黒猫
試験に合格した僕は、一度アリーナのある街へ出てみようと思った。
「イツキパパ、お話があるんですが今よろしいですか?」
「ああ、私の部屋でいいかな?」
「はい」
樹パパの部屋へ入ると、本棚にたくさんの本が並んでいて、何冊か読んでみたい本を見つけてしまった。
「君は本が好きだったね。読みたいものがあれば、持って行って構わないよ」
さすがによく気がつく人だな。
「明後日の金曜日から、二泊三日で神楽台のマンションに行ってきてもいいですか?」
「アリーナの近くに、ライブハウスNEXUSとスタジオStella Waveがありますね」
「はい」
樹パパは頭の回転が速い。僕の話を聞いてより深く理解してくれる。
「学校が始まる前に一度、NEXUSやStella Waveをこの目で見ておきたくて……」
「そうですね。マンションの部屋については、滝さんに管理をお願いしているので、話しておきましょう」
「ありがとうございます」
「スタジオStella Waveには、おそらく佐々木がいると思うので、そちらにも連絡しておきましょう」
神楽台のマンションは、僕のパパが不動産に興味を持ち、完全防音設計にして建てたものだ。
話がまとまったところで、僕は樹パパの部屋を出た。
部屋へ戻ると、ドアの向こうから樹の声がした。
「アオイ、入っていい?」
「どうぞ!」
「アオイ、父さんから聞いたけど、神楽台のマンションへ行くんだって?」
「うん。スタジオとライブハウスへ顔を出したいから……」
「俺も行くことにしたから、よろしくな」
「何で?」
「電車の乗り方、スタジオとかの場所わかる?」
「わかりません。よろしくお願いします」
日本へ来て初めて、蒼野の家を離れて生活する。と言っても、たったの二、三日のことなのだが、住み慣れた場所を離れるのは寂しい。
お爺さまやお婆さまのそばを離れる時もそうだった。でもアメリカを離れる時は、さほど寂しくはなかった。
樹とふたりして電車に乗り、アリーナがある街へと向かう。大きな駅に着くと、駅前にはアリーナと背の高いビルが立ち並んでいた。駅を挟んだ反対側には住宅地が広がっている。どうやらこの駅を境に街の様子がガラリと変わるらしい。
「スタジオとライブハウスどっち先に行く?」
「……スタジオかな。案内よろしくお願いします」
「了解」
樹は額に手を置き、敬礼のスタイルで答えている。その光景がおかしくて笑ってしまった。
「何笑ってんだよ」
「だって、イツキがあまりにも可愛らしいから……」
「可愛らしい言うな!」
今年十六歳になる男を捕まえて「可愛らしい」は失礼だったかな。
「ごめん。僕の失言だね」
「ほら、そこスタジオStella Wave」
「外観、オシャレだね」
「そうだな」
中へ入ると受付カウンターに佐々木さんがいた。
「佐々木さん、ご無沙汰しています」
「ああ、葵くんと樹くん。久しぶり」
「カエデたちのバンドは練習に来ますか?」
「今日は明日のライブのリハーサルにNEXUSに行ってますよ」
「そうですか。後でNEXUSに寄ってみます」
「少しギターでも弾いていきますか? White snowは今、海外ツアー中ですから、101号室(イチマルイチ号室)は空いていますよ」
「それじゃあ、三十分ほど弾いていこうかな」
佐々木さんが奥から僕のギターを持ってきてくれた。
「こちらですね」
「ありがとうございます。少し遊ばせてもらいます」
「ごゆっくり」
僕は樹を伴って101号室へと入る。
「広い部屋だな」
「ここは、メジャーデビューしたバンドが使う部屋なんだ。だから大所帯のバンドでも入れるように広く作られているんだ」
「なるほど……」
「元はパパのための部屋だからね」
樹は納得したようだった。
ギターのチューニングをして、アンプとつなぎ、十二歳の時、世界大会のオープニング・セレモニーで披露した曲を演奏してみた。
樹は無言で手を叩き、僕を称賛してくれた。
「イツキ、感想は?」
「かっこいい! 俺楽器弾けないからさ、ギター弾けるアオイが羨ましいよ」
「じゃあ、そこにあるキーボード、一緒に弾いてみる?」
「無理だよ。俺さ小学校……十歳の時音楽の授業で、リコーダーを吹いたんだけど、音が汚くてさ……。同じリコーダーなのに、女子が出す音はメッチャ綺麗でさ。俺その時、楽器は無理って思ったよ」
樹の愚痴にも似た言葉を聞きながら、僕はギターを置いた。そして無言でキーボードの椅子に樹を座らせた。その右隣に僕も座り、鍵盤に手を置く。
「イツキ、ここがミの位置ね。中指を置いて」
「こうか?」
「そう。僕が弾いてみるから、同じようにやってみて」
♪タタタタ……
「難しいな……」
♪タタ……
「うまいうまい。その調子」
なんだか嬉しくなってきた。樹が僕と一緒にキーボードを弾いている。
「イツキ、楽器を弾くのって楽しいでしょ」
「そうだな。少しだけど、お前と同じように弾けたことが不思議だ」
「いつかまた、こうして一緒に弾いてみよね」
「そうだな。いつにとは言えないけどな」
僕は久しぶりに音に触れて嬉しかったけど、やっぱり樹は、音楽には興味無いのかな?
