覚悟(中編)
「九条と付き合っておいて自分はホモじゃないなんて言えるの?」
突き刺さるような視線に、じっとりと掌に汗をかいた隆平は混乱していた。
あらぬ疑いをかけられた隆平は、混乱と、わずかばかり沸き起こった怒りに握りしめた拳が震えているのに気が付いた。
「(康高が言っていたのはこの事なのか?)」
でも傷付いてるっていうよりは、物凄く怒っているように見えるんですけど、と隆平は涙目で背後に般若すら見える怜奈を見た。
まさか自分のような女を差し置いて、こんな愛され要素が皆無のつまらない平凡男なんかが、とでも思っているのか。
「(でも違う。全部誤解だ。おれらは好きで付き合ってるわけじゃない、ちゃんと理由が…)」
だが、と隆平はハッとする。
果たして今ここで真相を語って良いものなのだろうか。
そして喋ってしまったとして、虎組の連中、そして九条との契約がバレてしまわないだろうか、という疑問が湧いたのだ。
彼女の口から虎組の連中に罰ゲームの秘密が漏れ、これまで以上に自分の身が危うくなるのではないか。
それが隆平には心配の種だった。
だが、まさか理不尽な罰ゲームを強いられて、こんな屈辱的な疑いを女の子にかけられ、問い詰められるなんて隆平は夢にも思わなかった。
ハッキリ言って最悪だ、と隆平は唇を噛み締める。
「違います、そういうのじゃない!」
「なにが違うのよ。付き合ってるんでしょ、調べたんだから。」
「それは…」
上手い言い訳が見つからず、隆平はしどろもどろに口をもごもごとさせたが、心中ではひどく焦って、言い訳ができないもどかしさに焦りはさらに加速した。
まさか周りからそんな風に見られているなんて考えた事も無かったし、考えたくも無かった。
だが、真相を知らない怜奈は容赦ない。
「悪いけど九条の隣はあんたみたいなのが居て良い場所じゃない。男のくせに男が好きなんて変だと思わない?気持ち悪いし、普通に考えてありえない。」
「違いますって!!」
怜奈のあまりの言い草に隆平は無意識に立ち上がって身を乗り出していた。
必死になる隆平を、怜奈は汚い物を見るような目を向けてくる。それが堪らなく嫌で、隆平は今にも「やめてくれ」と叫び出しそうだった。
この美しく、魅力的な少女に異質な目で見られることに、隆平は底知れない恐怖を感じた。
「じゃあ、別れて。」
「え…」
「違うってんなら、今すぐ九条と別れてよ。」
怜奈の言葉に隆平の顔はさらに青ざめた。
「それは…」
もどかしい。
本当のことを言えず、彼女の要求に従えないこの状況が隆平にはひどくもどかしかった。
「できないの?違うんでしょ?」
「違うけど、それは…!!」
「違うなら別れて。」
間髪いれずに言い切る怜奈に、隆平のこぶしがブルブルと震えた。
どうすればいい。
考えれば考えるほど、隆平の頭の中は霞んでいくようだった。
何も思いつかない。
握っているはずの手が冷たい。
どうすれば。
「あんた、見てると苛々するんだよね。ハッキリしなくて女々しくて、女相手にビクビクして。あんたのどこが良いのか全然わかんない。」
隆平の言葉を待つことなく、怜奈が口を開いた。
「違うならそれを証明しろっつてんの。」
「…だからっ」
「迷惑なの。」
「…え」
「あたしにも、もちろん九条にも。九条を好きな女の子達にも。あんたが九条を変な道に引き込もうとしてるなら、絶対に許さないから。」
「…。」
怜奈の言葉に、隆平は唖然としてしまった。
「(変な、道?)」
頭の中で繰り返して、隆平はようやくその言葉の意味を理解した。
「…っ!!」
瞬間、全身の血が沸騰したような感覚に襲われた。
怜奈の台詞は予想以上に隆平に衝撃を与えることとなった。
「冗談じゃねぇ…!!」
口に出してから隆平は心のどこかで「しまった」と思った。
