覚悟(中編)


隆平と別れた怜奈は怒りのままに歩いて、いつの間にか北工の校門の前まで来ていた。
九条への複雑な気持ちを抱えたまま北工に赴き、校門前で立ち尽くしていた所で、和仁に見付かった。

「よく調べたねぇ。千葉君の事。」

エライ、エライと頭を撫でる和仁の手を、怜奈は黙って受け止め、俯いたままだった。
それに「あれ?」と和仁は瞬きをする。
いつもなら「やめてよ」と一蹴されるのに、今日はやけに素直だなと怜奈の頭を撫でながら、和仁は首を傾げた。

「(いや、違うか。オレの手を払う気力も無いんだ。)」

一体何をどうしたらこの強気な女を泣かせられるんだ、と和仁はさらに首をひねる。

自慢ではないが、和仁はこの少女の泣き顔は一度も見たことが無い。
そりゃ泣かそう、と思って行動した事がないのだから当たり前なのだが、普通にしていればこの少女は簡単に涙を見せる様な弱い女ではない事は確かだ。
それに、どちらかと言うと、あの気弱な少年の方が泣かされそうな気さえする。

「やるなあ、千葉くん」と和仁が呟きながら怜奈の頭を撫でてやっていると、されるがままだった怜奈が俯いたままポツリと零した。

「…言い過ぎた。」

「ん?」

呟いた怜奈に視線を合わせる様にして、和仁は優しく「何が?」と問いかける。
だが、怜奈は結局それ以上は話さない。

「(…実際、言い過ぎたと思う。)」

九条の罰ゲームという事は、虎組の連中が知らないはずがない。
千葉隆平は、おそらく彼等に良い様に遊ばれているのだと怜奈は冷静になって気がついた。

思えばあの土曜の日。
千葉隆平は九条と会う約束をしていた、と言っていた。
だが九条はずっと家にいた。
九条は千葉隆平と約束をしておきながら、あそこに行く気は無かったのだ、と怜奈は思い出す。


「(でも、あいつは、それを分かって付き合っている。)」


皆に笑われて、馬鹿にされながら、それでも罰ゲームを甘んじて続けている。
遊ばれている、という事を知っていて嫌いな相手と付き合うなんて馬鹿馬鹿しいと怜奈は思う。
それくらいなら、プライドを捨てて逃げた方が怜奈にはずっとマシに思えた。

だが九条に復讐する、というのは並大抵の事ではない。
度胸がある、というのは彼女も認めざるを得ない。


「(少なくとも、今の関係を壊すのが怖くて、自分から九条に踏み出せない自分よりかは…)」

「ずっと勇気があるよね…」

「何?怜奈ちゃん?」

小さな声で呟いてそのまま微動だにしない怜奈を怪訝な顔で再び和仁が覗き込むと、怜奈はす、と和仁の手を避け、「帰る」と一言呟いた。


それでも、やはり。
自分の憧れていた場所に、いとも簡単に収まった隆平を思うと、怜奈は悔しくて涙が出てしまうのである。


「(だって、桜町に着いたとき。九条、なんだか焦ってるみたいだった。)」


九条にあんな顔をさせたのがあの男だと思うと怜奈の胸は潰れそうなほど痛んでやまないのだ。


「(だから、あいつを許す事は、きっとできない。)」

俯いたまま踵を返そうとした怜奈の腕を、和仁がやんわりと握って引き寄せる。

「ちょ~い待った。」

「…何よ」

不機嫌な怜奈に和仁が苦笑する。
これ以上化粧の取れた顔を見られたくないのだろう。
怜奈自身もはやく帰って顔を洗って、さっぱりしてしまいたいに違いない。

そんな彼女がふ、と顔を上げると和仁の後ろに、いつの間にか20人近くの虎組のメンバーが集まっていた。
それに怜奈がぎょっとして目を見開くと、和仁は何事もなかった様に怜奈の腕を離し、にっこりと笑って口を開いた。

「九条の居場所が分かったよん。」

「え…」

自然と口が空いて、怜奈は自分がひどくまぬけな顔をした自信があった。

「ほんと…?」

「ほんと。いやーついさっきね、テレビ見てたらたまたま…。今から連れ戻す所。流石に四日もリーダーが居ないとね、組がだらけちゃうから。」

どこか嬉しそうに笑った和仁の顔を見た怜奈は、少しの間考えてから「…そう」とだけ答えた。
「どこに居たの?」とか「あたしも行きたい」などの言葉が喉まで出掛かったが、怜奈はそれらをグッと押しとどめた。
それから、何事もなかった様に踵を返して、和仁に背を向ける。
そして、ちらと顔だけ和仁に向けると、怜奈は気丈にも、いつもの自信に溢れた勝気な笑みを作ったのだ。

「…じゃあ、九条に会ったら宜しく言っておいて。」

そう言って、背筋を伸ばして歩き出した怜奈の姿を眺めながら、和仁は「わかったよ」と答えたが、果たして怜奈に聞こえていたかは分からない。

「良いんすか、怜奈さん。」

少々怪訝な顔をして問いかけてきたメンバーを和仁ちら、と一瞥すると呆れた様に目を閉じてかぶりを振る。

「女心が分かってない。」

「は?」

「それじゃあモテない。」

「さ、サーセン…。」

小さくなっていく怜奈の小さな背中を見ながら、和仁はため息をついた。
こんな時でも、怜奈は自分が九条の「彼女」ではなく「セフレ」である事を忘れない。

九条の好む「セフレ」という関係をきちんと理解している。
直接本人の事となると、自分がどこまで踏み込んで良いかよく分かっている。


「(本当に、ご自分の立場をよく理解してらっしゃること。)」


とおざかる怜奈の姿に、和仁はもう一つだけ大きくため息を零したが、それ以上は目で追うことを止めて、先程テレビに映った間抜けな大将の捕獲に怜奈とは反対の方向へと踵を返して歩き出した。

しかし、皮肉なものだ。

「(まさかあんな所に居るだなんて、きっと九条はオレにだけは死んでも知られたくなかったろうに。)」


しかし、まさかこんな形で見付かるとは和仁も予想外だった。
九条はやはり爪が甘い。
お陰でイチゴミルクを思いっきり噴出してしまった。

あいつのどんな顔が見られるか、今から楽しみだな、と和仁は笑みを零した。

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