僕は佐々木さんにギターを預け、樹の案内でライブハウスNEXUSへと向かった。
NEXUSの入口付近で掃除をしている女性に声をかける。
「すみません。店長の田所さんはいらっしゃいますか?」
「おりますが……。お名前を伺ってもよろしいですか?」
「立花葵天です」
「蒼野樹です」
「少々、お待ちください」
しばらくすると、入口にメガネをかけた小太りの中年男性が出てきた。
「いやぁ、葵天くん! 元気してたかい?」
「はい、田所さんも元気にしていましたか?」
「見ての通り、中年の悲しい末路だよ」
そう言いながら、自分のお腹をさすっている。
「今日は、楓のバンドがリハをしていると聞いて伺いました」
「中でやっているよ。見ていく?」
「はい。見学させてください」
僕らは田所さんと一緒にハコの中に入っていった。
「ギター、音ください」
「はい、OKです」
「ヴォーカル、声お願いします」
「はい。次、ドラムお願いします」
「それでは、何か演奏してみてください」
あれ……なんだろう、ドキドキする。少し頭も痛いな。
「アオイ、どうした。具合でも悪いのか」
「いや、少し頭が痛くて」
「葵天くん、ここに座りなさい」
田所さんが椅子を用意してくれた。僕はそこに座り、しばらく目を閉じた。
ギターの音がやけに耳に残る。その奥でドラムのリズムが曲を進める。
あのドラマー、どこかで見たことがある。
「誰……」
「なに。アオイ、どうした」
「ううん。大丈夫」
どこかで見たことのあるドラマーの姿。誰だったか思い出せない。
「そうか」
ごめんね。本当のこと言えなくて。
楓たちのリハーサルが終わって、ステージから降りてきた。
「おお、イツキ久しぶり。アオイ……体はもう大丈夫か」
「うん。心配かけてごめんね。もう大丈夫だよ」
「誰だ?」
「あっ、わりぃ。紹介するわ。蒼野樹と立花葵天。俺の幼なじみ。で、こっちのイケメンが藤川伊織(ふじかわいおり)で、可愛らしい顔のやつが、西園寺薫(さいおんじかおる)」
「楓、バンドやってたんだな」
「親父がベースやっててさ。これ親父のお下がり」
楓が自慢げにベースを指さす。
「アオイ、いつ日本に来たんだ」
「去年のクリスマス……」
「そっ。今、俺ん家で同棲してる」
また、樹は誤解を招くようなことを言っている。
「イツキ、その説明は間違いだから。蒼野家に下宿させてもらっているんだよ」
「下宿ね……」
「同じ屋根の下で生活してるんだ。嘘じゃねーよ」
「はい、そこまで。藤川くんのギター、とってもかっこよかったよ」
「ん?!」
「ああ、アオイもお前と同じギタリストなんだ」
「ギタリスト……」
藤川くんは、僕に興味を持ってくれたのかな。
「それと、薫は神楽台マンションの住人だ」
「僕んちは六階だよ。アオちゃんも、同じマンションなの?」
アオちゃん……。この西園寺薫という男は随分人懐っこいな。
「うん。僕の部屋は最上階だよ」
「じゃあオーナールームだ。オーナーの息子とか?」
「うん」
「今夜から日曜までマンションにいるんだ。カオルちゃん。時間が合えば遊びにおいでよ。お茶のひとつもご馳走するから。……藤川くんも……一緒にね」
「行く行く!」
僕が「カオルちゃん」と呼んでも怯まないなんて……。この男は人気商売向きかもしれない。
「俺は誘わねーのかよ」
「楓はもちろん、来るでしょ」
「当然」
「明日ライブ本番なんだって? 時間教えてよ。久しぶりにライブの空気、味わいたいから」
「そうか。ライブはPM6:00スタートだ」
「OK! 田所さん、当日券はありますか」
近くで作業をしていた女性店員に田所さんが声をかけた。