しかしその理不尽な言い草にカッとなってしまい、今はもうどうやってこの少女の誤解を解くか、その事だけで頭が一杯だった。
隆平は少女を気遣う事を頭の中から完全に追いやってしまっていた。
「千葉がついさっき九条の女に連れて行かれた。」
それを聞いた康高は、一瞬驚いた様な顔をしたが、ゆっくりと和田から視線を逸らすと、小さくため息を付いた。
「(やっぱりか。だが思っていたよりも早かったな。)」
和田から教室で呼び出しを食らった康高は、ここでは人目があるから、と連れ立って廊下を歩きながら極力小さな声で言葉を交わした。
和田は三浦から「千葉には味方がいる」という情報を得て康高を訪ねて来たらしい。
間違っても和仁や三浦には話せねー、と言った和田には康高も深く同意を示す。すくなくともこの男は、和仁や三浦と違って常識があるらしい。
そんな康高の評価を得た常識人、和田の話によると、校門前で待ち伏せている九条の女が、病院が終わって登校してきた隆平を拉致して何処かへ連れ去ってしまったらしいのだ。
成る程、誰にも邪魔されずに連れ出すには本日は絶好のチャンスというわけか、と康高はあごを撫でた。
「(その女、よくもまぁ隆平の身辺を調べ上げられたもんだ。そこらの九条信者の女と違って頭はそこそこ悪くないらしい。)」
康高が妙に感心していると、落ち着いた彼の態度に、和田は歩く速度を速めながら少し意外そうな顔をした。
「驚かないのか」
「話は大体伺ってますから。」
あえて誰からと言わなかったのは、その人物を想像しただけで虫唾が走るからだ。
名前も口にしたくなかった。
そんな康高を見た和田は「流石。」と漏らすとケータイ画面を確認する。
「俺が見てからそんなに時間は経ってねぇんだ。多分情報が中途半端に漏れて、女の方が千葉と九条の仲を勘違いしちまったんだな。今ならまだ遠くには行ってねぇはずだ。」
そう言って「行くぞ」と促された康高はふ、と足を止める。
和田が向かっているのは玄関だ。
彼の行動に大体の予測が付いた康高は、えぇえぇ、多分そんな事じゃないかと思ってましたよ、と康高が肩を竦めると和田が「なんだよ」と怪訝な顔をした。
康高はそれにただ緩く首を横に振っただけだ。
「行けません。」
「…俺の話は千葉や三浦から聞いてねぇか?」
「聞いてますよ。隆平側に付いてくれた人が居るってことは。」
「じゃあまだ信用が置けねぇからか。」
「…まあ、それもありますが…。」
この男が三浦と一緒に虎組や和仁から寝返って隆平側に付いた事は知っている。
寝返る、という表現は適切ではないかも知れない。
現にこの二人が虎組から抜けたと言う情報はこの一週間で全く耳に入って来なかったし、どうやら和仁も了承済みのようだった。
「あんたは他の連中と比べれば常識人みたいだし、虎組の中でも隆平によくしてくれていることは知ってます。」
虎組内部に立ち入れない身としては、その場に少なからず隆平を守ってくれる存在が居る、というのは康高には願っても無いことだ。
そしてこうやって隆平の危機を報せてくれる事に関しても、この男が隆平を騙すためにネコを被って近づいているわけでは無い事も分かる。
第一それを実行しているあの赤狐の様な胡散臭さが和田にはない。
「でも、これはまた別の話なんで。」
「別…?」
「そう。これは隆平自身が解決すべき問題なんですよ。」
そう、これはけじめだ。
隆平がゲームを全うする上で超えなければいけない関門なのだ。
「だから俺たちがむやみやたらに首を突っ込んでいい内容じゃない。」
康高の落ち着いた声が静かな廊下にこだまする。和田は康高の言葉を理解できないまま長い廊下の真ん中に立ち尽くす。
玄関はすぐ目の前だったが、和田にはひどく遠くに思えてならなかった。