期待したのだ。
勿論友達を侮辱されて怒った康高が誤解を解くため、真実を話してくれる事も期待していた。

そしてもう一つの理由。
どちらかというと、和田にとってはこちら方が重要である。
散々康高に脅された腹いせをしてやりたかった。
単純に言えば、康高の驚いた顔が見たかった、という何とも下らない理由だった。

だが、それはとんだ誤算だった。

結局手に入ったのは、知りたくもない事実とトラウマだけ。
実際この言葉を言って康高が怒った、という所までは計算通りだったのだが、あの凍るような目付きは、自分の友人を侮辱されたから、というものではなかった。


「(あれは、明らかな「嫉妬」だ。)」


良くも悪くも、九条が隆平を「意識」しているのは紛れもない事実だ。
それがどういう「意識」なのか、というのは、和田は分からなかったし、本当を言えば知りたくなんてなかったのだが、このまま康高が黙って見ているわけがない。

「(参った。)」

厄介ごとが一つ増えてしまった、と和田はつう、と流れてゆく窓の雨粒をただじっと眺めていた。
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