「千歳さん、明日のチケットはどうなっていますか」
「はい、当日券あります」
その声を聞いて、僕は田所さんに声をかけた。
「じゃあ、そのチケット二枚お願いできますか」
再び田所さんが女性店員に声をかける。
「千歳さん、この子たちは、明日ライブに来てくれるお客さんです。チケット用意できますか」
「はい、今用意してきます」
「田所さん、日本のライブチケットの相場はいくらぐらいですか」
「今回は、アマチュアだからね……三千円だね」
「では、二枚分お願いします」
僕は田所さんに六千円を渡した。
千歳さんが用意したチケットを手に戻ってきた。
「店長、こちら……」
「千歳さん、会計お願いしてもいいですか?」
「はい」
田所さんとは、ニューヨークのライブハウスで知り合った。あの当時は厳しい口調で少し怖い印象を受けた。今、目の前にいる彼はとても柔らかな話し方をする。なんだか落ち着くな。
僕と千歳さんのやり取りを見て、楓が声をかけてきた。
「見ての通り、俺ら以外のバンドも出るから、結構楽しめると思うぞ」
「みたいだな。楽しみにしてる」
樹にしてはライブに乗り気だ。
僕らは店長の田所さんに挨拶をして、ライブハウスを後にした。
「明日楽しみだな」
「イツキ、楽しそうだね」
「俺、ライブってアメリカでのアオイのステージしか経験なくてさ。コンサートとか、一度は行ってみたいと思ってたんだよな」
「僕も久しぶりのライブだから、楽しみだよ。僕もあちら側だともっと楽しいんだろうな」
樹の顔が少し曇ったように見えるが、知らぬふりをしてしまう。やっぱり僕は音楽が好きなんだ。
大きな駅からひと駅西へ向かう。
地下の改札から長い階段を上り、地上へと出る。
駅前の交差点を渡り東へ大通り沿いを進むと、小高い丘の上にそのマンションはそびえ立っていた。
「あそこだよ。あの近くに楓の家もあるんだ」
樹の案内でマンションへとたどり着いた。
七階建てのマンション、しかもその最上階とくれば見晴らしが最高に良いのだ。
以前フェスに参加した後、あの部屋から花火が見えていた。とても綺麗だったことを覚えている。
マンションの入口で、一人の女性と出くわした。
「あら、樹くん……。ということは、あなたが葵くんかしら?」
「こんにちは、フランスではお世話になりました」
「いえいえ、こんなに立派になられて驚きましたよ」
年齢は、僕の母さまより少し上だったと記憶している。働き者で気の利く優しいおばさまだ。フランスにいる頃、祖父母とともに、僕の世話をしてくれた。母さま代わりの女性だ。
「今日から二、三日、こちらでお世話になります」
「はい、ご自分のお部屋なのですから、ゆっくりなさってください。今夜のお夕食は、後ほど伺って準備させていただきます」
「何から何までありがとうございます。明日からは、自分たちで出来ることはしますね。ただ、何分、不慣れな点もあるので、その時は教えてください」
「はい、何なりと仰ってくださいな」
「では、後ほど」
樹が何か呆けているので背中を軽く叩いてみた。
「あっ、お前大人の対応得意な!」
「ビジネスの上では当たり前のことだし、何より滝さんにはお世話になるんだから、礼は尽くさないと失礼でしょ」
「そっか、勉強になります」
樹の神妙な顔を見て僕は、この歳の少年はこれから大人になっていく準備をするのだと気づいた。
「うわぁ、ここがアオイの部屋か」
「今はね。前はパパたちの部屋だったけど、彼らはもう日本へは来ないから」
「日本に来るなって言ったとか?」
「金銭感覚が無茶苦茶だったからね」
僕のパパは、とてつもなくお金を稼げる人だった。
