覚悟(中編)

「あの…ホモと言いますのは…その、どなたが…」

「今この場にあんたとあたししか居なくて、なんで他の誰かの話になんのよ。」

未だ警戒してシャツの襟元を抑えた怜奈がギッ、と睨みつけてきたのを見て、隆平は乾いた笑みで「ですよね~」と答える他ない。
そして困惑する頭で冷静にその意味を理解しようと試みた。


隆平の認識が正しければ「ホモ」と言うのは、「ホモ」と言うのは…。

一瞬気が遠くなりかけた隆平の頭には、困った時にいつも助けてくれる康高先生の姿。
その白衣を着た想像上の康高が「説明しよう」と口を開く。

『ホモとは一般的に人間の意であり、霊長類サル目、ヒト科ヒト属の学名を言うが、この場合適当なホモの意とは、ホモセクシャルの略で同性愛、また同性愛者の事を指す。殊に一般的な捉え方として、ホモとは通常男性同士の同性愛者を意味する事が多い。以上。』

「ちょっとまてぇえええええ!!!」

ぽん、と消えた康高先生を想像した隆平はその意味をようやく察して、今度は自ら身を乗り出した。

「何よ。」

「一体どういう経緯でおれがホモだとぉおおお!!??」

「違うの?」

「違うわい!!!!」

「ほんとに?」

「誓って!!!」

「ないっす!!」と思わず叫ぶと、怜奈は腕組みをしながら静かに隆平を見据えた。

「じゃあ、聞くけど。」

その声色は冷静そのもの。
いや、冷静というよりも、溢れんばかりの怒りを必死で押さえているような静けさがあった。雰囲気の変わった怜奈に、隆平はビクと肩を震わせる。

そして、怜奈は確信に迫ったのである。

「どうして、あんたは九条大雅と付き合ってんのよ。」

その視線と、恐ろしいほど落ち着いた声がに、ザワ、と身の毛がよだつ感覚に襲われた。
先程の少女とはまるで異なる雰囲気。
感情が読み取れない冷めた表情からは想像し難いが、ビリビリと感じる威圧から彼女の腹の底で、どれ程の狂気が渦巻いているのかが知れる。

瞬間、隆平は全身の血がザァっと、引いたのが分かった。


「(誰かを傷つけるって、こういう事かよ。康高。)」





















「遅い,」

苛々と時計を眺めて眉間に皺を寄せたのは康高である。

授業に間に合うように今日一番で診てもらうと聞いていたのに、あのアホはどこで道草を食っているんだ、と康高は乱暴にパソコンのキーボードを叩く。

授業の間の短い休み時間、三浦が仲の良い不良仲間と連れ立って「次はサボるから!!千葉隆平が来たらおせーて!!」と元気良く手を振って出て行ったのはつい先程。
それからわらわらと仲の良い連中が集まって来て今日千葉はどうした、生きているのか、と質問攻めにあったのはそれから間もなくのことだった。

そして今は、最近三浦のせいですっかり隆平とご無沙汰している、所謂「普通の友達連中」による「可哀相な千葉隆平を不良から救出しよう」という議題の会議が厳かに開かれていた。
もともと明るい性格の隆平は、こうして普通に心配をしてくれるだけの友人も多い。
それはとても有り難い事だと康高は思っていたが、事情を知らない友人達はまるで見当違いの作戦を立てており、康高はその中心に居ながら傍観せざるをえない。

まぁ相手が虎組という事もあってか、どれもこれも消極的かつ実行出来そうも無い計画ばかりだったが、隆平を心配する気持ちが伝わって来て悪い気はせず、康高は極力生暖かい目で白熱する議論を見守っていたのだが、それを「非協力的」だと逆に咎められてしまったのはいなめなかった。

「康高、ぼやっとしてねーでお前も考えろ!!」

「そうだ!!千葉がこのまま不良連中に引きずられて真っ当な道を外しても良いのか!!」

「良くねぇええええ!!あんなアホで不運な男が不良だなんて哀れ過ぎて言葉にならねぇよおおお!!」

「そうだ!!皆で力を合わせればきっと隆平は救えるはずだ!!!」

「そうさ!!世界に平和を!!!隆平に愛の手を!!」

「おおおおおおお!!!!」

妙な盛り上がりを見せ白熱を増す会議に耳を傾けながら、康高は隆平が教室に現れないかと、入り口に目を向け「ん?」と怪訝な顔をした。

外の廊下が何やら騒がしい。

必死の形相で逃げ惑う生徒の姿が右から左へと流れて行くのが見えて、康高は何やら嫌な予感がした。

「くおらあああああああああああ!!!康高ぁあああああ!!!」

そんな彼の行動に友人の一人が、首だけ教室の入り口に向けている康高の襟元も掴んで持ち上げると激を飛ばしはじめた。

「おまえ薄情だぞおおおお!!!俺たちの熱い議論をそっちのけで何をよそみしとるんじゃーーー!!!だいたいお前が率先して隆平救出作戦をだなあああああ」

「待て」

熱く語る友人を片手で制した康高に友人連中が一斉に教室の入り口を見る。
そこに生徒の気配は無く、教室はいつの間にかシン、としていた。
そしてその入り口にとある人物を見た時には、康高はいかにも面倒くさそうな顔をしてしまった。

「やれやれ…」

そう言ってため息をついた康高の襟元から友人の手がする、と抜ける。
見なくても口を半開きにして青い顔をしている姿が容易に想像できた。
予想外の事態に言葉も出ないのだろう。
誰も身動きが取れず、まるで何かの魔法にかかったように硬直してしまっている。

そこには長身で銀色の髪の毛。

相手は康高を見つけると、軽く手を上げた。

「よう、比企。ちょっといいか。」

悪びれなく声を掛けてきたのは虎組のナンバー3と名高い男。

「和田…宗一郎…」

そう友人の誰かが呟いた言葉に、康高はもう一度深くため息をついた。

全く最近は面倒な客しか来ない。
だがその客が「虎組」である以上、それはきっと隆平に関係している事なのだろう。

それを放っておけない自分もいい加減面倒な人種だ、と自覚しながら康高はゆっくりと立ち上がった。
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