覚悟(中編)
機械的な着信音が響き、和田はケータイのディスプレイを確認した。
「ん?和仁だ、悪ぃな。」
「お構いなく。」
康高の返答に、和田は届いたメッセージに目を通すと、「おいおい」とどこか辟易した声をだした。
「なにか事件でも?」
「あぁ…大事件だ。」
和田はディスプレイに表示された時刻を見ながら苛立たしげに舌打ちを零す。
「次の授業には出ておきたいのに、追い付けなくなったらどうしてくれんだ、あの野郎…。」
恨めしげにため息を付いて、ケータイを仕舞うと、和田はやけに疲れた顔をした。
「うちの大将が発見されたんだとよ…。今から回収に行って来る。」
「へぇ。ご遺体ですか。」
「…残念ながら生存は確認されているみてーだな。」
顔をひきつらせた和田に、康高はいかにも不満そうに舌打ちをこぼし「しぶといやつだ」と、呟いた。
その負のオーラをまとった康高を前にした和田は、彼と目を合わせないように、努めて自然に顔をそらす。
もちろん、そんな和田に目もくれない康高は深いため息をついた。
「(散々隆平をほったらかしにしておいて、一体どこをふらついていたのやら。)」
しかもそんな奴をわざわざ迎えに行くという目の前の男の気がしれない、と康高は呆れるほかない。
「直々に虎組幹部がお迎えにあがるとは、おたくの大将はよほど良い御身分なんでしょうね。」
「しかたねぇだろ。その大層なご身分の大将がいねぇと色々と厄介なことになる。…実際に今現在、北工を総括してんのは虎組じゃなく九条と和仁だからな…。」
なるほど、と康高はうなずいた。
この北工内の不良は、隙さえあれば虎組の寝首をかこうとしている連中ばかりだということを思い出した。
だが、九条を筆頭とする虎組幹部の圧倒的かつ驚異的な強さに、彼らが太刀打ちができるはずもない。
「(…北工の不良どもが大人しいのは奴らの牽制があってこそ、か。)」
だが、その北工の要である九条大雅が丸四日も校内に姿を見せていないのだ。
最悪、九条不在の間、これ
同時に九条の存在は、虎組の士気を高め、鼓舞する材料になり得る。
当然、彼がいなければ組全体のモチベーションは下がってしまう。
「(虎組にしてみれば都合の悪いことばかりというわけか。)」
ざまあない、と内心ほくそ笑みながら康高が物騒なことを考えていると、「つーわけで」と和田が言葉を発した。
「千葉の件はおめぇの言うとおり手をださねえ。いまは九条の回収が急務だ。」
「そうでしょうとも。」
頷いて「どうぞご無事で。」と続けた康高に和田はこれ以上ない苦い顔をした。
猛獣を檻の中に戻す作業とわかったうえでの嫌味に、さすがの和田もムッとしてしまったのである。
本当に可愛げのない後輩だ、と和田は悪態をつく。
が、そこで一つ。
和田はパッとひらめいた。
この沈着冷静な後輩をすこし驚かせてやろうという悪戯心が芽生えたのだ。
むろん深い意味はない。
ただ、さんざん馬鹿にされた腹いせに、この澄ました顔をくずして動揺するさまが見たいと思ったのだ。
「(しかえしだ、鉄仮面。)」
にやりと笑った和田は、軽い気持ちで口を開いたのだった。
かれこれ、小一時間はベンチに座っているだろうか。
それほど時間が経っていない、という事に九条は愕然とした。
そして聞こえてくるかん高い声に、煩わしげに顔を上げる。
いつの間に集まってきたのか。
ベンチのまわりは数名の女子で囲まれ、そのおかげで駅方面の視界を塞がれていていた。見えるのは女達の目にうるさい鮮やかな洋服ばかりで、九条はうんざりとしてしまう。
「ねー、暇ならうちらと遊ぼうってば。」
「すごくいい店知ってんの。連れてってあげるから。」
どう見ても年上の女達は、平日にも関わらず胸元をあけた派手ないで立ちだ。
おそらくは大学生なのだろう。
授業が入っていないのか、時間をもてあましているらしい。
そうでなければ、平日の真っ昼間からこんな格好をして街中をフラつくはずがない。
「(めんどくせぇ…。)」
九条が明らかに不機嫌なオーラを出しても、彼女たちはまっくひるむ気配がない。
神経が図太いのか空気が読めないのか、どちらにしても、その鈍感さは九条の神経を逆なでるには十分だった。
九条がひと睨みしてやると、そそくさと消える女が大半である。
しかしこの四人連れの女達はなかなかしぶとかった。
勝手にベンチの隣に座りかけて話しかけて来たり、擦り寄ってきたりと、なんとか九条の気を引こうとしている。
いつもの九条ならそこらのトイレに連れ込んでことに及んでいる所だが、あいにくと本日は全く気分が乗らず、逆にベタベタと触ってくる細い指にイライラとするばかりだ。
女の甲高い声を聞き流して、九条はぼんやりと思いに耽る。
馬鹿だと思う。
一人になりたいのであるのであれば、他にも然るべき所はたくさんあるというのに。
こんな所に一人でぽつんと座っていれば、「声をかけろ」と言っているようなものだ。
恐らく彼女らも、そういうつもりでいるのだろう。
くそ、と九条は悪態をついた。
なぜいつも自分の邪魔をする奴らばかり近くに寄ってくるのだろう。
ここに座り、ぼんやりと何かを掴み掛けていたのに、と九条は思う。
「ねー、返事くらいしてよ。」
そう言った一人の女が肩に頭を寄せてきた瞬間、いい加減我慢の限界だった九条はバッと、その女の腕を振り払った。
それに驚いた女が目を見開いて九条を凝視する。その瞳には驚きと、わずかながら恐怖の色が見えた。
その視線が煩わしく、九条は乱暴に立ち上がると女達の肩を押し退ける。
大体こんな所で何か分かるわけがない、と九条は苛立たしげに頭をかいた。
来ない。
そんな事は分かっている。
来るのはセックスのことしか頭にない尻軽な女ばかりだ。
だが、こうして来もしない人間を待っている自分も大概馬鹿なんだと気が付いた九条は、自棄になりかけていた。
この女達を無茶苦茶に犯したら、いくらかスッキリするだろうか、と後ろ暗い考えが過り、九条は自嘲を零す。
そんな自分の考えにも辟易とした九条が、ふ、と淀んだ瞳で前を見据えた瞬間だった。
「…。」
そこには、全く予想だにしない人物が立っていた。
立ち去ろうと早めた足もピタリと止まって、ただその一点から目を離す事ができなかった。
九条の後を追ってきた女が「ちょっと待ってよ」と腕に絡み付きながら耳元で甘い声を出したが、それすら耳に入らない。
そこには。
一人の少年が、肩で呼吸をしながら、真っ直ぐに九条を見据えていたのだ。