覚悟(中編)










10月の風は思ったよりも冷たい。


桜町に着いた九条は、どうしたものかと頭を抱え、ひたすら桜町周辺をウロウロとしていた。
無意味な行動に自分でも呆れ返ってしまう。
何がしたいのかも分からず、だがここから離れる事はなぜか憚られて、九条はただ黙々ときらびやかな町を一人さまよっていた。

もう、なんど女に声を掛けられたかも分からない。
その誘いに全く耳を貸さずに、ただ悶々とした気持ちで溢れ返る恋人達の間を突っ切るようにして歩く。
そして結局行く当ても無いまま、九条がいつの間にか駅に戻って来ると、再びあの白いベンチが目に入ったのである。

それはさして目立つわけでも無く、ひっそりと佇んでいた。


昼を過ぎた頃から雲が出てきたせいもあるが、太陽が遮られ、白いはずのベンチは光が当たらない薄暗い空の下で、どこかくすんだような色合いを帯びている。
こんな色の溢れ返る町の中で、誰の視界にも留まらないのに、それが確かに存在していることに、九条は妙な気分になった。

そしてゆっくりとそのベンチに腰掛けた。

そこから見える賑やかな町の風景を眺めながら、ボンヤリと考える。
なぜだか言い知れない不安がついてはなれない。
どこもかしこも浮ついて幸せそうな顔をして、賑やかな町の中で一人寂しく誰かを待つのは、こんな気持ちなのだろうか。

ぼーっと考えながら、九条は、賑やかな町からここだけすっぽりと切り離されたような感覚に陥った。
目線の先には、何か撮影でも有るのか、テレビカメラや機材を持った連中が見受けられる。

「(そうだ、ああしてたまたま映ったテレビ画面であいつを見つけた。)」

不鮮明な画面の向こうで、泣いているように見えた。

「(…待って居ろなんて一言も言ってねぇ。)」

思い出し、九条は落ち着きなくイライラと指でベンチの背もたれを叩く。

「(しょせんは遊びだ。待ってたあいつもあいつだ。適当に帰りゃよかったんだ。頭悪ぃんだよ。馬鹿じゃねぇのか。この俺が、マジで来ると思ってたのかよ。行くわけねぇだろうが。

てめぇなんかのために。)」


そう考えて、九条はまた舌打ちを零した。
よく分からない感情が溢れてしまいそうになる。ここで一人、待ち続けた間抜けな男を思うと苛々として、僅かに胸が痛むのだ。













好きでもないのに付き合わなければならないのと、好きなのに付き合えないのとでは、一体どちらの方が辛いのだろう。

「…わかんね…。」

ぽつ、と呟いた言葉は、誰の耳にも届くこともかく、賑やかな音の洪水にとけてゆく。
呟いた本人ですら、周りの音にかき消されてきちんと聞こえなかった。

隆平は一人街中を歩いていた。

怜奈にぶたれ、店を出てから隆平は学校に行く気にもなれず、ただあてもなく街中をさまよっている。

「(学校、サボっちゃったな…。)」

先程から鞄の中のケータイが何回か震えているのにも気が付かない振りをしている。

打たれた頬の痛みはとうに消えたというのに、ぐちゃぐちゃに混ざり合った頭の中で、怜奈の泣き顔が思い出される度に、胸の奥からたとえようのない痛みが走りぬけ、瞳から熱いものが溢れてくる。

自分の事しか考えていない、と言われた時は、鈍器で頭を思い切り殴られた様な衝撃だった。
好きで付き合っているわけではない。
隆平はただ自分のプライドを傷つけた人間に仕返しをしてやりたかっただけだ。
これは正当防衛であると信じて疑わなかったし、自分は何時だって被害者であると思っていた。

