覚悟(中編)
















「センパイ?」

よびかけられ、和田が顔をあげると、そこには見慣れた後輩の姿があった。





授業をサボっていた三浦が虎組メンバーからの連絡に気がついたのは、つい数分前だ。

ケータイの画面をみた三浦は、一緒にいた友達に慌てて別れをつげると、今はめったに使われてない北階段をすべるように下った。

手すりを掴んで、勢いに振り回されないように身体の安定をたもちながらスピードを上げ、階段の最後の一段を飛び降りると、三浦はその小さな身体を遠心力に任せながら、ぐりんと直角方向の廊下に身を投げ出し、勢いのまま廊下を走った。

目指すは玄関。
まるで弾丸の様に、三浦はすさまじいスピードで校内を駆け抜ける。


はやる気持ちが抑えられなかった。



九条のいない虎組の締まりのなさに辟易としていたのと同時に、やっと「彼」の力になれると思うとひどく嬉しくなったのである。


目的地に着いた三浦は下駄箱に寄りかかって無茶苦茶に内履きを脱ぎすてた。
そしてカカトがぺしゃんこに潰れた外靴を乱暴にほうり、まるでスリッパを履くように足を引っ掛けると、そのまま外に飛び出そうとしたのだ。

が。

「んん?」


二年の下駄箱の前に見慣れた銀髪の男が、何か塞ぎ込む様にして項垂れているのに気が付いた三浦は、かかとで急ブレーキをかけると、そのままバックをして玄関に戻った。


そして冒頭に至る。


呼びかけた際の和田はどこか顔色が悪く、名前を呼ばれると、のろのろと顔を上げ「何だおめぇかよ…」と憎まれ口を叩いたが、なぜかホッとしたような顔をした。

それを不思議に思いながら和田の目の前にしゃがみ込んだ三浦は、彼の顔を覗き込むように傾げた。

「センパイ、連絡きました?九条センパイがみつかったって。」

「ああ…。」

「いまからいくんすか?」

「ああ…。」

和田の返答には覇気が無い。
心ここに在らず、と言った様子の和田を見ながら、三浦はさらに不思議そうな顔をした。

「センパイ、なんか顔色わりぃっすね」

「あー…、なんでもねぇ。心配すんな」

シッシ、と掌を振って三浦を追い払おうとするが、和田が腹部辺りに手を当てている事に気が付いた三浦は、眉間に皺を寄せ「まさか」と、いぶかしげな顔をしてみせた。

「センパイ」

「…んだよ。」

「ひろい食いは…まずいっすよ。」

「てめぇええええええええええ!!!!」

「ぎゃおおん!!!!」

至極真面目な顔をした後輩に、和田は塞ぎこんでいたのも忘れて思わず反射的に三浦の頭を殴っていた。
根っからの突っ込み体質な和田は、いつ何時であったとしても、こういったボケを捨て置く事ができない習性があるらしい。

そして三浦といえば、「わぁああん!!すげー心配したのに殴られたぁああ」と頭を両手で抑えてわんわんと泣き叫んでいた。

「具合わるそーにしてたから心配したのに、そんな心優しい後輩を殴るなんて和田さんは鬼っすーーーーー!!!!!」

「黙れぇえええええ!!!誰が拾い食いなんて真似するかぁあああ!!!!塞ぎ込んでる奴に掛ける言葉は他にあるだろーがぁあ!!!!」

「あ、でも怒るくらいの元気はあるじゃないっすか」

はは、と笑った三浦に、和田は額に手を当てて重たい溜息をはいた。
それから、苛々としながら頭を掻いて立ち上がり、三浦を置いて玄関を後にする。
それに「あー」と非難めいた声を上げた三浦は、慌てて和田の後を追った。
足が長く、歩幅が大きい和田に小走りになって隣に並ぶと、三浦はいまだ両手で頭を押さえたままで和田を呼ぶ。

「あのーセンパイ。」

「あー」

「オレ前から思ってたんすけど。」

「あんだよ。」

「たぶん、オレがバカなのって、センパイがオレの頭をポカポカ殴るからっすよね。」

「人のせいにすんじゃねぇ!」

なんとも理不尽な言い分に、和田は目を吊り上げて怒鳴ったが、三浦はまじめな顔をして「いいっすか」と唇を尖らせる。

「頭を殴るたびにね、だいじな細胞が死ぬんすよ。」

「一大事じゃないすか。」と三浦が言うと、和田は何を偉そうに、と苦虫を噛み潰したような顔をした。
大体、三浦が細胞という言葉を知っている事の方が和田にとっては一大事である。
そんな和田をよそに、三浦は自分の頭を撫でながら和田を見上げた。

「比企康高が前、『お前の脳細胞はほとんど死滅してるから大事にしろよ』って言ってたんすよ。」

その一言に和田はぎく、とした。
一瞬で顔が強張った和田に、三浦は「ん?」と首を傾げる。
その表情が先ほどと同じくどこか青褪めていることに気が付いた三浦は、自分が言った言葉の中に、原因があると確信したらしく、その中で最も有力と思われる単語を口にした。

「…比企康高と、何かあったんすんか?」

今度こそ、本当に真面目な顔で三浦が問うと、和田は観念したように重たいため息を吐き、「クソ…。」と低く呟いた。

つい先刻見た背筋が凍る様な表情が忘れられない。

和田は先ほど交わした康高との会話を思いだし、心底おのれの浅はかさを呪った。

一泡ふかせてやろうなんて、やめておけば良かった、と嘆く。
そうすれば、知らなくて良いことを、ずっと知らないままでいられたのに。

「(…少なくとも、あんな恐ろしい顔を拝まずに済んだ。)」

和田は康高のパンドラの箱を開けてしまったのである。

「(畜生、全く持って予想外だ。しかも、このタイミングで九条が見つかっただと?…最悪だ。)」



キリキリと再発してきた胃の痛みに、和田はげっそりとしてしまう。
三浦に見つかった際に青白い顔をして塞ぎ込んでいたのは、康高に恐怖したからでも、自分の身に危険を感じたからでも、もちろん拾い食いをして腹を壊したからではない。

それは…これから起きるであろう難題にストレスで胃に穴が開きそうだったからに他ならなかった。



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