そして、そのお金を湯水のように使い果たす技も持ち合わせていた。
つまり、金銭感覚が僕らとは全く違っていて、互いの考え方も相容れないものだった。
「だから、日本での経営を母さまに引き継いでもらったんだ」
「お前の母上は、頭もいいし偉大だな」
「忙しい母さまに代わって、イツキパパと楓パパには業務執行社員として働いてもらっている。パパのやり方では会社を続けていけないから……」
「会社を動かすって、大変なんだな」
「そういうこと。今は日本側の経営と資産は完全に切り離してある。パパのお金の使い方で会社まで巻き込まれたら、働いている人たちにも迷惑がかかるからね」
「アメリカの方は……」
「優秀な秘書と弁護士、それに代理人を立ててあるから、三人が何とかしてくれると思うよ」
「それにしても、リビングにグランドピアノって初めて見たわ」
「身内でパーティーとかする時、ピアノ演奏したりするからね」
「なんだか、すべてが規格外だな」
少しの間、樹とふたりしてソファーにもたれてのんびりしていた。
僕はいつの間にか樹の肩にもたれて、少しの間目を閉じた。
「あ"っ……」
「アオイ、どうした?」
「イツキ……あのドラムを叩いている人は誰だろう」
「はぁ、西園寺か」
「カオルちゃんじゃないよ。ブロンドの髪で青い瞳の彼は……」
「俺は知らない。誰だよ」
樹の顔が引きつっているようにも見える。何か知っているのだろうか……。
樹は僕を抱きしめて、顔を近づけてくる。
「イツキ、どうしたの?」
樹の顔が僕の目の前にあって、今にも唇が触れそうになっていた。
僕はずるい。
わかっていて知らぬふりをする。
樹の気持ちにも僕の気持ちにも。
樹にはそばにいて欲しい。でもそれ以上は望んではいけないと心に蓋をする。
僕の思いは、これからどこへいくんだろう。
その夜、樹は僕を心配して、同じベッドで寝ると言い張った。
「ぎゃああああ」
「アオイ、大丈夫か?」
「怖いよ……イツキ……」
「アオイ、怖い夢でも見たのか」
僕は樹にしがみつき震えていた。
「大丈夫だ。ただの夢だから。俺がそばにいるから、安心しろ」
「うん。イツキ、そばにいて」
僕はずるい。僕は、『そばにいて欲しい』と願うだけで、『そばにいてあげる』とは、言えない。ごめん、樹。
「イツキパパ、お話があるんですが今よろしいですか?」
「ああ、私の部屋でいいかな?」
「はい」
樹パパの部屋へ入ると、本棚にたくさんの本が並んでいて、何冊か読んでみたい本を見つけてしまった。
「君は本が好きだったね。読みたいものがあれば、持って行って構わないよ」
さすがによく気がつく人だな。
「明後日の金曜日から、二泊三日で神楽台のマンションに行ってきてもいいですか?」
「アリーナの近くに、ライブハウスNEXUSとスタジオStella Waveがありますね」
「はい」
樹パパは頭の回転が速い。僕の話を聞いてより深く理解してくれる。
「学校が始まる前に一度、NEXUSやStella Waveをこの目で見ておきたくて……」
「そうですね。マンションの部屋については、滝さんに管理をお願いしているので、話しておきましょう」
「ありがとうございます」
「スタジオStella Waveには、おそらく佐々木がいると思うので、そちらにも連絡しておきましょう」
神楽台のマンションは、僕のパパが不動産に興味を持ち、完全防音設計にして建てたものだ。
話がまとまったところで、僕は樹パパの部屋を出た。
部屋へ戻ると、ドアの向こうから樹の声がした。
「アオイ、入っていい?」
「どうぞ!」
「アオイ、父さんから聞いたけど、神楽台のマンションへ行くんだって?」
