覚悟(中編)



だが、実際に会ってみてそれが全くの誤算だった事に和田は気が付いたのだ。

実を言うとこの男とは情報を買い付けるために何度か接触した事がある。
その時持った印象が「とんでもねぇ詐欺師」だった。

にこにこと笑う顔とオタク風な外見にナメてかかりがちだが、その物怖じしない態度と駆け引きの上手さにはいつも脱帽させられる。
勉強しか出来ないオタクだなんて見当違いも良いところだ。
外見で油断させておいて、この比企康高という男は腹の中でとんでもない化け物を飼っているにちがいない。

「(能ある鷹は爪を隠すってか。そんな男がまさか千葉の親友とはな。)」

どこに人の縁があるか分からないから不思議だ。
それで、隆平虐めに命をかけている和仁や、感情だけで突っ走る三浦には言えず、和田は思い切ってこの男を訪ねた。

三浦の話によるとこのふざけたゲームの詳細も知っているとのことだ。
しかし、この男は今ここから動こうとしない。

「(なぜだ。)」

「今は、その身勝手さを知って、あいつが覚悟を決める大事な時なんです。」

「…お前、本当に千葉のダチか?」

「そうですけど。」

さも当然、と言ったように頷く康高を見て、和田は一層怪訝な顔をする。

「ダチなら覚悟とかそういう事以前に、ヤバそうなら助けてやるもんじゃねぇか?」

「それはアンタのやり方でしょう。」

事も無げに言った康高はふ、と腕時計を眺めながら淡々と言葉を繋いだ。

「アンタがどういう風に隆平の味方になってやるのかは知りません。でもそれが俺と同じだとは限らないでしょう。俺は隆平が望んだことを叶えるために手を貸しているだけです。ただ助けるのと手を貸すのでは意味が違う。」

和田は返す言葉も無い。
康高は和田に物言わせぬ妙な雰囲気を漂わせていた。

「隆平が望んでいるのは罰ゲームを全うして、自分のプライドを守る事。それを叶えてやるには今日の事をあいつが自分なりに消化する必要がある。そうしないと、あいつは前に進めない。」

淡々と話す康高。
そんな康高に、和田は目を細める。
この何事も無いような顔をして、その奥に底知れない「何か」がある様な感覚には覚えがあったのだ。

「だから、邪魔をしないで貰えませんかね。」

あくまで冷静で、無表情のままの康高を見て、和田はそうか、と目を細めた。

「(こいつ、和仁に似ているんだ。)」

違うのは、それが自分のためか、他人のためかという違いだけだ。
だがわかる。こういうタイプは容赦がない。
気がついた和田はげんなりとした顔でひとつ、ため息をついてしまった。

「(和仁といい、こいつといい、どーしてこう極端なんだよ。)」

虎組副総長と、目の前の情報屋を比較して、和田は疲れたような顔をした。
それから失敗した、とうなだれる。

「(こんなことなら、一人で行けばよかった。)」
















隆平はポカン、と口を空けて怜奈を眺めていた。
ジンジンと痛む頬が、ヒリヒリと焼ける様な痛みに変わりだしたのをどこか冷静に感じながら、隆平は黙って怜奈の大きな瞳を見詰めていた。
その目はこれ以上に無い位の怒りが灯され、その中心に自分の間抜けな顔が映っているのがよく見える。




「ふざけないでよ。」




怒りの感情が含まれた声だったが、その語尾が僅かに震えたのと同時に、怜奈の瞳の中の自分が歪んだのを見て、隆平は目を見開いた。

「(ふざけるって、何を。)」

自分は至極まじめであったはずだと隆平は頭の片隅で冷静に考えた。

「九条を好きな子が、一体どれだけ居ると思ってんの…?」

その泣きそうな表情は土曜日にベンチで見かけた顔よりも、さらに悲壮に歪められていて、その瞬間にズキ、と微かな痛みが隆平の胸に走り抜ける。

「どれだけの子が、九条と付き合いたいと思って頑張ってるか知ってる?九条の彼女になるためにどれだけ皆が努力してるか分かる!?一生懸命、毎日、九条に好かれたくて努力してるのに、綺麗になるために、頑張ってるのに…、ゲームで付き合ってるって、何よ…。」

瞬間、怜奈の瞳からポロ、と涙が零れ落ちたのを見て、隆平はぶたれた頬の痛みなど忘れてしまう位に驚いて息が止まりそうになった。

「なんで好きでも無い奴が付き合えるの…?たかだか罰ゲームで!?あたし達が一生懸命努力しても、恋人にはなれないのに、なんで…っ」

怜奈の瞳からは、最早塞き止めようがないほど、次から次へと涙が零れ落ちていた。
隆平はそれを只眺めることしかできない。

「なんで、そんな簡単にっ…。」

語尾は消え入りそうになってはっきりと聞こえない。喉の奥に引っかかって言葉にならないらしい。

「好きじゃない、くせ、に、付き合うなんて、ずるい…っ」

ずるい、ずるい、とまるで子供の様に泣き出してしまった怜奈に、隆平は固まったまま動けず、怜奈を眺めていた。



頭が真っ白になっていた。

そんな隆平を涙目のままキッ、と睨み付けた怜奈は、座席の置いていた鞄を静かに引き寄せると小さく呟いた。

「…ちゃんと九条の事が好きなら、認めようと思ってた…。」

「え」

「認めた上で、勝負するつもりだった…。九条の気持ちを動かす何かが、あんたにあるのかと思ってた…。」

そう言って悔しそうに唇をかみ締めた怜奈は正面から隆平を見据えた。

「でも違った!最低な奴だって分かったよ!!自分の事しか考えて無いんじゃん!!自分が被害者でかわいそうだと思ってんの!!?なにそれ!!ばかみたい!!最悪男!!死ね!!大っ嫌い!!!」

叫ぶようにして罵声を隆平に浴びせると、怜奈は席を立った。
怜奈が横をすり抜ける瞬間、甘い香水が香ったが、もうそれどころではなかった。
遠くで店を出入りする際に流れるチャイムがかすかに聞こえて、隆平は魂がぬけた様に怜奈が去った向かい側の席をただジ、と眺めていた。

そこには怜奈の飛び散った涙が数滴、テーブルの上に残されている。

怜奈が出て行った事で、店内に僅かにざわめきが広がり、しきりにこちらを気にする店員や客の視線が痛いくらいに集中していたが、隆平はそれどころではない。
残された涙と、怜奈の泣き顔が頭から焼きついて離れない。

女の子を傷つけてしまった。

そして、泣かせてしまった。

ズキズキ、と痛む胸から迫るものに耐えられず、じわ、と視界が歪んだが、隆平はそれを乱暴に学ランで拭った。



自分に泣く資格はない、と思った。

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