「黒猫」もうひとつの物語第三弾「ある精神科医の○○物語」

 俺はメンタルクリニックを開業している。精神科医などといえば聞こえはいいが、話を聞いて一緒に悩んであげることしかできない。医者である以上、患者のことは診るが、うちへ来る患者の大半は、話をじっくり聞いてあげるだけで、気分がスッキリしてしまうらしい。それでも、「あそこの院長はちゃんと聞いてくれる」と、口コミで評判が立ち、そこそこ繁盛している。
 俺が旧友から連絡をもらったのは、春から夏へ向かう、とてつもなく暑い日のことだった。
 しかも、診てほしいと言われた患者の名は「ミシェル・エミール・ド・リシャール」、日本名を「立花葵天」。俺の元彼の息子だ。
 断ってもよかったのだが、アメリカからひとりで日本へやって来たという少年は、なにかとんでもないことに巻き込まれ、逃げるように日本へやってきたように思える。
 それに、この仕事がレオへ繋がる糸口なら……我ながら女々しいな。
 俺の忘れられない男。
 レオ・エミール・ド・リシャール。
 愛しい人。
 ──────────
「ああ、直接院長室へ来てくれ」

 ある日、クリニックの院長室で待っていると、レオと同じ髪色をした美しい少年が入って来た。瞳の色は違うが、髪色がレオそのものだった。我ながら女々しい……よな。
「はじめまして、ここの院長をしています、赤城です」
「はじめまして、立花葵天です」
 ごく普通の少年に見えるが、彼を取り巻く環境が、ほかとは違うと感じてならない。
「僕は診察に来たんじゃないんですか」
 この子はなにを怖がっているのだろう。
「蒼野がそんなことを言っていましたか」
「いえ、言っていませんでした」
「一度君と話がしてみたくて、前々から蒼野に頼んでいたんですよ」
「学校の授業がある平日にですか」
 自分のまわりに壁を作って……大人を拒絶している?
「俺、平日しかここにいないからね」
 少しラフな会話をしていくか?
「こちらの看板には載せていないようでしたが、もしかして『メンタル』メインですか」
「君は賢いね、その通りだよ」
 驚いた。そんなことを探りながらこの部屋へやってきたのか。
「蒼野、彼は本当に頭がいいんだね」
「そうだな。この子は母親に似たのかもしれない」
「そうか。俺は父親に似ていると思うぞ」
「待ってください。ドクターはパパのことを知っているんですか」
 おっと、食いついてきたな。
「彼に聞いていなかったかな。俺は友人だと……」
 この子は、何かを知りたがっているのかもしれない。
「君の父親とは彼が一年の秋に編入してきてから卒業まで、母親とは中高の六年間、学友だったんだよ」
「えっ、大学は……」
「聖陵には医学部がなかったからね」
「そうですか……」
「両親のことで何か質問ある?」
「いえ、今はいいです」
「そうか」
 自分を隠すのが得意なのかな。この歳の子は、もっと自由でいいんだけどな。
「葵天くん。何かいろいろ考えているみたいだけど、大丈夫?」
「いえ、樹パパがなぜ僕をドクターに会わせたのか、気になっています」
「そう。君の昨夜の夢の話っていったら腑に落ちる」
 まずは、ここからだな。
「君の夢の中に出てくる『リック』という人は、知り合いなのかな」
「知らない人です。そもそもバスケで遊んだのはバンドメンバーで……」
「どうかした」
 どうやら、夢と現実が合致しそうでまだしていないってところか。歯がゆいだろうな。
「ドクター。もし僕がそのリックという青年の恋人だったとしたら、それはどういうことですか。僕と彼はどこに接点があるんですか」
 おいおい、そんなこと俺に聞いてどうする。わかるわけないだろう。
「待った待った。君は頭の回転が早すぎるよ。少し落ち着こうか」
 そうだ、まずは落ち着かせよう。
「僕は『リック』という青年に『好き』と話しています。彼も僕にそう言っていました。それって、相思相愛で恋人ってことですよね」
 ほう、男同士か……この歳にして……蛙の子は蛙ってか?
「葵天くんは、誰かに告白されるなんて経験はあるのかな」
「……告白されても、それに答えられないことの方が多くて……違うな。好きだと思っていても『好き』って言えないです」
「君はピュアだね」
「からかわないでください」
「これは、すまなかったね。おじさんになると、そんな感覚が薄れていてね」
「そういうものなんですね」
 驚いた。大人が怖いんじゃないんだ。
「冷めてるな。君は大人ですか、子供ですか」
 さあ、はっきり答えてくれるかな。
「今、何を考えていましたか」
「……別に何も考えていません」
「君とはいずれ、ゆっくりと『夢』以外の話ができたらいいね」
「そうですか。僕にはよくわかりません」
 いつか『夢』以外のことか……おそらく、この子が知りたいであろう話を、じっくり、ゆっくり、話してみようかな。
「葵天くん、蒼野と少し話があるから、外で待っていてくれるかい」
「はい」
 彼は警戒心を解かないまま、部屋から出ていった。

「あの子の壁を壊すのは難儀だね」
「壁?」
「なんに対して恐れているのか、なにを知りたいのか、なにを求めているのか……やはり記憶が戻らないと先へは進めないということかな」
「そうか」
「なあ、いつかあの子に、俺たちのこと話していいか?」
「俺たちって……まさか」
「そのまさか」
「傷つけることはするなよ」
「あの子もカエルだよ。レオのように人間になるのかもしれないし、ならないのかもしれない」
「それでも、あの子にはもう、傷ついてほしくない」
「まるで父親だな」
「俺は日本での父親のつもりだ」
「羨ましいな。何かあったら、時間を気にせずすぐ連絡をくれ。それが、あの子を守ることになる」
「わかった。これからも頼むよ」
 蒼野が出ていって、妙に寂しさが込み上げてきた。
『日本での父親』、そう言い切れる蒼野のことが憎らしくも思えた。
 でも、あのまま俺といたら、あんなに美しい少年を『息子』とは、呼べなかったんだろうな。
 レオ、お前は今、息子を手放し、妻と離れて、幸せなのか? 教えてくれ。
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