「(でも、違う。)」

結局は、自分の事しか考えず、ただ自分のプライドの為に九条と付き合う事を決めたのだ。

そう。
本当は仕方ない事なんてなかった。
隆平は自分の意志で九条と罰ゲームを続ける事を決めた。
それが、誰かを傷付けるだなんて考えもしなかった。

身の程もわきまえないで、いっちょまえに自分のプライドなど守ろうとして、相応しくない場所に身を置いて粋がったがこのざまだ。
こんなゲーム、もう止めてしまった方が良いのかも知れないと、隆平は口元を歪めた。
こんな痛みを伴うゲームなんて、ただ辛いだけで何の役にも立たない。


隆平は途端に逃げ出したくなった。
今までにあったことを全てなかったことにしたかった。

「(だって。)」

「(だってそれ以外に、この痛みを消す方法はないじゃないか…)」

苦しさが胸につのる。
騒がしい街の中で、隆平は途方に暮れてしまった。
うつむいてまた瞳に涙が滲んだ隆平は、ゴシゴシと乱暴に目を擦る。

康高はこういった事を予想していたに違いない。それで自分に警告をしてくれていたのだと、隆平は今更になって気がついた。

「(康高、おれ、全然わかってなかった。)」

自分の行動で誰かを傷付けるなど、隆平は想像もしていなかった。
自分が蒔いた種も収集できず、ただオロオロとしているだけで。

「(どうやって責任とっていいのかもわかんねぇ。どうしよう、どうしよう、康高。…康高。)」



そう考えながら、隆平はふと足を止めた。

「(…ちがう)」

隆平はじ、と足元を眺めた。
道の真ん中で止まった隆平を避けるように、後ろから前から流れてくる人々が怪訝な顔をして通り過ぎてゆくのを感じながら、隆平は立ち止まったまま、ぎゅうと目を瞑った。


「(これはおれが引き起こしたことだ…康高は関係ない…)」


隆平は、そっと目を開いて自分の薄汚れたスニーカーを眺めた。
康高は、なぜあんな事を自分に言ったのだろうか。
自分が誰かを傷付けると分かって、ああいう事を言ったのだとしたら、自分はそれにどう応えるべきなんだろう、と隆平は考える。


誰かを傷つけて、それに対して償いをする事が最善のことのように思える。


だが本当にそうだろうか。


今自分がしなければならない事はなんだ。



康高に助けを求めることか?
胸の痛みを消す事か?
ゲームを中断させる事か?



「(…おれは)」

地面を眺めたまま、隆平は立ちすくむ。
ガヤガヤと賑やかな町の中で隆平はスゥ、と冷静になっていくのが分かった。


「おれは。」


隆平がふ、と顔を上げると、街中の巨大なビルに取り付けられた大型テレビのアナウンサーの声。
楽しげに賑やかな町を紹介している。
その、見慣れた場所に隆平は思わず目を見開いた。

『現在デートのスポットとして一番人気の桜町駅前は今日も凄い人です~!!』

そう言ったレポーターのずっと奥に、あの日自分の座っていたベンチが丁度見える。
あの日、あそこで何時間もただ、一人の人間を待ち続けた。
来ない、と心のどこかでは分かっていて、それでも待ち続けた場所が、テレビに映し出されている。

そうして、隆平は思わず我が目を疑った。

そこには確かに誰かが座っていた。
瞬間、隆平は気がつけば走り出していた。

何日も放置されて、顔もろくに見ていない。
遠くで不鮮明な映像だったが、間違える筈もない。



会いたいのではなかった。
会わなければいけない、と隆平は思った。

会って、言わなければならない事があったのだ。














「玲奈チャーーーン」

手を振りながら暢気に近づいて来た和仁に、怜奈は赤くなった目を擦りながら、思わずふい、と目を逸らした。
それに構わずに怜奈の隣に立った和仁は、穏やかな笑みのまま怜奈の顔を覗き込み、怜奈の赤い目を確認すると、困った様に笑う。

「泣かされたの?」

その声色が思ったよりも優しくて、怜奈はまた、じわりと目に涙が浮かべたが、それを乱暴に拭うと、ふるふると首を横に振った
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