「うん。スタジオとライブハウスへ顔を出したいから……」
「俺も行くことにしたから、よろしくな」
「何で?」
「電車の乗り方、スタジオとかの場所わかる?」
「わかりません。よろしくお願いします」
日本へ来て初めて、蒼野の家を離れて生活する。と言っても、たったの二、三日のことなのだが、住み慣れた場所を離れるのは寂しい。
お爺さまやお婆さまのそばを離れる時もそうだった。でもアメリカを離れる時は、さほど寂しくはなかった。
樹とふたりして電車に乗り、アリーナがある街へと向かう。大きな駅に着くと、駅前にはアリーナと背の高いビルが立ち並んでいた。駅を挟んだ反対側には住宅地が広がっている。どうやらこの駅を境に街の様子がガラリと変わるらしい。
「スタジオとライブハウスどっち先に行く?」
「……スタジオかな。案内よろしくお願いします」
「了解」
樹は額に手を置き、敬礼のスタイルで答えている。その光景がおかしくて笑ってしまった。
「何笑ってんだよ」
「だって、イツキがあまりにも可愛らしいから……」
「可愛らしい言うな!」
今年十六歳になる男を捕まえて「可愛らしい」は失礼だったかな。
「ごめん。僕の失言だね」
「ほら、そこスタジオStella Wave」
「外観、オシャレだね」
「そうだな」
中へ入ると受付カウンターに佐々木さんがいた。
「佐々木さん、ご無沙汰しています」
「ああ、葵くんと樹くん。久しぶり」
「カエデたちのバンドは練習に来ますか?」
「今日は明日のライブのリハーサルにNEXUSに行ってますよ」
「そうですか。後でNEXUSに寄ってみます」
「少しギターでも弾いていきますか? White snowは今、海外ツアー中ですから、101号室(イチマルイチ号室)は空いていますよ」
「それじゃあ、三十分ほど弾いていこうかな」
佐々木さんが奥から僕のギターを持ってきてくれた。
「こちらですね」
「ありがとうございます。少し遊ばせてもらいます」
「ごゆっくり」
僕は樹を伴って101号室へと入る。
「広い部屋だな」
「ここは、メジャーデビューしたバンドが使う部屋なんだ。だから大所帯のバンドでも入れるように広く作られているんだ」
「なるほど……」
「元はパパのための部屋だからね」
樹は納得したようだった。
ギターのチューニングをして、アンプとつなぎ、十二歳の時、世界大会のオープニング・セレモニーで披露した曲を演奏してみた。
樹は無言で手を叩き、僕を称賛してくれた。
「イツキ、感想は?」
「かっこいい! 俺楽器弾けないからさ、ギター弾けるアオイが羨ましいよ」
「じゃあ、そこにあるキーボード、一緒に弾いてみる?」
「無理だよ。俺さ小学校……十歳の時音楽の授業で、リコーダーを吹いたんだけど、音が汚くてさ……。同じリコーダーなのに、女子が出す音はメッチャ綺麗でさ。俺その時、楽器は無理って思ったよ」
樹の愚痴にも似た言葉を聞きながら、僕はギターを置いた。そして無言でキーボードの椅子に樹を座らせた。その右隣に僕も座り、鍵盤に手を置く。
「イツキ、ここがミの位置ね。中指を置いて」
「こうか?」
「そう。僕が弾いてみるから、同じようにやってみて」
♪タタタタ……
「難しいな……」
♪タタ……
「うまいうまい。その調子」
なんだか嬉しくなってきた。樹が僕と一緒にキーボードを弾いている。
「イツキ、楽器を弾くのって楽しいでしょ」
「そうだな。少しだけど、お前と同じように弾けたことが不思議だ」
「いつかまた、こうして一緒に弾いてみよね」
「そうだな。いつにとは言えないけどな」
僕は久しぶりに音に触れて嬉しかったけど、やっぱり樹は、音楽には興味無いのかな?
