覚悟(中編)
薄暗いホームに大きなクシャミが響いたのは隆平の思考回路がショートしたのとほぼ同刻であった。
「?」
風邪か、と考えを巡らすが覚えがない
だが特に気に留めず、盛大なクシャミをした九条はズッ、と鼻を啜った。
どこか暇を潰すのにいい場所がないだろうか、あてもなく無意識にふら付いた九条が辿り着いたのは一つの駅だった。
何人か見知らぬ女に声を掛けられた様な気がするのだが、素通りしてしまったのを、九条は今更になって後悔していた。
そこら辺の女を上手く捕まえて、その女の家に転がり込めば一日二日は持ったかもしれなかったのに、意識が全く違う方向へ飛んでいた自分を九条は今更ながらひどく恨めしく思っていたのだ。
そもそもの原因は、あのライオンの様な髪の毛をした男の言葉である。
出かける間際に真悟が言った一言が九条の頭から離れないのだ。
『何をそう悩んでいるか知らないが、あまり意固地になるなよ』
「(…意固地?俺が、一体何に対して。)」
『悩んでる暇があったら行動に移せ。まだ若いんだからな、お前は。』
「…」
黙って改札を抜けた九条は深いため息を付いた。
簡単に行動に移せるようなら悩んじゃいねぇ、と九条は思う。
「(どうすれば良いか分からねぇからムシャクシャして、悩んでんじゃねぇか。)」
悪態を付く九条は、無意識というのはかくも恐ろしいものか、と辿り着いた駅を出ると思わず頭を抱えた。
彼の目に入ったのは近代的で美しい港町。
そこにひっそりと佇んだ白いベンチを眺めた後、九条は不意に後ろを振り向いた。
そこには大きく「桜町駅」という文字が掲げられていたのである。
この鬱々とした気持ちが、どうすれば晴れるのか、九条は知りたかった。
そして、ここに来れば少なくとも何かが分かるような気がしたのだ。
「あの、カフェオレお待たせ致しました。」
明らかに不釣合いなカップル(?)の目の前に果敢にも挑んだのは二十代前半の女性店員だった。
二人の微妙な剣幕(厳密には片方)に少々遠慮がちに声をかけてきた店員に、もはや色々なものの板ばさみになって涙目だった隆平は、ナイスタイミング、と心の中で店員を褒め称えた。
しかし怜奈は隆平を凝視したまま店員を見ることなく「そこに置いて下さい」と極めて冷静に呟いたのである。
「…!!!」
怜奈の言葉に隆平が必至で「行かないで」と店員に目で訴えるが、怜奈の言葉通りテーブルにカフェオレを置いた店員は、彼女の剣幕にそそくさと奥へ引っ込んで行ってしまったのだった。
目から涙が滲んできた上にぷるぷると隆平が震えたのは無理もなかった。
カフェオレの良い香りが鼻を掠め、隆平は鼻をひくと動かした。
沈黙が流れる二人の間に、周りの客がこちらを注視しながらコソコソと囁きあうのが聞こえる。
女の子美人だな、とか男の方は地味だ、とか修羅場だ、とか、別れ話か、など、不躾な視線が送られる上に、勝手な憶測が飛び交って、隆平は心底居た堪れない気持ちになった。
だがこのままではまともに話もできやしない。
隆平は意を決して恐る恐る怜奈に話しかけた。
「あ、あの」
「何よ」
不機嫌さを帯びた声を出した怜奈が机から身を乗り出し、一層隆平との距離を縮める。
とたん、ふわ、と香った香水に「甘い香りをさせないでくらはい…」とふにゃふにゃになりながら呟いた隆平は、なるべく怜奈を見ないようにして声を出した。
「と、とりあえず座ってもらえませんか…。」
「何で。」
「その…、この位置だと…む、む」
「む?」
む、と言う唇がまたセクシーで、躊躇しながらそこまで言った隆平はごく、と喉を鳴らすと蚊の鳴くような声で言った。
「む、胸の、」
「胸の?」
「た、谷間が…」
「…。」
隆平の言葉に大きな目をぱち、と瞬かせると、怜奈は黙って自分の胸元を確認した。
それからぐわっ、と大きな目を零れ落ちんばかりに見開いたかと思うと、瞬間、自分の方に引き寄せていた隆平の鞄を、持ち主に思い切り投げ返したのである。
「ぶっ!!!」
それが顔にクリティカルヒットし、隆平が床に落ちた鞄をものともせず、「おおおお」と両手で自分の顔を押さえて痛みに悶えていると、周りのギャラリーが「おお」と僅かにどよめいた。
それに気が付いて、シャツの襟元を押さえた怜奈は座ってきつい眼差しを隆平に向けると、「どこ見てんのよ変態!!」と小声で隆平を批難した。
そんな彼女に、セックスだのえっちだのと言っておいてそこで恥じらいを見せるのか…と、鞄が当たった鼻を擦って大事無いか確認した後、恨みがましい目を怜奈に向ける。
「注意しただけなのに…」
「うるさい!!!変態!!ホモ!!」
「見てない!!見てないですおれ!!ほんとです!!百歩譲っても、こう、チラッと見えたか見えてないかの瀬戸際でほんと、おれ…って、え?」
慌てて弁解をする隆平は、怜奈の言葉の語尾になんとも理解し難い単語がくっ付いていた様な気がして、思わず首を傾げた。
「あの、今…」
このまま流すには非常に聞き捨てならない言葉だ、と隆平は恐る恐る聞き返す。
怜奈はシャツのボタンをしめ、形のいい眉を吊り上げて隆平を見ると、苦々しい顔をしながらその可愛らしい唇を開いた。
「ホモ。」
「…」
「ホモ。」
「あの…」
「ホモ野郎。」
「…。」
ご丁寧に三回も言われた隆平は、「ホモ…」と繰り返し、遠い眼をしてしまった。