僕は佐々木さんにギターを預け、樹の案内でライブハウスNEXUSへと向かった。
NEXUSの入口付近で掃除をしている女性に声をかける。
「すみません。店長の田所さんはいらっしゃいますか?」
「おりますが……。お名前を伺ってもよろしいですか?」
「立花葵天です」
「蒼野樹です」
「少々、お待ちください」
しばらくすると、入口にメガネをかけた小太りの中年男性が出てきた。
「いやぁ、葵天くん! 元気してたかい?」
「はい、田所さんも元気にしていましたか?」
「見ての通り、中年の悲しい末路だよ」
そう言いながら、自分のお腹をさすっている。
「今日は、楓のバンドがリハをしていると聞いて伺いました」
「中でやっているよ。見ていく?」
「はい。見学させてください」
僕らは田所さんと一緒にハコの中に入っていった。
「ギター、音ください」
「はい、OKです」
「ヴォーカル、声お願いします」
「はい。次、ドラムお願いします」
「それでは、何か演奏してみてください」
あれ……なんだろう、ドキドキする。少し頭も痛いな。
「アオイ、どうした。具合でも悪いのか」
「いや、少し頭が痛くて」
「葵天くん、ここに座りなさい」
田所さんが椅子を用意してくれた。僕はそこに座り、しばらく目を閉じた。
ギターの音がやけに耳に残る。その奥でドラムのリズムが曲を進める。
あのドラマー、どこかで見たことがある。
「誰……」
「なに。アオイ、どうした」
「ううん。大丈夫」
どこかで見たことのあるドラマーの姿。誰だったか思い出せない。
「そうか」
ごめんね。本当のこと言えなくて。
楓たちのリハーサルが終わって、ステージから降りてきた。
「おお、イツキ久しぶり。アオイ……体はもう大丈夫か」
「うん。心配かけてごめんね。もう大丈夫だよ」
「誰だ?」
「あっ、わりぃ。紹介するわ。蒼野樹と立花葵天。俺の幼なじみ。で、こっちのイケメンが藤川伊織(ふじかわいおり)で、可愛らしい顔のやつが、西園寺薫(さいおんじかおる)」
「楓、バンドやってたんだな」
「親父がベースやっててさ。これ親父のお下がり」
楓が自慢げにベースを指さす。
「アオイ、いつ日本に来たんだ」
「去年のクリスマス……」
「そっ。今、俺ん家で同棲してる」
また、樹は誤解を招くようなことを言っている。
「イツキ、その説明は間違いだから。蒼野家に下宿させてもらっているんだよ」
「下宿ね……」
「同じ屋根の下で生活してるんだ。嘘じゃねーよ」
「はい、そこまで。藤川くんのギター、とってもかっこよかったよ」
「ん?!」
「ああ、アオイもお前と同じギタリストなんだ」
「ギタリスト……」
藤川くんは、僕に興味を持ってくれたのかな。
「それと、薫は神楽台マンションの住人だ」
「僕んちは六階だよ。アオちゃんも、同じマンションなの?」
アオちゃん……。この西園寺薫という男は随分人懐っこいな。
「うん。僕の部屋は最上階だよ」
「じゃあオーナールームだ。オーナーの息子とか?」
「うん」
「今夜から日曜までマンションにいるんだ。カオルちゃん。時間が合えば遊びにおいでよ。お茶のひとつもご馳走するから。……藤川くんも……一緒にね」
「行く行く!」
僕が「カオルちゃん」と呼んでも怯まないなんて……。この男は人気商売向きかもしれない。
「俺は誘わねーのかよ」
「楓はもちろん、来るでしょ」
「当然」
「明日ライブ本番なんだって? 時間教えてよ。久しぶりにライブの空気、味わいたいから」
「そうか。ライブはPM6:00スタートだ」
「OK! 田所さん、当日券はありますか」
近くで作業をしていた女性店員に田所さんが声をかけた。
「千歳さん、明日のチケットはどうなっていますか」
「はい、当日券あります」
その声を聞いて、僕は田所さんに声をかけた。
「じゃあ、そのチケット二枚お願いできますか」
再び田所さんが女性店員に声をかける。
「千歳さん、この子たちは、明日ライブに来てくれるお客さんです。チケット用意できますか」
「はい、今用意してきます」
「田所さん、日本のライブチケットの相場はいくらぐらいですか」
「今回は、アマチュアだからね……三千円だね」
「では、二枚分お願いします」
僕は田所さんに六千円を渡した。
千歳さんが用意したチケットを手に戻ってきた。
「店長、こちら……」
「千歳さん、会計お願いしてもいいですか?」
「はい」
田所さんとは、ニューヨークのライブハウスで知り合った。あの当時は厳しい口調で少し怖い印象を受けた。今、目の前にいる彼はとても柔らかな話し方をする。なんだか落ち着くな。
僕と千歳さんのやり取りを見て、楓が声をかけてきた。
「見ての通り、俺ら以外のバンドも出るから、結構楽しめると思うぞ」
「みたいだな。楽しみにしてる」
樹にしてはライブに乗り気だ。
僕らは店長の田所さんに挨拶をして、ライブハウスを後にした。
「明日楽しみだな」
「イツキ、楽しそうだね」
「俺、ライブってアメリカでのアオイのステージしか経験なくてさ。コンサートとか、一度は行ってみたいと思ってたんだよな」
「僕も久しぶりのライブだから、楽しみだよ。僕もあちら側だともっと楽しいんだろうな」
樹の顔が少し曇ったように見えるが、知らぬふりをしてしまう。やっぱり僕は音楽が好きなんだ。
大きな駅からひと駅西へ向かう。
地下の改札から長い階段を上り、地上へと出る。
駅前の交差点を渡り東へ大通り沿いを進むと、小高い丘の上にそのマンションはそびえ立っていた。
「あそこだよ。あの近くに楓の家もあるんだ」
樹の案内でマンションへとたどり着いた。
七階建てのマンション、しかもその最上階とくれば見晴らしが最高に良いのだ。
以前フェスに参加した後、あの部屋から花火が見えていた。とても綺麗だったことを覚えている。
マンションの入口で、一人の女性と出くわした。
「あら、樹くん……。ということは、あなたが葵くんかしら?」
「こんにちは、フランスではお世話になりました」
「いえいえ、こんなに立派になられて驚きましたよ」
年齢は、僕の母さまより少し上だったと記憶している。働き者で気の利く優しいおばさまだ。フランスにいる頃、祖父母とともに、僕の世話をしてくれた。母さま代わりの女性だ。
「今日から二、三日、こちらでお世話になります」
「はい、ご自分のお部屋なのですから、ゆっくりなさってください。今夜のお夕食は、後ほど伺って準備させていただきます」
「何から何までありがとうございます。明日からは、自分たちで出来ることはしますね。ただ、何分、不慣れな点もあるので、その時は教えてください」
「はい、何なりと仰ってくださいな」
「では、後ほど」
樹が何か呆けているので背中を軽く叩いてみた。
「あっ、お前大人の対応得意な!」
「ビジネスの上では当たり前のことだし、何より滝さんにはお世話になるんだから、礼は尽くさないと失礼でしょ」
「そっか、勉強になります」
樹の神妙な顔を見て僕は、この歳の少年はこれから大人になっていく準備をするのだと気づいた。
「うわぁ、ここがアオイの部屋か」
「今はね。前はパパたちの部屋だったけど、彼らはもう日本へは来ないから」
「日本に来るなって言ったとか?」
「金銭感覚が無茶苦茶だったからね」
僕のパパは、とてつもなくお金を稼げる人だった。
そして、そのお金を湯水のように使い果たす技も持ち合わせていた。
つまり、金銭感覚が僕らとは全く違っていて、互いの考え方も相容れないものだった。
「だから、日本での経営を母さまに引き継いでもらったんだ」
「お前の母上は、頭もいいし偉大だな」
「忙しい母さまに代わって、イツキパパと楓パパには業務執行社員として働いてもらっている。パパのやり方では会社を続けていけないから……」
「会社を動かすって、大変なんだな」
「そういうこと。今は日本側の経営と資産は完全に切り離してある。パパのお金の使い方で会社まで巻き込まれたら、働いている人たちにも迷惑がかかるからね」
「アメリカの方は……」
「優秀な秘書と弁護士、それに代理人を立ててあるから、三人が何とかしてくれると思うよ」
「それにしても、リビングにグランドピアノって初めて見たわ」
「身内でパーティーとかする時、ピアノ演奏したりするからね」
「なんだか、すべてが規格外だな」
少しの間、樹とふたりしてソファーにもたれてのんびりしていた。
僕はいつの間にか樹の肩にもたれて、少しの間目を閉じた。
「あ"っ……」
「アオイ、どうした?」
「イツキ……あのドラムを叩いている人は誰だろう」
「はぁ、西園寺か」
「カオルちゃんじゃないよ。ブロンドの髪で青い瞳の彼は……」
「俺は知らない。誰だよ」
樹の顔が引きつっているようにも見える。何か知っているのだろうか……。
樹は僕を抱きしめて、顔を近づけてくる。
「イツキ、どうしたの?」
樹の顔が僕の目の前にあって、今にも唇が触れそうになっていた。
僕はずるい。
わかっていて知らぬふりをする。
樹の気持ちにも僕の気持ちにも。
樹にはそばにいて欲しい。でもそれ以上は望んではいけないと心に蓋をする。
僕の思いは、これからどこへいくんだろう。
その夜、樹は僕を心配して、同じベッドで寝ると言い張った。
「ぎゃああああ」
「アオイ、大丈夫か?」
「怖いよ……イツキ……」
「アオイ、怖い夢でも見たのか」
僕は樹にしがみつき震えていた。
「大丈夫だ。ただの夢だから。俺がそばにいるから、安心しろ」
「うん。イツキ、そばにいて」
僕はずるい。僕は、『そばにいて欲しい』と願うだけで、『そばにいてあげる』とは、言えない。ごめん、樹。
